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第6話

 マラヤンに別れを告げられてから半月が経った。季節は冬に移行し、日を追うごとに寒さが厳しくなっていくが、リシャーナの日常はなにも変わらなかった。

 朝早くに研究室を訪れ、夜遅くに寄宿へと帰る。

 一年ぶりに思い出してしまった日本の家族への郷愁と、マラヤンがいなくなったほのかな淋しさを埋めるように、リシャーナはひたすらに研究に打ち込んでいた。

 そんなリシャーナの姿に気を揉んだのか、ある日、ヘルサが隣室から顔を覗かせて言った。

「実は、リシャーナ嬢の研究で助かったという人がいてね。お礼を言いたいと言っているんだ」

 もし良ければ会ってもらえないかな?

 いつも通りの穏やかな顔つきで、ヘルサが言う。しかし、眼鏡越しにこちらを見る彼の眼差しは、無茶な生活を送る若手を随分と心配していた。

(もしかして私を励ますためにわざわざ探してくれたのかな……?)

 悪いと思う恐縮した気持ちと、気にかけてもらえたという喜びが胸で混在して複雑だった。

 断わるのもどうかと思い、頷きかけたリシャーナははたと気づいた。

 ――私の研究で助かった人とは?

 リシャーナが本格的に研究を始めたのは、学園を卒業したほんの数ヶ月前のことだ。その間にしたことといえば、学生では読めなかった論文を読み、一つの仮説を元に魔法具の試作品を作成したぐらいだ。

 まだまだ結果が伴うようなことはしていない。

 不思議そうに首を捻るリシャーナに気づくと、ヘルサもほくほくした顔で首を傾げた。

「以前作った試作品だけれど、たしか実用出来ないのは承知で特別処置としての利用報告書が届いていただろう?」

「え?」

 特別処置とは、国の認可の下りる前の薬剤や魔法具を、どうしても必要とみられる患者や利用者の同意の下、特別的に使用されることだ。とくに医療分野においては、ほかに方法がないとなった緊急かつ危険な患者に対して施されることが多い。

 要は、このまま待っていても死ぬだけなので、どうせなら万が一の可能性にかけるという、一種の博打のようなものである。

(まさか私の作った試作品て……)

 慌てて机を引っ切り返して書状を探し出す。たしかに少し前に利用報告書が届いている。

 ちょうどマラヤンと別れた直後のことで、リシャーナが人一倍研究に勤しんでいた時期だ。提出が必要なものでもなかったので、あとで眼を通そうと思ってそのままにしてしまっていた。

「お礼ということは、その人は今はもうお元気なのでしょうか?」

 書面から顔を上げて問うと、ヘルサは大きく頷く。

「すっかり元気になってるよ。私が作成者と知り合いだというとお礼を言いたいと言ってね。彼は手紙を書くと言ったんだが、どうせなら直接伝えればいいと私が言ってしまったんだ」

 ほら、やっぱり直接使用者の声が聞けると嬉しいだろう? 私は直接話を聞くのが好きでつい、咄嗟に……。

 と、慌てて言うヘルサに、リシャーナの肩の力が抜けた。

「そういうことでしたら、ぜひお話を伺いたいです。私はいつでも大丈夫ですので、その方のご都合のいいお日にちを教えていただけると助かります」

「それなら、明日ここに連れてきてもいいかな?」

「明日、ですか?」

 随分と急なことに、ついきょとりと眼をしばたたかせた。急なのはもちろんだが、ヘルサが予定を決めてしまっていいのだろうか。

 不安が顔に出ていたのだろう。口髭のたくわえた口許を緩め、ヘルサは大丈夫だと大きく頷いた。

「彼は元気にはなったが部屋にこもりがちでね。善は急げというだろう? 真面目な子だから、私が約束を取り付けたといえば外に出ると思うんだ」

「その方がよろしいのでしたら、私は大丈夫ですが……」

 もしや手紙でと言ったのは、その人が外に出たくなかったからではないのか?

