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第59話 最悪な日③〜side秋斗〜

よし、18時からの4組様のオーダーがひと段落した。そろそろ19時からのお客様がいらっしゃる頃だ。

カランカラン……

「いらっしゃいませ!山本様、お待ちしておりました。お席までご案内致します」

坂口さんが俺に目配せする。

「山本様、こちらへ……っ!?」


眼鏡の奥の柔和な笑顔の山本さんの後ろに、隠れるように歩いてきた小柄な連れを見て、今まで何度も何度も言ってきたはずの接客用語がまったく出てこない。

頭が真っ白になった。



ひ……

陽向……!?

な、なんでっ……

会釈しながらにこやかに俺の目の前に立つ山本様。

しかし、身体が勝手に後退りしてしまう。


「ん?席どこに座ればいいかな?」

山本様の困ったような声に必死に仕事、仕事、仕事と自分に言い聞かせて、冷静を取り戻す。

「っ、し、失礼致しました。こちらの窓側のお席へ、どうぞ。コ、コート、お預かり、致し、ます」

まるで新人バイトのようにつっかえつっかえのぎこちない接客しかできない。

俺の声に気がついたのか、陽向がバッ!と顔を上げ、こちらを見る。

目が、合った。

やめろ、山本さんと、他の男と、一緒の、陽向なんて、見たくない。


それを慌ててそらし、山本様の顔だけを見て、高級感のあるトレンチコートをお預かりする。


「……っ、な、……」

何か言いかけた陽向の方は絶対に見ないように、

山本様に話しかける

「お、お連れ様の、コートも一緒に、お預かり致します……」

「ひなくん、ほら、コート脱いで。ウエイターさんが帰りまでお預かりしてくれるんだよ」


そう言うと、陽向の細い腰に手を回した。

はぁ!?な、なんだよ、そのボディタッチ……そんなん人前で必要か!?

て、てか、

ひ、ひなくん!?

そんな、馴れ馴れしく呼ぶ仲なのか……

まじで……


付き合って、んのか?


「……あ、あ……の」

おずおずと差し出された陽向のふわふわとしたベージュのコートを絶対に手が触れないように、ほぼ奪い取るように急いで受け取る。

これはクレームもんの対応の仕方だろう。

でも、でも、

これ以上、どうやって、接客なんて、したらいい?


「……っ、」

何か言いたそうな陽向。

やめろ、社交辞令の挨拶なんて、したくもない。


ぐっと唇を強く噛んでから、

思い切り息を吸い込んだ。

「では、お預かり致します。どうぞ、おかけ下さい。

ただいま、お冷をお持ち致しますので、こちらのメニューをご覧になってお待ち下さいませ」

頭に叩き込まれた、お決まりの接客トークをなんとか言って、

その場から逃げるように入り口近くのコートラックへと向かう。

陽向から受け取ったコート。

それをハンガーにかけようとすると

ふわりと、懐かしい陽向の香りがする。

その香りが、

今まで必死に仕舞い込んでいた記憶……

最後に乱暴に抱いてしまった日の陽向の姿が脳内で勝手に再生される。

ぎゅっっぅっと胸が握りつぶされたように痛くなる。


必死にその光景を頭からふるい落としながら、5卓と書かれたタグをハンガーにくくりつける。


ぐっ……、くそ、

最悪だ。

あの席、5卓は、俺の担当席だ。

最悪すぎる。

無理だ。

何も知らないふりをして、オーダーを取るのか?

あいつの前で仕事モードで作り笑顔ができんのか?

てか、

陽向の好きな奴って、あいつのことだったのか?

でも、坂口さん、あいつ、1、2ヶ月毎に、男とっかえひっかえって、言ってたよな……。

確かに、前回はちょっとヤンチャそうな……俺と大して年齢変わらないくらいの男を連れてきていたはずだ。

そんな、奴……、な、なんでだよ、陽向。


だめだ、仕事、仕事だろ、俺。

ふう、ふう。深呼吸をしながらマニュアル通り、水を提供しようと、グラスが綺麗に整列されたシンクへと向かう。

トレーに乗せた水を入れたグラスがカタカタと震えている。

「倉橋さん?大丈夫っすか?」

お冷を持ったまま固まっている俺を賢太が見兼ねたのか、声をかけてくれた。

「……ちょ、ごめん、……い、いってくる、わ」

「倉橋さん……顔色めっちゃ悪いっす。体調悪いんすか?俺変わりますよ!」


変な汗が額から垂れる。

陽向、なぁ、陽向、あいつに、この後、抱かれる、のか?

もう、何度も、抱かれてんのか……?


手の震えがみっともなく止まらない。

はらわたが煮えくりかえるとはこの事なのか?

胃や腸がぐるぐるとかき混ぜられているように気持ち悪く、そして、熱い。


よりによって、なんで、あんな奴なんだよ!

やることやったらポイって捨てられんだぞ?

あんな奴より……あんな奴より……!




ガチャン!!!!!

グラスがシンクに当たり、そのまま床に砕け散った。


濡れた床にキラキラと電気を反射して

氷なのかグラスのかけらなのかわからない。

「失礼致しました!」

グラスの割れた音を聞いて、坂口さんや厨房スタッフもホールのお客様へむけ一斉に謝罪をする。

大きな音を立てた張本人の俺は、謝罪の言葉すら、出ない。唇が震えてしまう。

おれ、俺……、やばい、無理だ。

立ってらんねぇ。



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