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第16話

 ピリピリした太田を刺激しないようにやり過ごすことも、この数日で生徒たちは慣れを持ち始めた。

 しかし、やっぱり知らぬうちに体は緊張していたのか、掃除を終えてやっと教室の外に出られると、陽希から無意識に長いため息が漏れた。

(青島くん、あんなことがあったあとだし待ってないよね……)

 同じ掃除班の生徒の後に続くように一階をへと降りる途中で、ふと思い至って気分が沈んだ。

 今日は一緒に帰れる金曜だが、あんなふうに告白して逃げられたのだから、この約束も本当に終わりだろう。

 淋しいなあ、と思いつつ踊り場で折り返して階段を下りていると、廊下沿いの窓枠に腰掛けた青島の姿が見えてドキリと心臓が高鳴った。

(うそ……)

 もしかして待っててくれた? あんなのことがあったのに?

 と、信じられない気持ちで陽希は階段の中腹で立ち止まった。夏の陽差しを受ける彼は、眩しいのか険しく眉をひそめて窓の外を見ていた。

 白い滑らかな肌に日が反射して、透き通るようにその美しい顔を輝かせていた。陽希は、ほおっと見惚れるように息を吐いてからハッとした。

(いやいや……俺のこと待ってたわけじゃなくて、他に用事があるのかもしれないし……)

 自分を戒めつつ、再び階段を下り始めると、不意に青島が視線を向けてきた。陽希を認めた薄茶の瞳が、大きく瞬いた。

 悠然と、しかし微かに緊張を滲ませて立ち上がる青島と向かい合い、陽希は訊ねた。

「青島くん、その……誰か待ってるの?」

 おずおずと肩を竦めて見上げながら訊くと、ぴくりと青島の片眉が持ち上がった。

 怪訝――というよりは、不機嫌さを思わせる動作に、反射的に陽希の身が竦んだ。

(どうしよう……怒らせたかな……)

 心配になって首を引っ込めたままそろそろ見上げると、青島は深く息をついた。

「……お前しかいないだろ」

 ムッとした顔で言って、青島が歩き始めたので、陽希はそのあとを慌てて追った。

 都合が良すぎる言葉を聞いた気がした。だが、たしかに青島は一緒に帰路についていて聞き間違いじゃないのだとトクトク心臓が逸る。

「一緒に、帰ってくれるの?」

 不意に裾を摘まんで引き留める。大した力も入れてなかったのに、彼は律儀に足を止めて振り返ってくれた。

 不安そうな陽希を見て、切れ長の瞳が見開かれた。すると、罰が悪そうにそろりと逸らされる。

「この前はごめん」

 と、小さな謝罪が降ってきた。

「ううん、いいのいいの! 俺の方こそ急にあんなこと言ってごめんね?」

 青島が謝ることではない。そりゃ、気持ちを信じてもらえなかったのは悲しかったけれど、陽希だって一方的に想いを告げたのだ。それを受け止めたって拒否したって、青島の自由だ。

 仲直り出来る。そう思うと嬉しかった。だが、心の隅で違和感も覚えた。

 このまえの動揺っぷりを知っているからだろうか。今日の青島は随分といつも通りで、この前のことなんてなかったようだ。

 陽希の心に、暗雲がうっすらと立ちこめた。

 陽希が怒った様子もないからか、青島はほっと緊張を解いた。そして、靴を履き替えて外に出たときに不意に呟いた。

「……もう、あんなこと言うなよ」

 牽制するような言葉を吐いて彼は進んでいく。思わず立ち止まった陽希は、その背中を見つめながら自身の不安が的中したことを思い知った。

(青島くんは、あれをなかったことにする気なの?)

