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第22話

 建国祭の当日は、よく晴れた日だった。

 昼間は街の至る所で民衆の沸き立った声が響き、カラフルな紙吹雪が舞い散った。

 日が暮れてくると、今度は貴族たちの時間である。

 装飾の施された見事な馬車が何台も王宮へ向かっていく。そのうちの一つに、リシャーナとユーリスが向かい合って座っていた。

 王宮が近くなり、招待状を確認したリシャーナはふと正面のユーリスを見た。

 白のシャツと蝶ネクタイに、漆黒のベストとテールコートを纏った彼の姿はとてもシンプルなものだ。けれど、光沢のある黒い布地に施された金の刺繍が、上品な華やかさを出していた。

 給金を先日の本屋の古代書で使ってしまったと困っていたユーリスに、誘ったのはこちらだからと説き伏せて礼服を用意したのはリシャーナだ。

 本当は貴族と並んでも見劣りのしない華やかな礼服を選んであげたかったが、当人であるユーリスにシンプルな黒の燕尾服でよいと言われてしまったのだから仕方がない。

 受け取ってもらえただけでもよかったと思おう。そう納得しつつも、どうしても心配は胸に残った。

 貴族はもちろん華やかな装いで訪れるだろうし、招かれた平民出身者だとてここまで型にはまった燕尾服など着ないだろう。

 もちろん素材は上質なものを使わせたが、いかんせん地味すぎる。リシャーナはそう思っていたのだ。

 だが、服というのは不思議なもので、纏う人によってその魅力が大きく変わるらしい。今日、リシャーナはそのことを十分すぎるほどに思い知った。

 王宮に徒歩で向かうことは出来ないので、馬車を出すことにしたのだが、ユーリスの住む平民街の狭い道を馬車で抜けるわけにはいかない。

 しかし、明らかに高級品である衣装を纏ったユーリスを、一人で歩かせることも出来ない。

 かといって、ハルゼラインの使用人の目がある王都の邸宅にユーリスを招くことも憚られた。

 どうしようかと悩んでいたところを、リシャーナと同様に招待を受けていたヘルサが自分の邸を使うといいと声をかけてくれたのだ。

 未婚の妙齢の女性が一人で男性貴族の邸に行くなど、本来であれば控えるべきだ。しかし、その日はパートナーとして参加する夫人も一緒に出迎えてくれるというし、ヘルサであれば研究室繋がりでいくらでも言い訳は立つ。

 そこで、ユーリスはヘルサ宅で着替えなどの準備を済ませ、後からリシャーナが準備した馬車に乗ってユーリスを迎えに行くことになった。

 ユーリスの衣装は、王都にある貴族御用達のテーラーにお願いして作らせたものだ。採寸などには付き添ったが、実際にユーリスが纏った姿を見るのは当日が初めて。

 一度馬車を降りてヘルサと夫人に挨拶をしようとしたとき、一緒に現れたユーリスの姿にリシャーナは見惚れたものだ。

(ほんと、こんな様になってるなんて……)

 もっと着飾ったらどうなってしまうのだろうか。リシャーナは感嘆と同時に、ほんの少し恐ろしくもなった。

 いつもなら瞳を隠すほど長い前髪は、器用に半分は後ろに撫でつけられ、もう一方は緩く耳にかかっていた。

 惜しみなく晒されたその美しい容貌はもちろんのこと、華奢ながらも男性だと分かるしっかりした肩幅。締まったウエストから長く伸びた足に沿う黒いスラックスの輪郭はため息が出るほど上品だ。

 なにより一縷の乱れもなくスッと伸びたたるみのない姿勢は、見ているこちらの背筋さえ自然と伸びるように品があって優雅だ。

 ほお、とリシャーナは気づかれないように何度目かのため息をついた。

 (ユーリスってこんなに綺麗だったっけ……)

 もちろん美しい造形をしていることは百も承知だった。昔からこの美しい男の横に立つことは、どこか見劣りするようで嫌だった。

 けれどそれは、まるで美術品に息を呑む感覚とよく似ていた。今みたいに心臓がうるさく高鳴ったりはしない。

(やっぱりフード被ってもらってた方が良かったかも……)

 人の視線が気になるなら無理をしなくてもいい。リシャーナはそう伝えたのだが、ユーリスがそれでは悪目立ちするからと首を振られた。

 同様の理由で、彼は手首のバングルも外していた。

 試作品だからとシンプルすぎる無骨なデザインだったので、礼服には合わないと判断されたのだ。

 キッチリとした品のある姿に、たしかにあのバングルはノイズとなるだろう。それは理解できるが、リシャーナはあのバングルがユーリスにとってどれだけ大事なものかもよく知っていた。

