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第21話

 クーラーのきいたリビングは、涼しく快適だ。レースカーテンを通してもなお目映い陽差しは、午後の室内を明るく照らしている。

「夏生~あんたまたソファでゴロゴロして……宿題やったの?」

 ダイニングテーブルでテレビを見ていた母が、思い出したように声をかけるので、夏生は寝転がったままひらひらと手を振った。

「今日の分は終わらせたから大丈夫」

 夏休みが始まってすでに一週間――長期間の休みとは言え、学生の本分は勉強である。もちろん、各教科でたんまりと宿題が出されていた。

 けれど、夏休み期間の約一ヶ月でコツコツと進めれば、一日の分量はさほど多くはならない。むしろ、今のペースで行けばあと一週間――休み期間を半分ほど残して終えられるだろう。

「あんた夏休みどこか出かけないの? 友達と遊びに行ったりとか」

「え~みんな部活とかで忙しいし……」

 クラスメイトたちと前ほど壁がなくなったと言っても、わざわざ休日に会うほどではない。

 岩瀬は文化祭に向けた演劇部の活動があるし、朝川はそもそも外に出ることを家族からいい顔をされない。遊ぶとしても、彼女の幼なじみである萩野も一緒に行動することになるだろう。

(萩野さんとはほとんど話したことないし……)

 そんなメンバーで集まっても、それぞれが気を遣って楽しくはないだろう。そもそも幼なじみである二人の間に挟まれるのが嫌だ。明らかに邪魔者は夏生だ。

 そうして候補二人を頭から消すと、それ以外に思いつく人がいない。自身の交友関係の少なさに改めて愕然とした。

(まあ別に困ってないしな……)

 しかし、夏生は元来一人行動が苦でもなく、そういったことを気にする質でもないので、次の瞬間にはけろりとしていた。

「和佳ちゃんとは遊ばないの? 今年で卒業でしょう? 大学生になったら遊ぶ時間なんかなくなっちゃうんじゃない?」

「……んー……和佳さんは無理かなあ……」

 寝返りを打ちながら言えば、「まあ受験生だもんね~」と母は一人で納得する。

(そりゃ私だって遊べるなら遊びたいけど……)

 夏生だって、それとなく会えないかな、と匂わせてはみたのだ。鈍いわけではない和佳はすぐに夏生の言いたいことを察してくれた。

「ごめんなさい。遠足に行ってから、母がすごく私の体を気にしてて……だから、しばらく大人しくしてようかなって思うの」

 せっかく声をかけてくれたのに、ごめんなさいね。

 試験が終わって、終業式までの間のことだった。日傘の影で、和佳はそう残念そうに微笑んだ。

 なんだよそれ。大人しく……っていつも通りじゃん。なんて、ふてくされる思いもあったが、遠足に続いてここで駄々をこねても、和佳が両親との板挟みになって苦しむかと物わかりのいい顔で頷いたのだ。

 ソファの上で俯せになり、クッションを顎の下に敷いてスマホを見る。メッセージアプリの和佳とのトーク画面は、初めて稼働した日から動いてはいない。

 なんとなしに指をふっと滑らせて画面をスクロールすると、そこで目に入ってきた名前に、(そういえばまだ候補がいたな……)と思い出した。

 和佳の名前が出ている一つ上には、『荒木涼音』と律儀にフルネームの入った蝶のアイコン。

 トーク画面はまっさらで、ただお互いのアカウントを交換しただけで話をしたわけではない。

 あれから涼音と再び顔を合わせたのも、試験後のことだった。弁当を持って校舎を出るところで、食堂に向かう涼音と偶然鉢合わせたのだ。

 夏生を見て硬直したものの、彼女はすぐに隣にいた友人と別れ、夏生を廊下の隅に呼んだ。

 涼音の目元にはうっすらと隈が出来ていて、試験勉強でそうなったわけではないと夏生には分かった。白い肌からはさらに血色が抜け落ちていて、憔悴――という言葉がピッタリとはまりそうな様子だ。

