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第27話

 夕方にさしかかった商店の並ぶ通りには、自宅へと足早に歩く人が多い。

 近くの住宅からは、夕餉のいい香りがふわりと香ってリシャーナの腹を刺激した。

 夜も営業している酒場や宿場以外の店は、そろそろ店じまいを始めるころだ。

 少し早足で人の間をすり抜けたリシャーナは、軒先でバケツを片付けている女店主に向かって声をかけた。

「すみません。今日、お花をいただくことはできますか?」

「はいはい――って、リシャーナ様じゃないですか!」

 振り返ってリシャーナを認めると、店主はおおげさに驚き、笑って中に入るように促す。

「あらあら。今週もいつも通り明日来られるかと思って、今日はご用意が出来てないんですが」

「急に来てすみません……勝手ですが、今日孤児院に向かおうかと思っていて……あ、もちろん明日の分も代金はお支払いします」

「いえいえ、そんなお気になさらず……」

 と、女性は店内にチラリと目をやった。

「今日は売れ行きが良かったもので、残ってる種類が多くはありませんがよろしいですか?」

「もちろんです。ここのお花はどれも綺麗ですから……子どもたちもいつも喜んでますから」

「ふふ、それはお花じゃなくてリシャーナ様が来てくれるからだと思いますよ」

 残っていた花からいくつか選んで手に取った店主の言葉に、リシャーナは控えめに笑って返した。

 少しお待ちください、とカウンターに戻って作業する店主の傍ら、リシャーナは用意してくれた椅子に座ってぼんやり店の中を見渡した。

「そういえば子どもといえば、前はよく広場のほうで集まって遊んでるのを見ましたが、最近めっきり見なくなりましてね」

「子どもたちですか?」

「ええ。まあ、ほかにちょうどいい遊び場でも見つけたんでしょうけど」

 リシャーナが手持ち無沙汰にならないように、店主は手を動かしながら言った。

 その言葉に、リシャーナはふと外に目を向ける。

(たしかに子どもの数が少ない気がする……)

 ここらへんは貴族街からも離れて平民がよく通う商店通りだ。

 おつかいを頼まれた子や、友達と遊んで駆けている子どもを見ることも多い。しかし、今は日暮れ間近ということを考えても子どもの姿が少ない気がした。

(子どもたちで集まって遊べるところなんて、広場かあとは孤児院とか国の運営する広い敷地だけど……)

 ほかに子どもたちが集まるような場所なんてあっただろうか?

 リシャーナが考えこんでいると、綺麗に束ねられたブーケがそっと差し出された。

「今日もすごく綺麗ですね」

「いえいえ。これもリシャーナ様がうちをご贔屓にしてくださってるおかげですよ。貴族様が買いに来るってんで、うちに来てくれる人が多いんです」

「少しでも力になれているなら嬉しいです」

 ブーケを胸に抱くと、ふんわりと花の柔らかい香りが鼻腔を通った。

 閉店間際に面倒をかけたと少し多めに金を渡せば、店主は恐縮しつつありがたいとかしこまって受け取ってくれた。

 店を出る頃には日は半分ほど沈んでいた。孤児院に着くころには暗くなっているかもしれない。

(花を渡して子どもたちの顔を見たらすぐに帰ろう……)

 夕飯やら風呂やらと夜はやることが多いだろうし、職員の手を煩わせるのも忍びない。

(それと、明日は来られないって伝えておかないと……)

 本来であれば休日である週末に訪れる予定だが、その日はユーリスだって孤児院にやってくる。

 いつもならユーリスが子どもたちに朗読をして、リシャーナは職員の手伝いや年少の子の寝かしつけをしたりするのだが――。

 今はどんな顔して会えばいいか分からない、とリシャーナはほんのりと熱を持った頬に手を当てた。

 外の風で冷えた手が、心地よい。

「本当なのかな……気持ちが変わらないって」

 リシャーナはユーリスの言葉を思い返す。

 生まれた世界が違うなんて理由じゃ、人が誰かを愛さない理由にはならない。ユーリスはたしかにそう言った。

 リシャーナの事情を知ってもなお、そう言ってくれた彼のことなら信じてもいいんじゃないか。

 心の中で自分がそう囁く。その一方で、信じ切れずに怖がっている気持ちもあった。

 信じたい。けれど、信じ切れない。

 リシャーナはずっと同じ場所で二の足を踏んでいる。

(例えユーリスの気持ちが本当だったとして、この世界はゲームの中のお話で……それを異物が受け取ってもいいのかな)

 本来現代の知識を持った人間なんて、存在しないだろう。そのリシャーナがこの世界の人と結ばれてもいいんだろうか。

(サニーラだって誰とも付き合ってる様子はないし……私の知っている話とずれてきてる……)

 もやもやと絡み合った複雑な胸中で孤児院への道を歩いていると、目の前の通りを慌ただしく走る人影を見た。

(……サニーラ?)