 心配になって訊ねてみても、ユーリスは存外あっさりした顔で、「きみがそばに居てくれるなら大丈夫」としか言わない。

(なんの根拠があってそんなこと言うんだろ……)

 あんまりに早く動く心臓に、リシャーナはひと息つきながらユーリスから目を逸らして馬車の窓を見た。

 陽の落ちた外の暗い闇に、車内で照明に照らされたリシャーナの姿がくっきりと映っていた。

 黒曜石のように艶やかな長い黒髪は、今は編み込んで綺麗に後ろでまとめている。

 瞳の色とよく似た藍色のドレスはシンプルなデザインだが、スカートの表面を覆う上質な白いレースによって軽やかな印象になり、少女然とした華やかさをもたらしていた。

 ハイウエストで、かつくびれに沿うようにきゅっと締まった腰からふわりと曲線を描いて広がるスカートの華やかな柔らかさは、自分自身も着ていて心が弾むものだ。

 馬車の窓に映る今世の両親によく似た少女は、落ち着いた黒髪と深い藍色の瞳によって神秘的な美しさを持っていた。

 美人であることは、喜びべきことのはずだ。この姿なら、ユーリスの隣に並んでも見劣りされることもない。それなのに、ズンと胸が重くなるのは、リシャーナ自身がこれがハリボテであると分かりきっているからだろう。

 どれだけ美しくても、礼儀をたたき込んだとしても、その中身が貴族でもなんでもない異なる世界からの紛れ者――糸田清花なのだから。



 ほどなくして馬車は王宮のパーティー会場へと到着した。

 時計を見ると、招待状に記載されていた開催時間よりほどほどに余裕があった。

 早すぎず、遅すぎず。みな同じようにちょうどいい頃合いを狙ってきたのか、ほかにも何組もの招待客がいた。

 貴族のみの厳粛な夜会においては、爵位順に登城することもあるが、爵位を持たない平民も招待されている今回はその限りではない。

 晴れた夜空の下に浮かぶ、荘厳とした白亜の建物に目を奪われていると、先に馬車から降りたユーリスが振り返ってそっと手のひらを向けた。

 手を重ねて馬車を降りる。レースの手袋越しに触れた手は、リシャーナと違って硬く骨張っていた。

 こうしてエスコートされるなど、以前にも何度も経験したはずなのに、ドキドキと甘酸っぱい鼓動が全身へと巡る。

 じんわりと熱を持った頬が、冬の夜風に触れて冷える。

「ありがとうございます」

 馬車を降りると、流れるような動作で肘を差し出され、リシャーナも内心の動揺は出さずにするりと腕を組んだ。

 入り口に立つ使用人に招待状を見せる。

「確認いたしました。どうぞお楽しみ下さいませ」

 ゆるりと頭を下げながら中へと促されてユーリスとともに足を向けると、一瞬で世界が変わったような照明の明るさに目が眩んだ。

 さっきまでの夜空が幻だったと思えるほどで、高い天井から垂れた豪勢なシャンデリアから燦々と降る照明に、ピカピカに磨かれた大理石の床。

 集まった人々は彩り豊かな衣装を纏っていて、どこに目を向けてもクラクラするようだ。

(私の部屋が何個入るかな……)

 ハルゼラインのリシャーナの自室だとて、日本の一家族が優に暮らしてしまえそうなほどに大きいのに、この王宮のホールはさらに広い。

 入室した大きな扉から円形に広がった室内は、ちょうど正面に上階へと続く真っ直ぐな広い階段があった。階段をのぼって奥に進めばそこは、高位貴族と王族のみの空間となる。

 こうした平民も貴族も問わず招待されるパーティーでは、国王や皇后などの王族はホールまで下りては来ない。

 二階にある一回り小さいホールで、彼らはそこに置かれた一段高い壇上にて腰掛けるのだ。

 貴族であれば二階に行くことが出来るが、それは伯爵位以上の家格でなくては許されない。そして、王族と話が出来るかも知れない機会を貴族たちが見逃すはずもなく、伯爵位以上の家の者は、決してこの一階のホールに再び下りてくることはないだろう。

 現に、何組も階段を上るペアを見るが、一組とて下りてきたものはいない。

(もう着いてるかな……)

