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第5話

 陽希と青島はクラスも違うし、意識しなければほとんど会うこともなく一日が終わってしまう。

 あの恋人ごっこの誘いに頷いた翌日。陽希はなにも変わらない学校生活に、もしかして夢だったんじゃないかと疑った。けれど、放課後になって帰ろうとしたところで青島に呼び止められ、昨日のことは現実だったのだと改めて思い知ったのだ。

 当然のように隣に並んで歩き出したので、そんな彼の態度に、陽希は今日も一緒に帰ってくれるんだ。と心がふわりと浮いて嬉しく思った。

 青島は駅近くの喫茶店でアルバイトをしているらしい。学校が終わってすぐにシフトを入れているので、出勤日は自転車で来ているのだと教えてくれた。

(昨日バイトがあったから急いでたんだ……)

 それなのに家まで送ってもらって悪いことをしてしまったな、と思う。だが一方で、そんな大事な予定があっても陽希との時間を作ってくれたことが嬉しい。

 驚くことに、青島はバイトを入れていないのは火曜と金曜だけらしい。その二日間なら歩いてきているから、ゆっくりと一緒に帰れると笑っていた。

(そこまで、無理して一緒に帰らなくてもいいのに……)

 微笑み返しつつ、そんなことを思ってしまう。

 たしかに恋人ごっこの申し出は青島のほうからだったが、これでは一方的に負担を強いているようで申し訳ない。それとなく無理しないでねと言ったものの、どこまで彼に伝わって分からない。

(昨日はけっこう無理してくれてたんだ)

 きっと、陽希を送り届けたあと、急いで道を戻ったのだろう。だって陽希の家は、駅とは反対方向なのだから。

 嬉しい。同時に、どうしてそこまでとも思ってしまう。

 青島が優しいと言っても限度があるじゃないか。

(そういえば、俺の名前知っててくれたな……)

 並んで歩きながら、ふと思い出した。

 彼は自然と陽希のことを「稲葉」と呼ぶ。いくら集会などで顔を知ってたって、名前まで覚えていると言うことは、彼の中で自分がどこか気にかかる存在だったということか。以前から青島を知っていた身としては、嬉しくなった。

 校門を出て、陽希一度は青島を呼び止めた。

 さすがに徒歩で自宅まで送ってもらうのは気が引けたので、彼の自宅の方角を訊き、二人の通学路の重なる範囲で一緒に帰ることにした。

 学校から陽希の自宅までの中間地点に、個人経営の精肉店がある。青島はそこで大通りに向かって帰るらしく、陽希はそのまま住宅街を進むので、その分かれ道まで――と二人で決めた。

 道中はたわいもない話ばかりだった。主に学校での課題や試験のことなど。

 今まで友人らしい友人もいなかった陽希は、どうやって話を盛り上げていいのか分からない。頷くだけだったりと話がすぐに終わってしまう。けれど、口数が少ないとばかり思っていた青島が、あれこれと話を振ってくれるから緊張も解けて、精肉店に差し掛かるころには、笑いながら自然に話が出来ていた。

 それじゃあと名残惜しく思いつつも別れようとしたが、青島が精肉店のほうを見て、不意に「ここのコロッケ美味いぞ」と呟いた。

 なんでも青島は、よくこの店に買い物に来るらしい。

 突然のことに戸惑いつつ頷くと、青島は少し動揺したようだった。なにか探すように視線を揺らして、今度は腹減ってないか? とおずおずと訊ねてきた。

 そういえば、もう夕方だし小腹が空いたかもしれない。

 お腹に手を当てて、「そうかも」と曖昧に肯定すると、彼の表情が少し明るくなった。

「なら、一個食って帰ろうぜ」

 言いながら、青島は陽希の手を引いて精肉店に入る。小さな個人経営のその店の自動ドアをくぐると、すぐ正面に冷蔵のショーケースが置かれていた。その向こうでは、入店のベルに気づいた女性が「いらっしゃい」とよく通る声で笑った。

 このお店は、その恰幅のいい女性一人で切り盛りしているらしい。

「おばさん、コロッケ二つちょうだい」

 部位ごとに並べられた精肉用のショーケースの隣には、唐揚げやとんかつなどの揚げ物が置かれていた。その中でコロッケを指さした青島が頼むと、彼の顔を見た店主の女性は、あらと眼をしばたたいた。