 いつも通りなはずだ。だって彼の中で、陽希の告白もその過程での自身の言葉も、あの一連の流れをなかったことにしているのだ。

 これは陽希が赤い糸など関係ないと頑なになったせいなのか。

 冷や水をかけられたように冷え切った頭で、陽希は思った。

 陽希は青島が提示した逃げ道を選ばなかった。だから彼は、陽希を振らなければならない。だが、そうすると二人の交友関係は途切れることだろう。

 どうやら青島は、その選択肢は取りたくないようだ。

 そうまでして一緒にいたいと思ってくれている。微かな喜びが湧いても、それを覆い尽くすほどの悲しみが心を支配した。

 引き留め、問いただそうとが、不意に校舎の中から生徒の声が聞こえてきた。

 陽希は咄嗟に青島の腕を掴んで校舎の陰に入った。

 夏らしく青々しく伸びた雑草を踏みしめ、陽希はずんずんとしばらく進んだ。背後で、青島から困惑したように呼ばれてやっと足を止める。

「青島くんはどうしてそんなこと言うの? やっぱり俺の気持ちは迷惑だった?」

 手を離し、振り向きざまに問いかけた。

 大した距離も歩いてないのに、喉がカラカラですり切れるような痛みが走った。

 日陰でも、七月の外気はむわりと肌に纏わり付くように不快だ。

 暑さのせいか。それともこの話題を出したことが嫌なのか……青島は髪を掻き上げてどこかうんざりした様子だ。

「だからもうその話は止めろって……お前が俺なんかを好きって、あり得ないだろ」

「どうして? 青島くんは素敵な人だよ? そんな人と一緒にいられたら好きになっちゃうよ……」

 俺なんかと卑下する言葉が悲しい。言葉を募らせたが、「稲葉……!」と暗にそれ以上言うなと苛立ちまじりに呼ばれてしまった。

「やめろよ稲葉。言ったろ? 俺はそれ以上言われたらお前のことをフラなきゃきゃいけないんだって……。そうしたら一緒にいられなくなる。仮にも俺のこと好きだって言うんだ……お前だって、そうなったら嫌だろう?」

 言うことを聞いてくれ、と懇願するように青島は俯き、彼は自身に繋がる赤い糸の根元をぎゅっと握りしめた。それが陽希との縁を切りたくないと必死になっているようで、陽希の心を複雑にする。

 一緒にいたいと言われた喜び。それなのに気持ちだけが頑なに否定される悲しみ。ない交ぜになっていっぱいいっぱいになった感情を表すように、つっと陽希の黒い瞳から涙が流れた。

 ぎょっとした青島は、弱ったように眉を下げて陽希の頬に触れようとした。だが、その手を陽希が避けるように一歩後じさる。

 刹那、彼の瞳に傷ついたような鈍い光りが入って、さらに陽希の心を混ぜ返した。

「どうして青島くんを好きだと一緒にいられないの? なんで俺のことが好きじゃないなら、ひと思いにフってくれないの? ……分かんない。青島くんがなんでそんなふうに言うのか分かんないよ。だって、きみの言う言葉はぜんぶ、俺を好きだって言ってるように聞こえる」

 ひくひくとしゃくり上げながら告げれば、青島はゆるゆると首を振った。

 陽希の言葉を聞くのが辛いとでも言うように、俯いてしまう。

「……やめろって、稲葉」

「分かんないよ……青島くんが俺の中にも愛はあるって教えてくれたのに、どうして、それをきみがなかったことにするの?」

「……稲葉っ」

「この糸を切っても、きみを好きだって言ったら信じてくれるの? それで信じてくれるなら、俺は赤い糸なんていくらでも切れるよ!?」

「やめろ稲葉!」

 先の行動を見越すように両手首を掴まれて動きを止められた。骨がミシミシと音を立てるんじゃないかと思うほどで、強く握られた痛みについ陽希から悲鳴が漏れた。それでも、青島は手を放さなかった。

 陽希の痛みを訴える声が聞こえていないようだ。真っ青な顔で冷や汗をかいた青島は、怖いものをみたように薄茶の虹彩が収縮して揺れていた。

 焦点の合わない瞳で、青島は「やめろ」と掠れた制止の声を絞り出した。

 あまりの狼狽っぷりに、陽希の頭に上った血が一気に下がった。

 はくはくと、青島はほとんど息も吸えていない喘ぐような呼吸を繰り返していた。宥めてあげたくて身じろぎして両手の拘束を解こうとしたが、逃げると思われたのか、さらに強く力が込められてしまった。