 国王による開催宣言までまだ時間があるので、着いたものは各々お喋りを楽しんでいるらしい。

 それとなく青い目を巡らせて、リシャーナは目的の人物を探す。そして、少しの距離の離れた場所でその人たちを見つけた。

(よかった……まだ二階のホールには行ってなかった)

 事前に手紙を送ってはいたものの、心配ではあったのだ。顔見知りの貴族と向き合って挨拶を交わしている男女――ザインロイツ夫妻の姿に、リシャーナはほっと胸を撫で下ろす。

 そして、組んだ腕をそっと引き、ユーリスの注意を引く。振り返ったユーリスに顎をしゃくると、促された彼も目を向ける。

 瞬間、その人たちに気づいたユーリスの虹彩が小さく見開かれた。

 静かに息を呑んだ唇が閉じる。強く引き結ばれた口許に、ユーリスがこみ上げる感情をどうにか堪えているのがよく分かった。

 挨拶を終えた伯爵夫妻が体の向きを変え、顔を上げた。と、夫人が遠く佇むリシャーナとユーリスを認めて足を止める。

 彼と同じ緑の瞳が驚きと感動で煌めくのが遠くからでも分かった。夫人はすぐに伯爵の腕を引き、リシャーナたちの存在を伝えた。

 短い茶髪を後ろに撫でつけた紳士は、ほどよく厚みのある体にシックなスラックスやベストを身につけており、その佇まいはユーリスの雰囲気とよく似ていた。

 悠然とした態度だった伯爵は夫人の視線を追うようにユーリスを目にとめた矢先、ハッと胸を衝かれたような顔で笑みを落とした。

 両親の視線を一心に受けたユーリスがようやく我に返り、動揺を誤魔化すように目を伏せた。横に流れた瞳とリシャーナが目があう。

 見つめていたことをバレたと焦った気配を出したので、リシャーナは組んだ腕の力を強くして、優しく微笑んで頷いた。

 大丈夫だと。隠すことはないのだと、ユーリスに知らせるように。

 我知り顔のリシャーナに、ユーリスはなぜ両親がこのフロアに留まっていたのかを察した。

 喜びや感動や愛情のような、温かいものがいっぱいに詰まった瞳が微笑むと、リシャーナは不意に泣き出すんじゃないかと心配な気持ちになった。

「ありがとう」耳に吹き込まれるように囁かれた声と同時に、ユーリスは胸を張るように伏せていた顔を上げた。

 直線上に立つ両親をまっすぐに見据え、ほのかに微笑んでからゆっくりと礼をした。

 そのたった一つの動作で、今までの感謝や再会への懐かしさや感動、しかしもう触れることの出来ない淋しさや切なさ――ユーリスの中でない交ぜになった深い感情が読み取れる。

 次いでリシャーナもぺこりと頭を下げた。

 ザインロイツ夫妻も、軽く頭を傾げて頷いたのが分かった。

 四人の邂逅はそれだけだった。顔を上げた後、ほんの数秒見つめ合ったのちに二組はもう素知らぬ顔で招待客の中に紛れた。

 背を向けて離れながら、リシャーナは自分の心がまるで波立たない水面のように穏やかなことに驚いてもいた。

 見舞いに訪れたとき、ユーリスと夫人の深い絆を感じて羨ましいと黒い感情を抱えていた。それなのに今はどうだ。嫉妬心もやきもちもない。あるのはただ純粋なユーリスへの良かったねという客観的な喜びのみ。

 もう自分の心には残っていないのかもしれない、とリシャーナは思った。嫉妬心や怒りは、心に宿るだけでひどくエネルギーを使うものだ。

 メラメラと燃え上がる――などとよく言ったものだが、今のリシャーナにはそんな感情を燃え上がらせるだけのエネルギーがもう残っていないのだ。

 ネノンの結婚観によるショックや両親からの結婚の催促……立て続けに起きた最近の出来事に、自分はとうとうこの世界と自分とをすっぱりと切り離して考えることが出来るようになったみたいだ。

 自分はこの世界では異物だから――それは変えようのない事実であり、自分の辛さを誤魔化すための大義名分でもあったものだ。

 それでもどうしたって淋しさや辛さはなくならなかったから、そういう場面に行き当たれば何度も心の中で反芻してきた。

(それももう必要なくなるのかな……)