「俊也くんじゃない。今日も夕飯の買い出し?」

 顔見知りらしい店主の言葉に、青島は「今日はただ小腹が空いたから寄っただけ」と首を振った。

 彼女がコロッケを取り分けている間にこっそり教えてもらったが、青島は小さいころから買い出しでよく来ているから覚えられているとのことだ。

 青島の両親は、彼が小さいころに離婚しているらしく、母親が仕事から帰るのが遅いときはここで惣菜を買って食べていたらしい。

 彼はなんてことない顔でさらりと言った。だが、ほんの束の間、彼の瞳にはたしかに暗い陰が落ちていた。

 思わず陽希が呼びかけようと彼の肩に触れる直前。お待たせと賑やかな店主の声に遮られてしまった。

 青島のことが気になりつつも、にこやかに差し出されたコロッケを前に、陽希は礼を言って受け取る。

 二人揃ってちょうどの金額をトレーの置くと、これまたよく通る声で「まいどお!」と女性が笑った。

「熱いから気を付けるんだよ!」

 背後からかけられた声にぺこりと頭を下げて退店し、二人は車通りもない眼の前の道ばたで並んで食べた。

 渡されたコロッケは確かに熱々で、猫舌の陽希は一口かじる前に口を離してしまった。

「あ、あふい……!」

 猫のように肩を跳ねさせて驚き、舌先を出しながら冷ますように息をする陽希を、隣の青島はコロッケを頬張りながらむせるように笑っていた。

「は、はは! 大丈夫か?」

 そう言う青島も、はふはふと息を吐きながらコロッケを味わっていた。

 笑われて、反射的に恥ずかしくて頬に熱がのぼった。けれど、いつもすました顔の青島が年相応に表情を崩して笑っている姿を見ていると、なんだか良いことをした気分にさえなった。

 今度は念入りに息を吹きかけて冷ましたコロッケを、そろそろと小さく食む。それでもやっぱり熱かったけれど、さっきよりは幾分もマシだった。

 ほくほくのじゃがいもの甘さが、熱気と共に口の中に広がって、途端に陽希は言葉にならない歓声をあげた。

「おいしい!」

「だろ?」

 自慢げに笑う青島は、なんだか幼く見えて、陽希もつられてへらりと笑ってしまう。

 友達とこうして買い食いなんてしたのは初めてだと言うと、青島は驚いたあとに

「初めてか」

 と青島は口の中で聞かせるつもりのない声で呟いた。そして「ならよかった」と微笑んだ青島はしみじみと喜びを感じているようで、なぜだかこそばゆい気持ちを覚えた。

 じんわりと熱くなった頬に、陽希は温くなったコロッケをぱくぱくとついばんだ。

(誰かと一緒に帰る通学路も、寄り道も、買い食いも……全部青島くんとが初めてだ)

 教室で過ごすとき以外、陽希の周囲に人がいることなんてなかった。昨日までは、そうだった。

 一日経っただけなのに、今まで一度は夢想したことがどんどん現実になっていく。

(変なの……俺ってば、青島くんにひどいことしたのになんでこんなに幸せなんだろ)

 それはきっと、青島が優しくて温かい人だからだ。

 思っていたより饒舌で、子どもみたいな笑顔も見せる。ただ眺めていたときには知らなかった、年相応な男の子。

 たかが会ったばかりのごっこ遊びに相手にだってこんなに親切な人。本当に自分の大事な人になら、どれだけ温かく愛するのだろう。

 彼が愛し合う人と微笑み会う姿を、陽希は容易に想像出来た。そしてふと疑問が湧いた。

 どうして青島の赤い糸は誰ともつながっていないのだろう。

 彼が愛のない人間には、到底思えなかったのだ。

 昨日の夕方、彼は糸のつながっていない人のことを――自分のことを、ろくでもないヤツだと言っていた。

 陽希が、自分は愛をもらうことも与えることも出来ない人間だと思い知ったように。彼にもなにか、そう思うようななにかがあったというのだろうか。

 こくりと最後の一口を飲み込みながら、陽希はその疑問に背中を押されるように青島を見上げた。けれど、面と向かって訊ねることも出来ず、二人はそのまま手を振って別れた。

 あったかいコロッケが、腹の中でも熱を持っているように感じる。初めてづくしの帰り道に、高揚と充足感を覚えて心臓がトクトクといつもより速く音を刻んだ。けれど、その逸るような気持ちの裏でそっと、青島への拭えない不安が陰を落としていた。

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