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第17話

 王都の有名な図書館といえば、一つはネノンの務める王立魔法学園内にある図書館。そしてもう一つが、貴族や平民問わず誰でも利用することの出来る王立図書館である。

 研究者も利用する学園図書館に比べると、専門書物は少なく大衆向けの本が多くはなるが、それでも蔵書数は王都随一の魔法学園に並ぶほどである。

 ネノンたちが事前に話を通してくれるというので、ありがたくお願いしたところ、週末は人が多く来るので、出来れば週明けの午前中に来て欲しいとのことだった。

 ということで、ひとまずリシャーナたちも病み上がりなので、週末はゆっくり療養して向かおうということになった。

「あら、リシャーナ様お久しぶりですね」

 馴染みの花屋に顔を出すと、恰幅のいい女店主が相変わらずの気持ちのいい笑顔で迎えてくれる。

「先週は急に来られなくなったって聞いて驚いたんですよ。体調崩されたって聞きましたけど、もう大丈夫なんですか?」

 駆け寄ってきた店主に、リシャーナは頷いて答えた。

「ええ、もうすっかり……先日は急に配達を頼んでしまってすみませんでした」

「いいえ! 花だって店に置いとかれるよりは、楽しみにしてる子どもたちのとこにいったほうが嬉しいでしょうし気にしないでください」

 それより――と、店主は片手を上げて口を隠すと、こそこそと顔を寄せた。

「子どもたちがひどく心配してたんで、今日行くと囲まれちゃうと思いますよ」

「そうでしょうか?」

 苦笑したリシャーナに、店主は大きく笑いかける。

「そりゃそうですよ。あの子らリシャーナ様のことが大好きですから」

 はい、これが今週のお花です。

 と、渡された花束にほっと心癒されながらも、リシャーナは店主の言葉に、困ったように笑うことしか出来なかった。

 ――もしかしたら、自分はひどくいい人間に思われているのかもしれない。

 花束を抱えて店を出たリシャーナは、ふとそう思った。

 リシャーナは毎週、週末の休日になると王都内の孤児院を訪れている。

 オルセティカでは長い間戦争もなく平和であるため、戦争孤児というものはほとんどいない。

 しかし、親を亡くす理由は戦争だけではない。

 両親が健在でありながら、捨てられる子どもというのもまた存在する。

 さまざまな事情で一人で生きていかねばならない子どもたちを、ある程度成長するまで面倒をみるための施設がこの孤児院である。

 下は産まれたばかりの乳児から、上は大きくても十代半ばまで。

 そんな子どもたちへの寄付や援助というのは、貴族として当然とも言われるべき行いだった。

 ――持てるものは与えねばならない。

 逆に孤児や浮浪者への蔑みを表に出して振る舞うなど、貴族の名折れとでもいうべきことなのだ。

(私はただ、貴族らしくしようと思ってやってるだけなんだけどな……)

 あとは、両親もなく生きていかねばならない子どもたちへの同情や、実際に目の当たりにしてしまったが故の後へ引けない惰性だろうか。

 だからこそ、いつも花束を頼んでいる店主や子どもたちに、ああして心底慕われているような笑みを向けられると、騙している気がしてちくちくと胸が痛む。

 「珍しいよね。そんなにしょっちゅう顔出すなんてさ」

 いつだったか、ネノンに言われた言葉をふと思い出した。

 リシャーナが毎週のように孤児院に顔を出していると知ったネノンは、感心と呆れを混ぜたような顔で言ったのだ。

 曰く、貴族の慈善事業なんてお金を出すだけが大半なのだと。

「そりゃ現場に顔を出す人もいるだろうけどさ、そういう人もそんなに頻繁には行かないよ。むしろ、わざわざ感謝されに行く人がいるぐらいなんだから」

 珍しい珍しいと、ネノンは何度も口をついていた。

(そんなこと言われたって、今さらやめるのも変な気がするし……)

