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第30話



 夏生は難しい顔でリビングの天井を見上げていた。

 ――いい? あんたがなにしようと勝手だけど、それをするならちゃんと責任持って最後まで和佳先輩を支えるのよ?

 思い出されるのは、昼間のこと。念を押すように何度も言い含んだ涼音の言葉だ。

 「責任?」と首を傾げた夏生の額を小突き、涼音は険しいというよりも思案気な顔でさらに重ねた。

「だから、それをしたあとの和佳先輩の人生の責任とりなさいよってこと! 勝手に縁を切ってバイバイなんてしたら地の果てまで追いかけてぶん殴るからね?」

 拳を握って夏生の前にかざし、涼音は何度もそう言っていた。隣で見ていた絢も止めなかったので、涼音が間違ったことを言っているわけじゃない、と思う。

(責任、か……)

 その覚悟があるのかと問われても、実感が湧かないとしか言えない。今までずっと、和佳の笑顔が見たくて突き進んできたから、急に人生の責任と言われても、ピンと来ないのだ。

 ただ、和佳が死ぬまで自分は傍にいるだろうという確信はあった。

「なーに怖い顔して考えてるの? ご飯できるよ?」

 ダイニングテーブルを拭きに来た母を見上げる。夏生は、ふいと視線を天井に戻して訊ねた。

「ねえ、お母さん……」

「んー?」

「死ぬのが怖くないって人に、未練を作らせようとするのはひどいことかな」

 照明を反射するつやつやのダイニングテーブルの半ばで、母の腕がぴたりと止まった。

「それさ、和佳さんのことなんだけど……私は自由に外を見て、楽しんで生きて欲しいの。でも、それをすると和佳さんは予定よりも早く死ぬ可能性があって……閉じこもってなんにも見ないで長く生きられた方が、和佳さんにとっては幸せなのかな?」

 現に、夏生はそれを伝えても振られてしまった。それが和佳の意志と言うことなのだろうか。

 母は心あらずな状態で問いかけた夏生の横顔を見て、夏生が横たわるソファの隅にゆっくりと腰を下ろした。そして、同じように天井を見上げた。

「どう思ってるかなんて、本人に訊かなきゃ分かんないよ。夏生は和佳さんじゃないから」

「でも、訊いても答えてくれなかったら? ……もう振られちゃってるんだけど」

 弱音を吐く夏生の足をぺちんと叩いて、母は「しっかりしな」と叱咤する。

「和佳さんは、嫌だと思ったらなあなあにせずにはっきり言ってくれると思うよ? とくにこの場合は、はっきり言わないとあんたがいつまでも引きずりそうだし……どうなの? やめてくれって言われたの?」

 そう言われてよくよく考えてみるが、和佳が拒絶するような素振りは見えなかった。ごめん、と彼女はずっと謝るばかりだった。

 目をじわじわと見開き、なにかに気づいた夏生の顔に、

「それが答えじゃない?」

 と、母は最後にそう言ってキッチンに戻った。ガスコンロの火のつく音がして、コンソメスープの香りが漂ってくる。

 夏生は弾かれたようにソファから身を起こした。そして、母の背中に問いかける。

「誰かの人生の責任とるのって、どうしたらいいかな?」

 ちょうど帰宅した父が、その言葉に足を滑らせて扉の角に頭をぶつけてうずくまった。痛みに呻く父をそっちのけで、母は振り返って夏生を見ると、白い歯を出してニッと笑った。

「そんなの、最後まで一緒にいてあげられれば十分よ」



 十二月に入り寒さがますます厳しくなる中、部屋で試験勉強に励んでいた夏生のスマホがピコンと通知を知らせた。

 そこには、つい先日連絡先を交換したばかりの相手の名前が表示されていて、夏生はその連絡をずっと待ちわびていた。

 メッセージで送られてきたのは、相手の都合がつくという日時だ。

 次の週末の日曜日だった。時間は午後の二時。もしかしたら、土日なら学校が休みだからとあちら側が配慮してくれたのかも知れない。

『分かりました。連絡ありがとうございます』

 了承の返事を送ると、すぐに住所が転送されてきた。添付されていた地図は高層マンションが建ち並ぶ一角を示していて、(さすがお嬢様……)と今さらながらに一般家庭の夏生との違いを見せつけられた気がした。

(どんな人たちなんだろ……)

 あの和佳の親族だから、そう怖い人はいないだろうと思いたい。同じように大らかで優しい人だったらいいな、と思ってしまうのは自分の都合だろうか。

 心配なのは、和佳のことになるとややヒステリック気味になるという母親だったが、その人に分かってもらえないようでは、自分はまだまだということだ。

 涼音からの話では、昔は有名なピアニストだったらしく、和佳が生まれて彼女が心配だからと引退したようだ。

 それを聞いた時にまず思ったのは、和佳がこの事実を知って悲しんだかどうかだった。

 優しいあの人は、他人に無理を強いることなんて心苦しくて仕方ないだろうから、きっと自分のために母の夢を潰してしまったことを、今も後悔しているのではないか、と。

 そう思って、夏生はますます和佳をこのまま閉じこもらせるわけにはいかないと奮起したのだ。

 一週間ほど前の放課後、和佳のことを涼音に足止めしてもらい、その間に迎えに来ていた佐々山に「和佳さんの両親と話がしたい」と告げて一方的に連絡先を渡した。

 駄目元ではあったが、なんとその日の夜に佐々山からメッセージが来たのだ。

『お二人とも忙しい方なので、随分と先になる可能性もありますがご了承ください』

 絵文字もスタンプもなく、その文面だけが送られてきた。佐々山のその見た目の通り、シンプルで簡潔な文章だ。

 それに了承を示し、その後の連絡を待っていたところ、こうして返事がきたのだった。

(もっと時間がかかるかと思ってた……)

 もし春にでもなったらどうしようかと不安だったが、想像よりもうんと早かった。

 やっとここまで来た。細い糸がどうにかつながった。これがダメだったら、依岡や空谷など教員たちに頼み込んで連絡を取ってもらうつもりだったがそちらはあまりにも可能性が低すぎる。

(ここまで来たら、あとは私が頑張るだけだ!)

 活を入れるように自身の両頬をパンと叩いた。じんと痛みが広がり、それにぶるりと体を震わせた。

 決戦は約一週間後。その日、夏生は和佳の人生をもらうために彼女の両親と対面する。



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