   そう思ったリシャーナが、あまり無理はさせずにと釘を刺す前に、ヘルサは意気揚々とした様子で部屋を出て行ってしまった。

「……まあ、お礼を聞くだけだもんね」

 それならさほど時間もかからないだろうし、その人も無理のしようがないだろう。

 手元にある書面には、使用者は十代の男性としか記載されていない。

 そのほかは使用時の状況や、その後の経過観察の様子がレポートになっている。

 どうやら魔力放出症という病気のようだ。日常生活に支障が出るほどで、ほとほと困っていたらしい。

 魔力は本来、生命活動で消費されて新たに生み出され――と、体の中だけで循環するものだ。外への放出は魔法を使用するときのように、本人が意識的に行うしかない。

 しかし、この魔力放出症は、己の意志とは関係なく魔力が体の外へと垂れ流しになってしまう病状らしい。

 その度合いは人によって様々だというが、書類にあるように生活に支障が出るということは、この人は放出量が多いのだろう。

 放出量が多ければ多いほど、その人の命に直結する。

 リシャーナは、つい最近発表された論文をたまたま眼にしていたので知っていたが、きっと研究者や医師でもなければ馴染みのない病気だろう。

 論文を読んだときは、恐ろしい病気もあるものだとどこか他人事ひとごとであったが、まさかこんな身近に症例がいるとは思ってもいなかった。

「たしかにこの症状なら抑制装置は役に立つかもだけど……」

 リシャーナの作成した試作品は、魔力抑制装置という名の通り、装着するとその対象者の魔力を一時的に抑制するものである。

   たしかに魔力の抑制には成功したのだが、あの魔法具には致命的な欠陥があるのだ。

 ――あの装置をつけて元気になるなんてことがあるだろうか?

 その疑問はしばしリシャーナの頭を悩ませたが、その張本人が明日来るのだから、その人に訊いてみればいいかと頭を切り替えた。

 翌日の昼を回ったころ、昼食を終えて研究室に戻ってきて机で作業をしていると、ご機嫌な様子でヘルサがやって来た。

「やあ、リシャーナ嬢! 今日は時間をとってくれてありがとう」

「いえ、こちらこそお話が聞ける機会は貴重ですからありがたいです」

 うんうん、とヘルサは同意を示すように何度も頷いた。

「約束の彼を連れてきたよ。ちょっと人の視線が苦手でフードを被っているが……そこは大目に見てくれると嬉しい」

「ええ。大丈夫ですよ」

 ヘルサの知り合いだというからてっきり貴族かと思っていたが、そうではないようだ。貴族の出身であれば、まず顔を隠すなどということはしない。

 密かに身構えていた体の力を抜き、リシャーナは一度外に出たヘルサを待つ。

 すぐ近くで待機していたのか、ヘルサと後ろに続く人影はそう時間は経たずにリシャーナのもとを訪れた。

 その人は、上品な紳士であるヘルサとは似つかわしくない風貌であった。

 フード付きの長いマントを羽織った男は、たしかにヘルサのいうとおり大きなフードのせいで顔を覗くことは出来ない。しかし、鼻先にかかるほどに長い前髪と、フードの隙間から首元をつたう襟足は、どう見ても無造作に伸ばした結果だということがよく分かる。

 背はリシャーナよりも頭半個分ほど高く、男性ながら少し華奢な印象を受けた。

 俯くような姿勢だが、背筋は伸びていて足取りも軽やかだ。この体を覆うマントやフードがなければ、貴族だと錯覚していたかも知れない。

(いや、本当は貴族なのかも……顔を見せたくないのは身分がバレることを恐れて……?)

 しかし、その装いは、貴族が纏うにしては随分と安っぽく見えた。清潔感はあるが、明らかに良質な素材ではない。

(なら、本当に平民なのだろうか?)

 それにしては所作が随分と堂に入っている。――と、堂々巡りに思考を回しながら、リシャーナは立ち上がって机から前に出て、その不思議な青年と向き合った。

 ずっと俯いたままの彼は、リシャーナの近づく気配にビクリと肩を震わせた。

 まさかそこまで驚くとは思わず、リシャーナは少し離れた位置で立ち止まってから、助けを求めるようにヘルサを見やった。すると、部屋の隅で見守っていたヘルサは、その場で苦笑気味に青年に向かって声をかけた。

「ユーリスくん、ほら今日はお礼を言いに来たんだろう?」

 ギクリとした青年――ユーリスは、機械仕掛けのからくりのようにギギッと硬い動きでリシャーナと向き直る。

(大丈夫なのかな……)