 自分の中で、綺麗さっぱり受け入れて揺らぐことがなくなった。リシャーナはどこか違和感を持ちつつも、そう受け入れた。

 そのうち祝祭は予定した時間を迎え、主催者である国王からの祝辞とともにパーティーの開催が宣言された。

 今回は参加者が多く身分も様々だからか、パーティー自体は固く格式張ったものではなく、食事は立食形式で好きに取ってこられるらしい。

 円形の会場の壁面近くに沿うようにぐるりと置かれた白いクロスのかかったテーブルには、温かそうな料理や新鮮な果物が載せられている。

(フロアの中央が空いてるのはダンスのためかな……)

 考えながら、リシャーナはちらりと視線を上げた。

 二階のホールへと続く階段を登り切ると、左右に通路が延びていた。一階ホールを見下ろせるようにぐるりと囲うように広がった通路には、今は楽器をもった演奏家たちが腰掛けている。

 今は会場の雰囲気をひっそりと温めるように音を忍ばせて演奏しているが、しばらく経つとダンスのための演奏が始まるはずだ。

(まあそれまで残ってるか分かんないけど……)

 招待客の中には学生の者もいるし、こういった場になれない平民の者もいる。主催者である国王は祝辞の際に、後は各々楽しんでくれと言っていたし、高位貴族で王族と同じ二階のホールにでもいない限り、帰宅も個人の自由だ。

 会場に到着して早々にザインロイツ夫妻との対面という目的を果たしてしまった今、どうやってやり過ごそうかとリシャーナは悩んだ。

 さすがに始まってそんな時間も空けずに会場を出るのはまずい。

「食事でもしましょうか?」

 リシャーナはユーリスに提案した。

 顔見知りの貴族は軒並み二階にいるだろうが万が一もある。ユーリスもあまり顔を合わせたくはないだろうし、隅にいたほうが落ち着けるだろうと思ったのだ。

「そうだね……なにか食べたい物はある?」

「お恥ずかしながら、ドレスでお腹を締めてしまってるのであまり量は入らなさそうで……」

 おずおずと言うと、ユーリスはパチリと一度大きく瞬き、吹き出すように微笑んで一つのテーブルを指さした。

「あそこのテーブルはどうかな? 果物やゼリーが置いてある」

 それなら無理なく食べられそうだ。リシャーナは乗り気になって頷き、二人でそのテーブルへと足を向けたとき――。

「リシャーナ?」

 思わず、とでも言うように背後から女性の声で呼ばれた。咄嗟にリシャーナが振り返れば、そこには腕を組んだ同世代の男女。

「サニーラ――マラヤンも」

 この場に居る者たちと同じように腕を組んだマラヤンとサニーラの姿に、リシャーナは驚いた。

 マラヤンはその美しい銀髪に合わせたような銀白色のベストとテールコートを。サニーラはオフショルダーの淡いコーラルカラーのイブニングドレスを上品に纏っていた。

 濃い黄金色の髪は緩く巻かれ、露わになった肩の上をふわりと流れる。これまで見てきた姿と違って一見大人っぽく見えたが、ドレスの裾にはフリルがふんだんに使われていて、本来のサニーラの愛らしさを匂わせる。

「リシャーナも呼ばれてたんだね」

 マラヤンとともに近づいてきたサニーラは、リシャーナに笑顔で話しかけつつも強張った目許でユーリスを見た。それで察したユーリスがリシャーナたちから距離を取ろうとすると、慌ててサニーラが引き留める。

「ザイ、ユーリス様、待って下さい!」

 呼ばれたユーリスはそろそろと困惑した顔で振り返った。

「あなたの事情は把握しています。私は大丈夫ですので、ここに居てください」

 大丈夫と言いつつもサニーラの体は固くなっているようだったが、それは怖がっている――というよりは、咄嗟に反応してしまうといった様子で、サニーラももどかしさを感じているみたいだ。

 ここに、と言われたユーリスは当惑してちらりとリシャーナを見た。どうしようと判断を仰ぐような不安そうな目だ。

「彼女がこう言っているのですから、大丈夫ですよ」

 サニーラも無理はしないでね。そう伝えれば、リシャーナの気遣いにふと和らいだ表情でサニーラもこくりと頷く。

「お二人はやはり騎士団関係で招待を?」

「いや、招待を受けたのはサニーラのほうだ。彼女は医療班のなかでもとくに実績を残して注目されているからね」

「じゃあ、サニーラがマラヤンにパートナーをお願いしたんですね」

 リシャーナはつい二人が進展したのかと、前のめりに声を弾ませた。

 目を輝かせたリシャーナの様子に、サニーラとマラヤンは珍しいとばかりにしばたたく。

「知り合いでパートナーになってくれそうな人って思い浮かばなくて……騎士団の中でも交流のあったマラヤンに、駄目元で付き添いをお願いしたの」

「あ、そうなんですね」

 苦笑交じりに言われて、内心で盛り上がっていた興奮がストンと落ち着いた。それは落胆にも近かった。

 ゲームの中では、物語の終盤で学祭のパーティーに出席し、そのときにサニーラが選んだ相手が最終的な恋人となる仕様だった。パートナーの申し出をした攻略対象たちが、自分が選ばれたと分かったときの安堵と喜びの表情がそれはもう美麗なのだと椎名がやや興奮気味に語っていた。

