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第11話

 翌日、いつものランチバッグに忘れずにパンフレットを突っ込み、夏生は普段よりも足早に和佳のもとを訪れていた。

 美味しい美味しいと、表情のゆるい顔で弁当を食べ進める和佳に「そういえばさ」となんの気なしに問いかけた。

「片桐先輩って、遠足は誰と回るかもう決めたの?」

 和佳は目をぱちりと大きくしばたいた。律儀に口の中のものを急いで飲み込み、そうして「遠足……?」と首を傾げる。

「再来週に東京散策あるじゃん。三学年合同の……自分たちで好きなところを選べるやつ」

「ああ……今年は東京なのね……」

 と、やっと思い出したように呟いた。あまりに他人事なその様子に、嫌な予感を覚えながら「どこにするか決めたの?」と重ねて訊く。

 困ったように和佳は眉尻を下げ、「あのね」とそっと夏生を見上げてくる。

「私、遠足には行けないの……」

 ああ……と半ば予想していた答えに納得しかけた心を奮い、「なんで?」と訊き返した。

 すると、ますます困った顔で和佳は辿々しく言う。

「この体だし、母が心配するから……そういう行事ごとには参加しないの」

「え、今まで一回も参加したことないの?」

「ええ」

「参加したいって思わないの?」

 数秒、和佳は口を噤んだ。なにを考えているか分からない凪いだ目を芝生に落とし、小さく笑った。

「お母さんがそれで安心するならいいかなって」

(私は、先輩が参加したいのかそうじゃないのか訊いたのに……)

 その返答が、自分自身の言葉ではなく母の憂いを晴らすためというのだから、遠回しに答えを言ってるじゃないか。

 ここで、本当は行きたいんでしょう? と訊くのは簡単だ。でも、それじゃあ和佳は絶対に首を縦に振らないと分かっていた。

 この人は、誰かのためなら自分の気持ちなんて簡単に押し殺してしまえる。自分に向けられる好意からの心配を、振り払えるわけがない。

「ねえ、先輩……私、クラスに友達いなくてこのままだと一人で淋しく東京散策することになっちゃうんだけど……」

「あら……でも、たまに話してくれる朝川さんとか岩瀬さんは?」

 とたんに和佳は憂い顔で夏生を見る。肩に和佳の細い手が添えられ、その気遣いにちくりと夏生の心が痛んだ。

「ダメだよ……二人とも昔からの友達がいるし……会ったばかりの私なんて……」

 気落ちした様子で夏生が首を振ると、和佳の顔に宿る憂いは大きくなる。

(ごめん! 先輩……)

 全くの嘘というわけではないので、許して欲しい。

 二人とも、夏生が同じ場所を選択したと分かれば一緒にいようと言ってくれるだろう。でも、朝川には幼なじみがいるように、岩瀬も中学時からの外進生だが、友達は多い。

 二人もその友達も良い人ばかりだし、きっと楽しいのだろうが、どことなく踏み越えられない線がある気がした。

 いや、夏生が勝手に線を作ってしまっているのだ。

(それに、なにより先輩と一緒に行きたいし……)

 一番はそこなのだ。だから、少し嘘をつくことになっても、和佳をその気にさせたい。

「私、片桐先輩と一緒に回りたい……だめ?」

「ダメじゃないけれど……」

 琥珀色の瞳が、迷うようにふるふると小さく揺れている。きっと今、和佳の中では両親の憂いや夏生への心配がせめぎ合っているだろう。

 それでもやっぱり、参加に関して前向きにはなれなさそうだ。

 どうしよう、と焦れ、夏生はつい急いて口走ってしまった。

「三つとも激しく動くわけでもないし、今みたいに気をつけてれば大丈夫じゃない? どうせ普通に生活してたって花びらは止まらないし、それならちょっとぐらい外に出てもよくない? ダメ?」

 言い切って、ハッとして口を閉じた。まずったかもしれない……と顔を青くさせる。

 和佳のことを軽視しているわけじゃない。ただ、少しは自分の好きなように生きて欲しかっただけだ。

 どれだけ気をつけて生きていても、花びらはゼロにはならない。同じ「散る」なら、閉じ込めて退屈しているよりも、楽しく外に出た方がいいじゃないか。

 弁当一つで喜ぶのだから、きっと外に出て色んなものを見れば、もっとその顔を輝かせるだろうと。その顔が見たいと――。

(でも、今のは誤解させたかも……)

 しゅんとうなだれて、肩を竦めながらびくびくと視線をあげる。和佳が怒っていたらどうしようと、そう不安になっていた夏生だったが、意外と和佳は平気そうな顔をしていた。

「そんなこと、初めて言われたわ……」

 ぽつりと、和佳が独りごちる。

「先輩? 今なんて……?」

「……行こうかしら」

「え……?」

 初めは聞き間違いかと思った。サア……と長い風が二人の間を駆け抜ける。木々が揺れて、木漏れ日もちかちかと瞬いている。和佳の美しい顔に浮かぶ双眸が、陽差しに触れてきらきらと輝く。それがまるで、夏生の言葉に感銘を受けているように見えて、鼓動が大きく跳ねた。

「……父と母に、訊いてみるわ」

 風に乗って、和佳が小さく落とした言葉が届く。今度こそちゃんと聞こえた。

「……ほんとに?」

 信じられなくて、つい訊き返してしまった。

「ええ……必ず行くとは言えないけれど……一度聞いてみようかなって」

 不安が見え隠れする顔で、それでも和佳は夏生に向けて小さく笑って言った。夏生はとたんに嬉しくなって、弁当に入っていた自分のタコさんウィンナーを一つ、和佳の弁当にちょこんとのせた。

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