 子どもたちと親しくなってしまった今では、逆に顔を見ないほうが違和感があるのだ。

 ここまで明け透けにではないけれど、似たようなことを言ったらネノンに笑われてしまったけ。

(リシャーナらしいね、なんて……どういう意味だろ……)

 花束を抱えて街外れの孤児院に向かっていると、十字路で見慣れたフード姿と出くわした。

「ユーリス?」

 思わず呼んでしまう。――と、彼も気づいたらしい。

 顔を上げたとき、フードの影で緑の瞳が瞬く。

「リシャーナ。まさかこんなところで会うとは思ってなかった」

「私もです」

「きみはどこかへ行くところ?」

 リシャーナが抱えた花束を見ると、ユーリスが首を傾げた。

「ええ……孤児院に少し」

 それだけでユーリスは察したらしい。少し考えてから、「俺も一緒にいいかな」と伺った。

「いいですけど……ユーリスこそなにか用事があったのでは?」

「帰りなんだ。あとは家にいるだけだから」

 そう言った彼の手元には、冊子の入った紙袋があった。

「本、ですか?」

「ああ。書店に行ってたんだ。久々に家の本を読み返したら、なんだか本が読みたくなってね」

 言いながら、ユーリスは袋の中から一冊取り出して見せてくれた。

 童話だろうか……淡い色使いで描かれた絵は幻想的で、装丁が凝っているのがよく分かる作りだった。しかし、そこに書かれているタイトルは読むことが出来ない。

「古代書ですか? まさか書店で?」

 驚くリシャーナに、ユーリスは悪戯が成功した子どもみたいに笑った。

「驚くだろ? これは複写で、レプリカみたいなものなんだけれど……それでも古代語で書かれた本がこうも簡単に手に入るのは驚くよね。まあ結構値も張ったけれどね」

 給料がほとんど飛んでしまった――と、苦笑した彼の横顔は、それでも満ち足りて見えた。

「これはなんて書いてあるんですか?」

「星の降る街……まだ読んでないからどんな話かは分からないけど」

「へえ……綺麗なタイトルですね」

 タイトルと思しき表紙の大きな文字をまじまじと見るが、やはりリシャーナにはどれだけ目を凝らしても意味のある文字には見えない。

 それがなんとなく、淋しいような……残念な気持ちになった。

 リシャーナが本に寄せていた顔を上げると、ユーリスも本を袋にしまい込んだ。そのままどちらからともなく歩き出したときに、不意に違和感を覚えた。

(なんとなく、距離がある……?)

 あからさまに二人の間に距離を開けられている訳でもない。けれど、どこか遠い気がする。

 普段並んで歩くことが多いから余計に。

(そういえば昨日も私より前を歩いてたっけ……)

 いつだって歩幅を合わせてくれているのに珍しい。

 しかし、ついて行くのが大変だ、ということもない。ユーリスがリシャーナを一切気にしていないのならとっくに置いて行かれているだろう。

 リシャーナに意識が向けられていないわけではなく、ただ意図的に距離を開けているようだ。

 なんでだろ、と疑問が掠めたときに、ツキンと小さく胸が痛んだ。

 我知らずショックを受けていることに、ハッとなったリシャーナは慌てて自分を律した。

 先日、ユーリスの部屋で自分と彼との間に線を引き直したことを思い出す。

(むしろいいことじゃん……)

 そう思ったリシャーナは、それとなく彼から半歩分距離を取った。

 孤児院が近くなると、外で遊ぶ子どもたちの賑やかな声が届く。

 見ると、孤児院の中でも年少に位置する子どもたちが庭で駆け回っている。彼らはまるでリシャーナを待ち構えていたように、二人の姿を見つけるとわらわらと笑顔で駆け寄ってきた。