 パーティーでサニーラとパートナーになる。それは二人の関係の進展の象徴だ。

 だからこそリシャーナは、てっきり二人はもう付き合っているものだと思ったのだ。

 そして、それに思っていたよりも落ち込んでいる自分に驚いた。

 いつか二人は親しい関係になるのだから、見守っていればいい。そんなふうに悠長に思っていたのに、二人が腕を組んでいる姿を見た瞬間、咄嗟に安心した自分にリシャーナは気づいてしまったのだ。

 ここはゲームの中の世界だ。それは目の前にいるサニーラとマラヤンが証明している。だが、もっと強く確信を持たせて欲しい――リシャーナは自分がそう願っていることを自覚してしまった。

 サニーラとマラヤンが仲睦まじく寄り添う――そんな決まりきった未来を目にしたい。そして安心したいのだ。

 ――ああ、やっぱりここは異世界なのだ。自分の生きる世界ではないのだ。

 そうしないと、少し前から自分の中に居座りつつある一つの感情が、後戻り出来なくなるような……そんな焦燥を覚えるのだ。

「本当は同じ医療班の先輩に一緒に来てもらうはずだったの……でも、来られなくなっちゃって……」

 不意に瞳に影を落としてサニーラは言った。体裁を保つように笑みが乗っているが、それも無理をしているようにしか見えない。

 考え込んでいたリシャーナも、彼女の普段とは違う様子が気になった。

 まじまじと彼女の目を見て初めて、サニーラの目許に濃い隈があることに気づいた。化粧でも隠しきれない青ざめた顔はとても病的に思え、サニーラには似つかわしくない。

「なにかあったんですか?」

 思わず訊くと、言葉に躊躇ったサニーラに代わってマラヤンが答えた。

「少し前にグスウェルの討伐があったんだが……」

 知ってるかい? と視線で問われ、リシャーナとユーリスが頷く。

「討伐には成功したんだが、やはり被害が大きくてね。残念なことに殉職した者も出てしまった……」

 怪我人においてはすでに治療が終わって元気になった反面、医療班の人々は満身創痍で、今もベッドから起き上がることが出来ないらしい。

 まさかそこまで甚大な被害が出ているとは知らず、リシャーナは言葉を失った。

 華やかなパーティー会場のなか、四人の間にだけ重い沈黙が横たわった。

「そうだ、リシャーナは研究者として呼ばれたんだよね? あれ以来研究はどう? なにか進展はあった?」

 空気を変えるように、サニーラがニコニコと話し出す。化粧でも隠せない紙のように真っ白な顔に作られた笑みが乗っかる様は見ていて痛々しいほどだ。けれど、話を掘り返すのも躊躇われて、リシャーナはそのまま話にのった。

「少し前に新しい素材の採取に行ってきたんです。ユーリスにも手伝ってもらっているので、前よりも格段に早く試作品の作成に移れそうで……それに、ほかにも組み込めそうな有用な素材があるので、サニーラが以前見てくれた試作品よりもうんと出来栄えの良いものが出来ると思います!」

 チムシーからの逃走劇の最中、ユーリスは蔦の一部を持ち帰ってきてくれたのだ。それに、チャーチムの捕獲任務の際、騎士団の人がチムシーを刈り取って持ってきてくれたので、そのときに蜜も拝借している。

