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第25話

 長机の上に広がった実験器具を前に、リシャーナは手袋とゴーグルを外し、ふっとひと息ついた。

 すると、図ったようなタイミングで扉がノックされ、返事をすると同時に赤毛の女性――ネノンが複雑そうな顔で現れた。

「お昼行くけど、リシャーナはどうする?」

「私はもう少し経ってから行きます」

 部屋に備え付けられた時計をチラリと見て答えれば、ネノンはそれを分かっていたように肩を竦めた。

 そのまま部屋の中に入ってくると、実験器具の並んだ机を見て渋い顔をした。

「いつまでこの生活続けるの?」

「それは……」

「毎日律儀にこの量の器具と資料を持ち運んでまでここでやらなきゃいけないの?」

 ここ――と、ネノンは指を真っ直ぐ下に向け、二人がいるこの部屋――図書館の学習室を示した。

「……すみません。もしかしてほかに利用者が?」

「今は試験期間でもないからさほど混んでないけど……そういうことじゃないでしょ」

 ネノンはムッとした顔で、眼鏡の奥の瞳がわずかな苛立ちを宿してリシャーナを見た。

 図書館には、学生や職員問わず自由に利用できる個室がいくつも存在する。学生たちの勉学スペースとして利用されることが多いため、便宜上「学習室」と呼ばれてはいるが、教職員の会議などで使用されることもある部屋だ。

 建国祭を終えてから一瞬間。リシャーナは今、その一部屋を借りて自身の研究を進めていた。

 部屋の中はシンプルなものだ。広さによって置かれている備品に多少の差はあれど、基本的には長机と椅子、そして黒板のみ。それ以外に必要なものがあれば利用者が各々持ち込むことになっている。

 一応実験内容などはネノン含む管理人に申請を出し、ここで行っても問題はない判断されている。そのため周囲に迷惑をかけるようなこともないのだが――。

(いや分かってる……ネノンが言いたいのはそういうことじゃないって……)

 わざと的外れなことを言った自覚があるだけに、ちくちくと刺さる視線が後ろめたくてつい逸らしてしまう。

 頑固な子どもを前にしたように呆れまじりのため息をつかれ、さらにギクリとした。

「ユーリスとなにかあったの?」

「えっと……」

「彼に会いたくないからここに来て研究してるし、お昼の時間だってわざわざずらしてるんでしょう?」

「それは……」

 自分の行動が不審に思われると分かっていたが、ここまでズバズバと言い当てられると言葉に詰まってしまう。

(告白のことを話したら、もっと深い事情を言わなきゃいけなくなるよね……)

 前世のことを省き、彼から思いを告げられて顔を合わせづらい。なんて言ったら、ネノンはきっとリシャーナが答えられないが故に悩んでいると思うだろう。

 そして、こうまでリシャーナが逃げ回っているのだから、ユーリスがよほどしつこく言い寄ったり答えを強要している。などと誤解するかもしれない。

(本当は私の問題なのに、ユーリスへの変な誤解は避けたい)

 しかし、少しでも掻い摘まんで話せばネノンは友人を思うが故に頭を働かせるだろう。そして逃げるように行動するリシャーナを見て、ユーリスに疑念を向けるだろう。

 それぐらい自分の逃げっぷりが不可解極まりないことを、リシャーナはしっかり認識していた。

 結局なにも言えず黙ったままのリシャーナを前に、ネノンは呆れと苛立ちの中にふと心配の影を見せた。

「ねえリシャーナ、本当になにがあったの? 私には言えないの?」

 もしかしてユーリスになにかされた? と訊かれ、咄嗟に激しく首を振る。

「本当にごめんなさい……でも、彼のせいじゃないの。これは私の問題だから」

 建国祭を終えてから、いまだにユーリスとは顔を合わせていない。一応彼にはしばらく休みでいいとヘルサを経て伝えてもらったのだが、ちゃんと研究室に来ては資料をまとめたり、掃除をしたりしているらしい。

 真面目な彼の性格がそうさせるのか。それとも――。

(私を待ってるの……?)