「いった……! あ、青島くん落ち着いて」

「……ダメだ。糸を切ったらダメだ。そうしたら、お前は俺なんかを好きなんて言わなくなるだろ」

 独り言みたいに青島はぶつぶつと続けた。

「いや、本当はそれがいいんだ……。でも、もし俺じゃない他のヤツをお前が好きになったら……そしたら……」

 言葉が途切れると、彼の表情が一際厳しく歪んだ。心配になった陽希がもう一度呼びかけようとしたところで、不意に両手を離されて痛みから解放された。

 ほっと息をついたのも束の間。すぐに腕を強く引っ張られ、今度は校舎の外壁に縫い付けるように押しつけられた。

 痛みに呻く暇もなく、身を乗り出した青島が昏い光を宿した瞳で見下ろした。

「俺と糸を切ったら、今度はあの男と結ぶのか?」

「あの、男……?」

 青島の体で遮られ、陽希の視界はさらに薄暗くなった。ふわりと揺れるミルクティー色の前髪の隙間からのぞく瞳が、捨てられた子どものように潤んでいる。途端、切なく息が詰まった。

「昨日、駅前のカフェにいただろ……」

 鼻先が触れ合う距離にドキドキするよりも早く、陽希は驚きで眼を見開いた。

「なんで知ってるの……」

「あそこ、俺のバイト先だから。厨房から見えてたんだよ。おまえらが二人で話してんのも……店の前で抱き合って、キスしてんのも全部ッ! あの男、わざわざこっちに牽制するように視線を送ってきやがって……」

 静かに滲む怒気と共に青島は奥歯を噛みしめて言った。

 陽希はふと、成山の言葉を思い出す。

(ややこしくなったらごめん、てこういうこと……?)

 一体いつ青島がいることに気づいたんだろう。どうして青島を知って……? 過った疑問、赤い糸があるのだから彼にはすぐにバレてしまうことだとすぐに理解した。

 混乱して黙った陽希の意識が自分から逸れ、青島は面白くなさそうに顔を歪める。

 やっと整理の着いた頭で誤解だと叫ぼうとした陽希だったけれど――。

「んうっ……!」

 ふいに青島が、下から攫うように陽希の唇を塞いだ。柔らかな熱に呼吸も声も奪われた瞬間、陽希の頭は真っ白になった。

(え、キス……? なんで?)

 咄嗟に身じろぎしそうになった陽希の体を、青島は上から抑え込むために角度を変えた。

「……んっ!」

 と、陽希の固く閉じた唇を咎めるように青島の歯が柔く食い込んだ。

 ひくりと肩が震え、強ばった唇から力が抜ける。その一瞬の隙に、ぬるりと湿ったものが口内に入り込んだ。

「ん、あっ……」

 互いの舌が触れた瞬間、電流が走ったみたいに体が震えた。粘膜がすり合う初めての感覚に、陽希は思わず眼を瞑った。

 奥に引っ込んだ陽希の舌を、青島は上手く絡めとって誘い出す。吐息ごと持って行かれるようなキスに、呼吸が間に合わず、陽希の頭はだんだんとぼんやりしてきた。

 されるがままだった陽希は、解放された両手にも気づかなかった。だが、未知の緩やかな悦楽に膝が震え、崩れそうになるのを踏みとどまろうと、無意識に手を伸ばして青島の二の腕のシャツに縋っていた。

 脱力して伸びた舌先を青島は最後に啄むように吸い、再び慰めるようにそっと舌をで撫でてから離れていった。

 熱に浮かされていたのは青島も一緒だった。陽希の潤んだ視界でも分かるほど、彼の瞳は昏い欲の色を映していた。

 身を乗り出した青島に、またキスをされるだとぼんやりした頭で理解し、陽希は硬く眼を閉じて身構えた。けれど、今度は首筋に柔らかい熱が触れた。

 さっきの奪われるようなものとは打って変わって、ちゅっちゅっと可愛らしいキスにこそばゆさを覚えた。

 そのうち青島の少しかさついた指が鎖骨に沿って薄い肌を撫で、不意にシャツのボタンにかかった。

 陽希はゆるめられた首の開放感に、息苦しさの和らぎを感じてホッとした。けれど、シャツの隙間から入り込んできた微かに汗ばんだ手の感触に、ハッと我に返って、未だに首元に顔を寄せていた青島の口元を手で覆った。