 しきりに目をしばたいて辿々しく夏生に声をかけると、最後にはぺこりと頭を下げて見せた。

「……ごめんなさい。私、そんなつもりは全然なくて……気づかなかった。あの人が自分と違うなんて、当たり前なのに……」

「……別に。私こそ、大きい声出してすみませんでした」

 ただでさえ身長差があり、威圧感を与えているのに、さらに怒鳴るように声まであげてしまって……。

 きっと、怖かっただろうなと夏生は思った。

 高身長でつり目で、しかも無愛想。夏生は、自分が他人から――とくに同年代ぐらいの女子からどう見られるかをよく理解しているつもりだ。

 怒ってる? と訊かれたことは数え切れないほどあるし、怖いよねとヒソヒソ話す同級生の女子の声を聞いてしまったこともある。

 なんの隔たりもなく話しかけてくる和佳や朝川たちなどが例外なのだ。

 だから、言ったことに後悔はないが、怖がらせたのは悪かったかな……とは思っていた。

 お互いに謝って、そうして少しだけ気まずい沈黙が流れる。涼音の手元のランチバッグを見て、「一緒に食べますか?」と誘ったのは、完全にその場の勢いだった。

 来ないかな、友達も一緒だったし――と、しまったと内省する夏生をよそに涼音は少し考えてから頷いた。誘った夏生のほうが驚いて、「本当に?」なんて再度確認してしまったほどだ。

 そうして歩いている最中、涼音は夏生の大きい体に隠れてスマホで友人に連絡を取っていた。代桜女は校内でのスマホの使用は禁止だ。体を盾にされ、夏生はちゃっかりしてるなと思ったものだが、わざわざ意地悪するのも子どもみたいなのでそのまま影を作っていた。

 しかし、和佳に会うやいなや涼音は泣きそうに頭を下げて、「ごめんなさい」と謝るものだから、その勢いや必死さに(私のときと全然違うじゃん)と白い目で見たが、しくしくと泣く涼音に駆け寄って抱きしめた和佳はどこか手慣れた様子で、そんなふうに涼音を宥めることがよくあったのかな、と思うと胃の辺りがきゅっと絞られた。

(涼音さんも、高校入るまではずっと外に出たことなかったんだっけ……)

 体のことを嘆く涼音を、和佳が抱きしめるときがあったのだろうか。涼音は心配されることは嬉しいと言っていた。

 もしかしたら、和佳にそんなふうに体を気遣ってもらっていたのだろうか。

 それまで、涼音も和佳のように狭い世界しか知らなかったんだろう。そんな狭い世界の中で、彼女の仲間は和佳だけで、そしてああして甘えさせてくれるのも、和佳しかいなかったのかも知れない。

 なんとなく、そう思えた。

 真っ白な保健室の片隅で、初等部から中等部までの九年間。彼女たちはそうして身を寄せ合っていたのかな、ともやもやした気持ちを抱え、しばらく見守ったのちに夏生は二人の間に割って入ったものだ。

 そこで、赤く腫れた目をした涼音をからかって、言い返されて、そうして最後に成り行きで連絡先を交換していた。

 ――結局、使ったことはないけれど。

 じとりと『荒木涼音』の名前を見て、また画面を暗くする。

(和佳さんがいるならまだしも、二人で遊びに行くような仲でもないしな)

 ぽいとスマホをソファに置き、そういえばと夏生は体を起こして母に問う。

「来週さ、お祭りあったよね?」

「ああ、いつものやつね。珍しいじゃない。行くの?」

「考え中……だけど、多分行くと思うからその日は夕飯いいや。屋台で済ませちゃうから」

「そう? じゃあその日は面倒だしお母さんたちも出来合いにしちゃおうかしら」

 放り投げたスマホでぽちぽちと詳しい日時を検索していると、母の窺う視線が突き刺さる。

「ねえ、夏生……お祭りって、誰かと行くの? ほら、葵ちゃんとかしばらく会ってないでしょう?」

「一人で行く」

 出てきた名前に咄嗟に低い声が出た。ハッとしてすぐに

「ほら、私たちが一緒に行ってたのって小学校の頃だけだし……葵だって高校の付き合いあるじゃん? だから一人で行こうかなって。和佳さんにも写真送ろうかなって思ってるし……」

 我ながら言い訳がましいとは思った。しかし、母はそれが分かりながらも「そっか」と頷いてくれた。

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