 ユーリスのバングルに使った魔鉱石のように「消失」ではなく、「吸収」という概念をもつチムシーは、やはり思っていたとおり有用だった。

 難点としては直接蔓に生えた柔らかな毛や蜜に直接触れないと魔力が吸収されない――ということだ。

 しかしそれさえ解決してしまえば、随分と進歩した試作品が作れる。

 負傷者の治療時に、一時的に本人の魔力を吸収して魔法具に留め、医療魔法での治癒後に本人に魔力を戻す。

 または、ユーリスのような魔力過剰放出者は、魔法具に過剰分の魔力を留め、微量を体に戻すことで上手く循環させることも出来る。

 本来チムシーは奪った吸収した魔力は自身の生命活動に充ててしまう。そのため、吸収した魔力を長時間ためておくための構造はなされていない。

 蓄積量や蓄積時間に不安はあるが、それも先日ヘルサから聞いたチーチャムの持つ魔鉱石でどうにかなってしまいそうだ。

 最初はサニーラの話にのってどうにか盛り上げようとしていたリシャーナだが、少しずつ口調に熱が含まれていた。

 興奮にも似た様子で語らうリシャーナに、サニーラは微笑ましさと苦さの混ざった顔で眉を落とした。

「リシャーナは、すごいな……」

 ぽつりと落ちた声は細く掠れていた。瞳の奥に宿る憧憬と、羨むようなほの暗さが灯った声音。

 サニーラには似つかわしくない皮肉げな様子に、リシャーナはパチリと瞬く。

「私、自分はもっとたくさん役に立てるって思ってた。けど、現場に出たら全然そんなことなくて……私だって本当なら先輩たちみたいに倒れるぐらい頑張らなきゃいけないのに……」

「治療者の数や、消費魔力でいえばきみのほうがずっと多いよ。先輩たちだけが頑張ったわけじゃない」

 思い詰めたサニーラに、マラヤンがそっと優しい声をかけた。

 慰めの言葉に、サニーラは抵抗するように少し押し黙った。が、顔を上げてリシャーナたちと向き合ったときには、いつもの前向きな彼女だった。

「くよくよしたってしょうがないもんね。実戦は経験積んでこそだし……次も頑張るよ! 今度は絶対殉職者なんて出さないから……!」

 明るく、真夏の太陽みたいなカラリとした笑み。けれど、最後の囁きには燃えるような意志の固さと必死さが見て取れた。

 サニーラとマラヤンは騎士団関係者に挨拶をしてくると言って、その場でリシャーナたちと別れた。遠ざかる二人を、リシャーナはそっと窺った。隣り合う二人は仲睦まじい様子で、サニーラはまだ青白い顔をしているが、マラヤンに声をかけられると微笑んで受け答えしていた。

 思っていたよりも思い悩むサニーラに驚いたが、あれなら大丈夫そうかな、とリシャーナは内心でハラハラしていた自分を落ち着かせた。

「サニーラ嬢が心配かい?」

 目で追いかけていると、不意にユーリスに訊ねた。

「それは……友人の顔色が悪ければ心配します」

「そうだよね。きみならそう言うだろうね」

 ユーリスの硬い顔が、ふと安堵して微笑んだ。

 その様子にリシャーナは(そういえば図書館での会話を聞かれてたんだっけ)と思い出す。

 まるであのときのことは夢だったとでも言いたげなユーリスの表情に、もやついた気持ちが沸き起こる。リシャーナのあの態度が、言葉が、間違いだったと言われている気分だ。

(きみならって……本当の私なんて知らないくせに)

 さすがに、あんな真っ白になるまでヒロインが悩むなんて思ってもいなかったんだもん。

 と、リシャーナはいじけたように思った。

「けど、サニーラなら私が心配しなくたって自分で乗り越えられます」

「それは彼女がとにかく一生懸命だから? それとも――マラヤンが一緒だから?」

 ギクリと固まったのは、その鋭い指摘からだけではない。ユーリスの空気が変わった。

 リシャーナは咄嗟に息を詰めていた呼吸を意識し、そろそろと視線を上げた。

 ユーリスは、見たこともない真剣な瞳でリシャーナを見ていた。彼にしては珍しく、嘘や誤魔化しは許さないと語るような萎縮するような強い気配も感じる。

「きみはやけにあの二人が一緒にいることに固執しているようだ。普段のきみなら、人の色恋沙汰には口を出さないだろうに。ましてやあんなふうに思い詰めたサニーラ嬢を放っておくはずがない……それはどうしてなんだ?」

「どうしてって……」

 そんなこと、答えられるわけない。

 二人が恋人同士になることが正しい世界のあり方。サニーラは主人公でヒロインなのだから、こんなところで心折れるはずもない。

 しかし、それをこの世界の人ユーリスには言えない。

「リシャーナ、やっと見つけた」

 答えに窮していると、再び背後から声がかかった。

 今度は男性の落ち着いた低い声だった。

「テシャル、お兄様……」

 反射的に振り返った先には、数年顔を合わせていなかった兄と、その隣に佇む婚約者と思しき女性がいた。

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