「リシャーナ様、こんにちは」

「もうお身体はいいんですか?」

「具合よくなった?」

 囲むように集まった幼い子どもたちから、一斉に声が飛んでくる。リシャーナはどうにか耳をそばだてて聞きながら、一人一人返していった。

 そんな賑やかさに気づいたのか、施設の中から少し大きい子どもも出てきた。十に届かないぐらいのその子たちも、年少組を外から覆うようにリシャーナに集った。

 その中で、むっつりとした顔の日に焼けた男の子がリシャーナに向かって両手を伸ばした。

 なにかを求めるような仕草に、リシャーナが慣れた仕草で花束を渡そうとする。けれど――。

「ちょっとカイリ! 今日は私がリシャーナ様から花束を受け取る番よ!」

 カイリを押しのけるように、気の強そうな金髪の女の子が割って入った。

「アンタは先週だったでしょ!」

「はあ? 先週はリシャーナが来なかったんだから、一週間ずれるだろ!」

 お前は来週だろ、シャンシー! と、怒ったカイリが言い返すと、シャンシーは今度はリシャーナに敬称をつけろと怒り出す。

 急にケンカを始めた子ども二人に、ユーリスはおろおろしていたけれど、ほかの者は慣れた光景なので呆れたように笑っていた。かくいうリシャーナも幾度となく見てきたものなので、苦笑して困っていた。

 子どもを追いかけてきた職員の女性が仲裁しても、やいのやいのと言い合う二人に大人たちが困り果てたところ、すり切れたぬいぐるみを抱えた五歳にも満たない男の子がリシャーナの前に出た。

 短い金髪はくせっ毛で、くるくると渦を巻いている。ぎゅっとぬいぐるみを胸に抱く一方で、リシャーナのスカートの裾を控えめに引っ張った。

「リシャーナ様、お兄ちゃんたちが受け取らないなら今日は僕がもらってもいい?」

「チーシャも花束が欲しいの?」

 膝を折って目線を合わせると、チーシャは考えるように眠たそうな瞳をゆっくりと瞬かせた。

「花束っていうか……リシャーナ様からプレゼントが欲しい」

 首を傾げてお願いされれば、叶えてあげたくなってしまう。子どもの可愛らしさにリシャーナがほっこりしていると、気づいたカイリとシャンシーが慌てた様子でやって来た。

「ばかばか、受け取るのは順番だってみんなで決めただろ」

「そうよ! ただでさえチーシャたち小っちゃい子組は構ってもらえるんだから横入りはずるいわ」

 狼狽える二人に、チーシャがけろりと言う。

「だってお兄ちゃんもお姉ちゃんもケンカしてばっかりだから」

 ぐっと二人が怯んだところで、すかさず職員の女性がにこやかに仲裁に移った。

「そうだよ、せっかくリシャーナ様が来てくれたんだから、ケンカしてたらもったいないでしょう?」

 そのまま、「今日の受取係はカイリでいいよね。シャンシーは来週ね?」と鮮やかにシャンシーから同意を得た。

 今度こそとばかりにご満悦顔で腕を伸ばしたカイリに、リシャーナは花束を渡した。

 リシャーナにとっては胸に抱えられるサイズでも、まだ子どもの彼らからすると、体いっぱいに抱きしめるような形になる。

 形を崩さないように――しかし、決して離さぬよう両腕で抱きしめたカイリは、

「花瓶に入れてくる!」

 と、ニコニコした顔で施設へと引き返した。

 それについて行く子もいれば、さらに身を乗り出してリシャーナに話を聞いてもらおうとする子もいる。

 慈善事業を始めた当初はそんな子どもたちを諭していた職員も、今じゃ微笑ましそうに見守っていて助けは期待できそうにない。

 足元で各々好き勝手に喋る子どもたちの声を必死に聞くリシャーナに、ユーリスが感心したようにぽつりと言った。

「……きみは随分と人気者みたいだな」

 職員ほど年も離れてなく、けれど大人に近い年上の人に対して興味があるだけだろう。

 否定したいリシャーナではあったが、鳴り止まない子どもたちの合唱に、声を上げる暇もなかった。

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