「青島くん……なんで?」

 手のひらに感じた柔らかさに、口内を暴かれた感覚を思い出して陽希はドキリとした。荒い呼吸のせいか、心臓がバクバクしている。

 青島は口を手で覆われながら、夢から覚めたようにきょとりと眼をしばたたいた。そうしてゆっくり襟元のはだけた陽希を見下ろし、さっと頬に朱色を差した。

 スッと体をひいた青島を、陽希は咄嗟に手を取って引き留めた。このままだと、あのときのように走り去ってしまう気がしたのだ。

「俺、成山さんとキスなんてしてないよ? ……たまたま転けそうになって支えてもらっただけだもん」

 青島の背中に言う。後半は嘘だが、青島が誤解するようなことがなかったのは本当だ。

 悩んでいた陽希のためだとは思うが、成山がどうして誤解させる行動を取ったのかは分からない。

 必死に引き留める陽希に観念したのか、青島は向き合った。だが視線は俯いたままだ。

「……糸を結んだら分からないだろ。 俺に言ったように、好きってあいつに言うかもしれない」

「言わないって! 俺が好きなのは青島くんだけなんだよ? なんでそんなこというのさ……!」

 いじけたように肩を竦める彼に、陽希はその体を揺さぶるように言い聞かせた。

 彼のこの赤い糸に対する絶対的な支配への怯えは、一体どこから来ているのだろう。

 もどかしい。もどかしくて、悲しくて……けれど、ここまで来ると頑固な子どもを相手にしているような苛立ちすら感じた。

 ふいに青島が顔を上げ、そっと陽希を窺い見た。唾液で濡れた陽希の唇を、彼はおもむろに指の腹で拭った。

「ごめん、稲葉……こんなことしてごめん」

「どうして謝るの? やっぱり俺のこと好きじゃないから?」

 ぶんぶんと首が振られた。それは初めて明確に示された青島の気持ちだった。

 喜びが湧いて、けれど決して好きだと言葉で告げてはくれないことに虚しさが滲んだ。ごめん。彼はただそう何度も呟いていた。

 まるで、子どもが親に許しを請うように震える体で抱きつかれて、陽希は自分よりも大きな体を目一杯受け止めた。

 もどかしさに苛立っていたはずなのに、陽希の胸中はいつの間にか静まっていた。陽希は震える体に思わず憐憫を抱き、そっと羽根に触れるような繊細な手つきで背中を撫でた。なぜだか無性にそうしたかった。

「ダメなんだよ、稲葉。俺は、お前は好きになっちゃダメなんだ……俺は、母さんのために生きていかなきゃいけないのに。ダメなのに、お前がほかの誰かを見るのは嫌だなんて、ガキみたいなこと思って……!」

 分かってるんだ、と感情を殺す低い声が耳朶じだを掠めていく。

「お前が俺と違うって分かってたのに、なんで一緒にいようとしたんだろうな。散々見てたんだから分かってたくせに……。きっと俺と一緒だって言い聞かせて、罪人同士の傷のなめ合いなら良いんじゃないかって傍にいて……」

 震えた語尾を絞るように、青島はごくりと一度唾を飲んだ。

「お前は、俺みたいに幸せになる資格がないやつとは違うのにな」

 自嘲するような笑いを含んだ声のあと、青島は陽希から離れた。

 薄く微笑んでいるのに、薄茶の美しい虹彩は冷え切っていた。

 陽希には不思議でならない。どうして青島のような優しい人間が、幸せになる資格がないだなんて言うのか。そんなこと、あるわけがないのに。

 ――人を愛することを諦めると、糸はどこにもいけなくなる。

 ふと穏やかな成山の声が、耳の奥で蘇る。

(あ……)

 陽希はようやく気づいた。青島も、なのだ。

 陽希はきっと、母の――家族の愛情に囚われすぎていた。愛が欲しいと願いながら、自分の中にあってはいけないものだとも思っていた。それを事実のように見せるために、きっと糸は途切れていなければならなかったのだ。

 ――なら、青島くんは?

 幸せになる資格がないと言った。好きになっちゃダメだと言った。そうやって自分は誰かを愛することは出来ないと思い、彼の糸はどこにもいけなかったのか?