 そんな彼の姿にリシャーナは心配になった。

 人の視線が苦手とは言っていたが、これほどまでとは……。

 彼の体のほとんどは厚手のマントで覆われているが、それでも緊張して強ばっているのがハッキリと分かる。

 まるで怯えるようなその反応に、一体なにが彼をそうさせるのかと、リシャーナは内心でひどく驚いていた。

 しばらくの間、青年――ユーリスからのアクションを待っていたが、彼は薄い唇をパクパクと動かすだけで、どうにも言葉が出てこないらしい。

 仕方がない。ここは私から――そう思ったリシャーナが、挨拶のために片足を下げたときだった。

 不意に青年は、指先まで真っ直ぐに伸びた手をそっと胸元に当て、優雅に頭を下げたのだ。

「……お見苦しい姿をお見せしました。このたびはあなたの作られた魔法具によって助けられたこと。また、急なお願いにも関わらずお時間をいただけたこと、誠に感謝します」

(あ、この人貴族だ……)

 瞬時にそう理解できるほど、彼のその仕草は美しかった。

 貴族の付き合いとして、リシャーナは幼少の頃からパーティーには何度となく参加していたが、ここまで見惚れるような動きをとる人物には初めて会った。

(いや、前にも見たことある……)

 半ばぼんやりしつつも、リシャーナの体は勝手に動いて挨拶を返した。

「本日はここまでお越しくださりありがとうございます。魔法具の作成にあたりました、リシャーナ・ハルゼラインと申します。まだ未熟者でございますが、私の研究があなたの助けとなったこと、光栄でございます」

 言い終えたリシャーナが頭を上げるのと、彼が息を飲んだのはほぼ同時だった。

「リシャーナ伯爵令嬢……?」

 独りごちた彼が、そこで初めて顔を起こしてリシャーナを見た。さらりと揺れた茶髪の隙間から、鮮やかな若い緑の虹彩が煌めいた。

 その透き通った輝きに、リシャーナの中である可能性が浮上した。

 ――もしかして、

「ユーリス・ザインロイツ様……?」

 驚きで見開いた碧眼に映る彼は、サッと青ざめた顔で逃げるように一歩退いた。それが、リシャーナの言葉を認めているなによりの証拠だ。

(たしかによく見ると、面影がそのままじゃない)

 細身な体つきも、色白な肌も、癖がなく真っ直ぐに揺れる温かな茶髪。なにより、その特徴的な澄んだ緑の双眸。

「どうして、そんな格好を……?」

 つい口をついて出た疑問を合図のように、ユーリスはくるりと反転して足早に部屋を出て行った。

 飛び出す直前、「失礼します」と会釈をして断りをいれるところがまた、育ちの良さを現している。

 残されたのは困惑顔で立ち尽くしたリシャーナと、目を丸くしているヘルサのみ。

 どうして伯爵家の嫡男であった彼が、あんな出で立ちで現れたのだろう。

 しかも、前とは様子が随分違っている。

 いつだって美しい立ち姿で、穏やかで余裕の笑みを浮かべていた彼が、一体どうしてあんなにふうに警戒を剥き出しにして他人に対して怯えているのか。

(それに、ちゃんと魔法具つけてた……)

 去り際の彼の手元に見えたバングル――あれは確かにリシャーナが作成した試作品だ。

 彼は魔力放出症の症状を収めるために、あれを常用しているらしい。

をつけて平然としてるなんてどういうこと……?)

 変わってしまったユーリスの様子や、試作品について……考えなければならないことがたくさんあって、リシャーナはめまぐるしく回る頭に痛みを覚えた。

「リシャーナ嬢、もしかしてユーリスくんとは知り合いかい?」

 驚きを残した声でヘルサに訊ねられ、リシャーナはまだ整理のついていない頭でこくりと頷いた。

「……彼とは、二年前まで婚約を結んでいました」

 静かに言うと、ヘルサは再び眼鏡の奥で眼を見開いた。だが、リシャーナたちは同世代の伯爵家同士だ。そういった話があっても無理はないと納得したのだろう。

 得心とくしんがいったように何度か頷いてみせた。そして、少し考えるように間を置いてから、躊躇いがちに言った。

「元婚約者のきみにこんなことを頼んでいいものか分からないが……もし良ければ、彼のことを少し気にかけてあげて欲しい」

「……それは、彼の体の問題でしょうか?」

 それならば、言われずともリシャーナは試作品の改良に努めるつもりでいる。だが、ヘルサは首を振った。

「それももちろんあるが、どちらかといえば彼の心のほうかな」

「心……?」

 繰り返したリシャーナに、ヘルサはその優しげな面立ちに苦いものを浮かばせた。

 その表情は、ユーリスを思い、悲しんでいるようだ。

「彼は、ザインロイツ家から勘当され、貴族籍からも排斥されているんだ」

 心苦しそうに告げられたそれに、リシャーナはしばし言葉をなくした。

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