 その可能性が頭を掠め、とくんと心臓が甘く疼いた。ぽっと頬が熱を持って我に返り、慌てて頭の外に吹き飛ばす。

 慌ただしく動揺するリシャーナをじっと見ていたネノンは、ふと長く息を吐いた。

「まあユーリスとなにかあったのは確かみたいだけど、私が思ってるようなことじゃないみたいだからいいや」

 安堵したのか、ストンと肩を落としたネノンは、リシャーナの向かいに置かれたもう一つの長机に後ろ手に両手を置き、そっと寄りかかった。

 そのとき、不意にネノンの腰のベルトについた装飾品に目がとまった。

「ネノン、それはどうしたの?」

 髪をとめるバレッタ以外に装身具をつけているのが珍しく、つい訊いてしまう。と、ネノンも今気づいたように「ああ」と頷いた。

「建国祭で占いに行こうって言ったの覚えてる?」

「ええ。最近街で流行ってるって言ってたわね」

「建国祭の日は仕事が休みだったから、せっかくと思って一人で行ってきたの」

 これはそこでもらったんだ。と、ネノンはベルトにつけていたストラップを外して目の高さに掲げて見せた。

 細い紐の先には、キラリと光る小さな鉱石がついている。その輝きに見覚えがある気がして、リシャーナはわずかに身を乗り出した。

「流行ってるだけあって結構繁盛してたよ。貴族用に個室も用意してあるみたいだったけど、私はなにも言わず街の人が行くテントに行ったの」

 大きなテントの中には占い師が何人もいて、一対一で見てもらえるらしい。しかし、それぞれの仕切りはカーテンを引いただけの簡易的なもので、たしかにここじゃ貴族は話は出来ないだろうと納得したとのことだ。

「思ってたよりも結構規模が大きいから驚いたな。どこかの商人が思いつきで始めたのか、お金に困った平民がやり出したのかとも思ったけど、ちゃんと貴族のことも理解してないとあの作りにはしないもの」

「それなりに大きく組織化されているってことでしょうか?」

「うん。少なくとも貴族が関わってるのはあると思う」

 貴族が関わっているのに、その事業主が一切不明というのも珍しいものだ。あれだけ繁盛して王都で一躍ブームを引き起こしている事業となれば、その貴族が――出資者だか発案者だか分からないが――社交界などで声高に話をしないはずがない。

 もしかして知られたくない理由でもある?

 よからぬ方に思考が流れそうになり、リシャーナは慌てて振り払おうとしたが、そんな不安を感じとったようにネノンが声を潜めて言った。

「誘ったのは私だけどさ、行かない方がいいと思う」

「どうしてです?」

「少しきな臭いから」

 難しい顔で言ったネノンに、リシャーナの心にも暗雲が立ち込めた。

「どうもさ、あそこ占いは繋ぎでしかないみたいなんだよね」

「繋ぎ?」

「うん。占いは人を集めるための手段で、目的は別にあるってこと」

 やけに確信した顔で言うので、「どうしてそう思うんです?」とおずおず訊ねた。

「占いに行く人って、悩んでたりなにか占って欲しいことがあるから行くわけじゃない? それでね、どうやら占いにきた人に必ず最後に声をかけてるみたいなの」

 曰く、あなたのその悩みは魔力に悪い気が溜まっているからで、一度魔力を抜いて生まれ変わることで解決する――と。

「魔力に、悪い気……?」

 思わず呆けて繰り返したリシャーナに、ネノンが「そうなるよね!」とおかしそうにクスクス笑った。

「私は断って帰ってきたんだけど、そしたらお守りにってこの小さいストラップをくれたの。魔力を入れ替えて生まれ変われば、さらに加護のついたお守りがもらえますって宣伝付きで」

「つまりこれはお試しってことですね……」

 ネノンの手元のストラップ――鉱石をじっと見つめ、「それで、お守りの効果はあったんですか?」とリシャーナは顔を上げた。

「いやあ、これと言って思いつくことはないけど……強いて言えば、ここ最近寝不足だった体が軽くなったぐらいかな」

「ですが効果がないものは渡さないですよね……お試しで良いものだと思ってもらって、次に繋げるのが目的でしょうから」

 リシャーナはストラップを受け取ってまじまじと見た。

 どこにでもありそうな組紐に、小さな鉱石。特別値打ちがあるようには思えない。

 ありがとうと、一旦ネノンにストラップは返した。

(体の不調がとれたのがこのお守りのせいなら、医療魔法が適用されるような魔道具とか……?)