 かといって、そうなるに至った原因はなんだというのだ。

 よくよく考えてみると、陽希は青島のことをほとんど知らない気がする。

 いつだって気持ちを零すのは陽希のほうで、青島から自分のことを――とくに内心でなにを思っているかなどは聞いたことがない。

 母子家庭で、家にお金を入れるためにバイトに勤しんでいる。入学当初は一人でいたがっていた。冷たいように見えた、意外に優しいお人好し。告白してくる女の子にだって、彼は誠実だ。

 知ってるようで、けれどあまり知らない。

(……そうだ、お母さんと二人で暮らしてるって)

 ふと思い返し、陽希の視界が開けた気がした。そうだ。これが正解だ。

 興奮にも似た焦燥で、陽希は彼の手を取った。

「青島くんは、お母さんが大事だから俺とは一緒にいられないってこと……?」

 答え合わせをするように訊ねれば、青島は苦い顔で口の端を歪にあげた。

「俺は母さんの幸せをダメにしたから……だから、俺のせいで苦労かけた分も母さんのために生きて幸せにする」

「ダメにしたなんて……どうして?」

 俯き、押し黙った青島はするりと陽希から離れていこうとする。最後の一線とでも言うように彼はそれを言葉にすることは拒んだ。そんな彼の手を、陽希はそっと握って引き留める。

(お願い。教えて青島くん……)

 一体きみになにがあったというのか。ここまで知ってしまって、そのままさようならと背中を向けることなんて出来るわけがない。

 やっとここまで青島に近づけたというのに、結局彼の苦悩を取り除くことも、知ることも出来ずに終わるだなんて耐えられなかった。

 数秒の沈黙の後、観念したように重たい口を開いた。自分の罪を告白するように、そこには怯えと諦念が混じり合っていた。

「父さんと母さんは、赤い糸で繋がってた。いつも笑ってて、仲が良くて……でも、俺が赤い糸を切ったから二人は別れて……母さんは俺のせいで幸せもなくして苦労する羽目になった。入学前の黒いランドセルに初めて入れたのは家を出るための荷物だった。新しい家に着いて、母さんは泣きながら俺に謝った。その声がずっと消えない……俺のせいなのに、母さんが泣いて謝る声が、ずっと消えないんだっ!」

「……違うんだよ、青島くん。赤い糸があってもなくても、人は誰かを好きになれるし、糸がなくなったからって嫌いになったりしないよ」

「じゃあなんで、父さんと母さんは別れたんだよ……!」

「それは……」

 糸が切れたせいじゃないとするなら、そんなの答えは一つしかない。お互いに結婚生活を続けていけなくなったからだ。

 成山は嫌いになれば糸は切れると言っていた。きっと青島が誤解しているだけで、真実は両親が青島の知らないところでは鬱々とした想いをかかえていたのかもしれない。

 好きだから結婚する。嫌いなれば別れる。ひどく現実的で単純な問題だ。だが、両親は仲が良かったと信じている青島に、それを面と向かって言うことに、陽希は躊躇ちゅうちょした。

 本当にこの考えはあっているのか? 百パーセント自分の考えが正しいという自信があるか?

 悪戯に青島を傷つけて終わりやしないか。そんな思いが過って、口が重たくなった。

 言い淀む陽希に、青島が身を引こうとしているのが分かった。

「話を、してみたらどうかな? その、家族だって話をしないと理解なんてし合えないって教えてもらって……それで、俺も頑張ろうかなって……だから、青島くんも、」

 咄嗟に引き留め、焦るままに口をついた。帰ってきたのはひどく淡々とした声だった。

「お前は親と話したのか?」

「あ、いや……俺もまだなんだけど……」

 両親の間にはなにか誤解がある。そう察してはいても、尻込みして決定的な行動はできないでいた。

「出来ないことを、人に言うなよ」

 冷えた怒りの声に、陽希は息が詰まった。

 怯んだように力が抜け、その隙に青島は背中を向けてしまった。陽希は追いかけて引き留める気力も言葉もなく、ただ呆然と見ていることしか出来なかった。

 それが悔しかった。なにも出来ない自分が悔しくて、そしてそんな自分に腹が立った。

(なに言ってるんだ、俺ってば……!)

 簡単にできることじゃない。だから、陽希だって両親に切り出すことも出来ずにいる。それなのに、あんなふうに青島に簡単に言ってみせて……。

 最低だ。自己嫌悪のあまり恥ずかしくてたまらなかった。

 悔しい気持ちをどうにか堪えるように、陽希は膝を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

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