 一瞬のことでよく見えなかったが、彼女によく似た背格好だった。

 しかし、サニーラは養子とはいえ今は男爵令嬢だ。その肩書きの重さをサニーラはよく理解しているし、こんな街中で脇目も振らずに走るような真似をするはずがない。

 気のせいだったのかな。そんなふうに思ったリシャーナが角を曲がると、小さな影が飛び込んで来て勢いよくぶつかった。

「大丈夫!?」

 ぶつかってひっくり返った子どもに、リシャーナは慌てて膝をつく。

「いってえ……ご、ごめんなさい……って、リシャーナ!?」

 尻餅をついた子どもが顔を上げると、リシャーナを見て目を見開いた。見知った顔に、リシャーナも目をしばたたく。

 あとから走ってきた子どもたちも、足を止めてリシャーナに驚いた。

「リシャーナ様! どうしてここに?」

「シャンシーのほうこそ――ああ、カイリ大丈夫?」

 倒れたまま驚いていたカイリに手を差しだしたが、彼はハッとした様子で「大丈夫でだよ」とリシャーナの手を借りずにわたわたと立ち上がった。

 よく見ると、孤児院だけでなくカイリたちと同じ年代の街の子どもまで交じっている。

「こんな時間に慌ててどうしたの?」

 そう経たずに日が暮れて真っ暗になる。孤児院の買い出しは明るい昼間にするはずだし、子どもたちは荷物も持っていないから違うのだろう。

 暗くなれば職員の人たちも心配する。それはカイリたちだって分かっているはずだ。

 それほど緊急事態なのかと目線を合わせて問えば、シャンシーが身を乗り出した答えた。

「あのね、友達が――コロンたちがまだ帰ってきてないの」

「コロン?」

 どこかで聞いた覚えのある名前だ。

「そう。あいつんちの祖父ちゃんが探してて……ほかにも何人か帰ってきてないやつがいるんだ」

「それでみんなで探してたのね」

 たしかにこの時間まで帰ってきていないとなると、心配になるのも分かる。納得したリシャーナに、子どもたちが意味ありげに目配せし合った。

「コロンたちね、多分占い小屋にいると思うの」

「占い?」

 昼間のネノンとの不穏な話が蘇り、リシャーナはドキリとした。

 訊き返すと、子どもたちはこそこそと声をひそめながら控えめに頷く。

「あそこでたまに子どもを集めてるんだよ。なんか仕事をくれるんだって」

「コロンたちはそこに行ってたの?」

「ああ。なんか花を見てるだけで金がもらえるって喜んでたぜ」

 そんな仕事うさんくさいだろ? と、カイリはムスッとした表情で苛立ちを現した。どうやら、以前から友達のその行動を止めようとしていたらしい。

「でも大丈夫かな……コロンたち、あそこに行き始めてからなんかいつも元気ないし……」

「だから俺らが今から迎えに行くんだろ」

 シャンシーが顔を曇らせると、励ますようにカイリが肩を叩いた。ほかの子どもたちも、口々にカイリに同意して不安をなくそうしている。

 そんな子どもたちとは裏腹に、リシャーナの心臓は冷えたように脈打っていた。

 元気がないというのは、十中八九魔力を取られているからだ。さすがにネノンの友人のようにふらふらになるまで吸い取られてはいないようだが、お守りはもらっていないらしい。

(貴族はお守りを高く買ってくれるけど、平民の子どもじゃそうはいかないからか……)

 だからこそ、仕事と称して魔力を吸い取り、小銭を渡しているのだ。お守りを渡すよりもよほど安上がりだから。

 それにしても――と、リシャーナは顎に手を当てた。

 花を見ているだけ、とはどういうことだろう。そういえば、ネノンの友人もいい匂いのする部屋に通されたと言っていた。

 もしかしていい匂いというのは花の香りのことだろうか。

(花と魔力……?)

 難しい顔で黙ったリシャーナ越しに、カイリが通りの向こうを見た。

「あ、あの姉ちゃん見えなくなっちまったぞ! 俺らも早く行かないと」

 駆け出そうとした子どもたちを、リシャーナは腕を広げて留めた。リシャーナの腕に抱き留められたカイリは、日焼けした肌を真っ赤にして硬直した。

「誰かと一緒だったの?」

「うん。コロンの家によく来てる金髪のお姉さんとちょうど会って、帰ってこないって言ったら真っ青になっちゃって」

 心配だから早く追いかけないと、とシャンシーが言うので、リシャーナはどこかぼんやりした頭のまま子どもたちに言い聞かせた。

「よく聞いてくれる? もう暗くなるから施設の人も親御さんも心配するでしょ? 私が代わりに占い小屋に行くから、ほかの大人の人を呼んできてくれる? 出来れば警備兵か騎士団の人がいいわ」

 難しい顔で言ったリシャーナに、途端に子どもたちの顔にも不安や怯えがのった。

「リシャーナ様、一人で大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ。その金髪のお姉さんもいるし、シャンシーたちがほかの大人の人を呼んでくれれば、なおさら心配する必要なんてないわ」

 ああ、どうしてすぐに気づかなかったんだろう。

 子どもたちに言って聞かせながら、リシャーナは悔やんだ。コロンという聞き覚えのある名前――それは、サニーラの死んだ弟に瓜二つの子どもの名前だ。

 両親を亡くし、足の悪い祖父と貧しい暮らしをしているところをサニーラが見つけ、よく面倒をみているのだ。

(あれはやっぱりサニーラだったんだ……)

 血相変えた様子の人影を思い出し、リシャーナの胸に焦燥が浮かぶ。あの勢いで走って行けば、サニーラはそうかからずに占い小屋に辿り着いてしまう。

 あの団体の目的はまだ分からない。ただ単に欠乏症状を利用してお守りに依存させてお金を稼ぎたいだけなのか……それとも魔力を集めてなにかよからぬことをしようとしているのか。

 とにかく魔力を豊潤に宿したサニーラが一人でいってなにかあったら大変だ。早く追いかけないといけない。

「シャンシー、カイリ、お願いできますね?」

 立ち上がり、花束を預けて念を押すように言えば、代表した二人は躊躇いがちに頷いた。そうして子どもたちが帰って行く姿を見て、リシャーナは大急ぎでサニーラの後を追いかけた。

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