 思いついて、しかしすぐにいやと考え直す。

 人の手で行う医療魔法でさえ、時間と魔力の消費が大きい。かすかな魔力しか感じないこのストラップに、そんな大層な魔法がかかっているはずがない。

(そもそもそんな希少なものを、お試しなんかで渡すはずないし……)

 考え込むリシャーナに、ネノンがそういえばと付け加えた。

「ちょうど私が平民用の占いテントから出たときに、知り合いの令嬢が貴族の館から出てきたんだけど、その子は魔力の入れ替えまでしたみたい」

「……魔力の入れ替えなんて、本当に可能なんですか?」

 半信半疑で問えば、ネノンは大きく肩を竦めた。

「私も気になって聞いてみたの。でも、いい匂いのする奥の部屋に通されてそのまま寝ちゃったんですって。起きたときには終わっていて、お守りの鉱石をもらってたって言ってたわ」

 こんなに大きいのよ? と、ネノンは指の隙間で大きさを表現した。大きさはピンポン球ぐらいだ。たしかに魔力の入れ替えをした者全員にそれだけの大きさの鉱石を持たせているのだとしたら、やはりそれなりに大きな貴族の家が背景にいそうだ。

「新しい魔力が馴染むまでは大変みたい。真っ青な顔でふらふらしながら歩いて行くから心配だったけど、お守りを持ってると気分がいいんだってすごく喜んでた」

 青白い顔をしているのに、やけに興奮したようにハキハキした様子は不気味だったとネノンは自身の二の腕をさすった。

 そんな彼女の話に、リシャーナはふと顎に手を置いて考え込む。

 魔力を消費するのは簡単だ。しかし、他者に魔力を与えたり、与えられたりすることはお互いに身体的な付加がかかるし時間も馬鹿にならない。

(全員に声をかけてるって言うぐらいだから、それだけの人をさばけるだけの設備や人材が確保されてるってこと?)

 ネノン曰くずいぶんと繁盛しているようだし、そこまでいくと国からのバックアップでもないと成り立たないように思える。

(それか、上手く誤魔化してる……とか?)

 令嬢は途中で寝てしまったと言っていた。もし彼女だけでなく、全員がそうだとしたら?

 本当に魔力の入れ替えが行われているかなんて、もしかしたら誰も知らないのでは。

 ふと浮かんだ疑問に、リシャーナは背筋がゾッとした。

 ネノンから聞いた令嬢の様子をよくよく思い返せば、それは魔力の欠乏症状によく似ている。

 たしかに自分以外の魔力を与えられとしても、すぐに体に馴染むわけではない。だからこそユーリスは、森でリシャーナが倒れたとき、時間をかけて少量ずつ魔力を流してくれたのだ。馴染ませる行為は、魔力を送りながらでなくてはならない。

 令嬢のように馴染まない魔力を一気に与えられたのであれば、ふらふらするなんて生やさしい反発なはずがない。

(魔力を取るだけ取って返してないのかな……)

 そんなことをしたら欠乏症状で最悪死ぬ人間が出る。さすがにそこまでの事態にはしないか、と思い直したところでリシャーナは気づいた。

(だからお守りなんだ……!)

「ごめんなさいネノン。もう少しよく見せてくれる?」

「え、うん。いいけど……」

 ひったくるようにストラップを手に取り、リシャーナは鉱石に浮かぶわずかな魔力を見た。

 難しい魔法も術式も刻まれていない。これは、ただ魔力を保有した石でしかない。だが、それで十分なのだ。

 欠乏症状を意図的に引き起こし、そこにお守りと称して魔力の宿った鉱石を与える。

 彼女たちは身につけた鉱石から徐々に魔力を吸い上げて回復し、それを鉱石に宿った加護のおかげだと思うだろう。

 経験したから分かるのだ。あの飢餓感も、その最中で与えられた魔力がどれだけ救いであるかも。

 心が満たされるようなあの幸福感は、人を狂わせる。現に、ユーリスはそのせいで正気を失ったのだ。

 ましてや占いに訪れるのは、ネノンの言うように悩みを抱えた者が多い。そんなものが一時とは言えこんな幸福と万能感に包まれたなら、依存するものもでるかもしれない。いや、むしろ販売しているものはそれが狙いなのかも知れない。

(これはいよいよやばい案件なんじゃ……)

 リシャーナたちの手に負える問題じゃない。騎士団に報告し、早急に手を打ってもらわないと死者がでるかもしれない。

 思ったよりも大ごとの気配に、リシャーナは顔を白くしてネノンにストラップを返した。リシャーナのその紙のような顔色に、ネノンもぎこちない笑みが浮かぶ。きっと彼女もうすうす気づいていたのだろう。なにやら良くないものが蔓延っていると。

「やっぱり、通報した方がいいよね……?」

 おずおずと訊かれた言葉に、リシャーナはこくりと深く、確実に頷いて見せた。

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