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第56話 会いたい②〜side陽向〜

「あー、もう来週から12月だよー!早すぎじゃない!?」

ランチで利用するお客さんがひと段落した14:20。シンクに山積みになった皿と、カップを泡にまみれて洗う二宮さんが、ため息混じりに話しかけてきた。

俺は山積みのトレーをアルコールで拭きあげていく。


「ですね。早い……ほんと、」

「あ!そうそう、柳瀬くん!来月の9日、月曜の仕事終わり空いてる!?その日さ、店17時に閉めて、姉妹店のスタッフと情報交流会と称した、ただの飲み会やるんだけどさ。色々な話聞けると思うし、その、新しい出会いとか、うん、気の合う人とか、パーっと飲んだりわいわいできたら…………いや、うーんと、ご、ごめん。その、柳瀬くん、少しでも元気になってくれたらって……これたら、いいなって……余計なおせっかい、だよね、ごめん」


二宮さんは水切りラックから、皿を整列させながら乾燥機に並べていく。

俺がいつまでも、こんな風にぐずぐずして引きずっているから……

心配をかけてしまっているんだ。


「あ、すみません、俺、人見知りなんで……飲み会は……」

断る理由が、人見知り、だなんて。子どもみたいな言い訳で、二宮さんの顔がまともに見れず、

目の前に互い違いに積み上げていたトレーを、きれいに重ねていく。

アルコールをシンクの上に戻し、ダスターを使用済みバケツの中へ放った。


「あ、ううん!無理にとかじゃないからさ!もし来れたらいいなぁーって声かけてみたんだ。ま、もし、やっぱ行きたいなーってなったらまた詳細送るからね。一応、そこの店舗、コーヒーソムリエの資格もってる子がいるからさ、勉強にもなるかなっと思って。」


「コーヒーソムリエ?すご。そうか……俺も、何か資格でも取ろうかな?」


シンクの水気を新しいダスターで拭き取りながら、ぼおっと考える。

そうだよ。プライベートのことで、いつまでもくよくよしてないで、仕事のランクアップ目指して、勉強しようかな。自分で、いつかお店できるように。

コーヒーのことも、料理のことも、もっと、もっと勉強しないと。


ちゃんと胸を張って、生きていかなきゃ。


「柳瀬くん、何か、私にできる事あったら、何でもさ、気軽に言ってよ?私だけじゃない。柳瀬くんの味方、沢山いるからさ」

「はい。……ありがとうございます。でも、もう、本当にちゃんとしようって、前に進もうって、思ってるんで、大丈夫です……あ、いらっしゃいませ!」


まだ何か言いたそうにしていた二宮さんに背を向け、レジ脇のショーケースを眺めているお客さんに挨拶をした。


そうか……新しい出会いか。

二宮さんが言いにくそうに話していた言葉を少しずつ頭の中で復唱する。


あの人を忘れさせてくれる、新しい出会いでもすれば……

すっきりと、すっぱりと忘れられるのかもしれない。


俺、初めてだったから。

誰かにあんな風に触れられたことも、優しくされたこともなかったから……

それで、依存みたいになってるのかも。


そうだ、そうだよ。

新しい出会い……。





18時。退勤して、家に向かって歩きながら

あの秋斗さんと出会ったアプリを再インストールしてみる。


いや、彼氏が欲しいとかじゃなくて、

ゲイの人と、話をできるだけで、

知り合いができるだけで、いいんだ。


俺のこんな気持ち、きっと同じ立場の人ならわかってくれる。そして、相談もしやすいし。

だから、別に、やましい気持ちでするんじゃないんだ。


誰に対してなのかわからないが、

頭の中で必死に言い訳をする。



前回登録したままになっているマイページから

雰囲気の優しそうな人を探す。

あ、この人……

優しそう……かな?

メガネをかけてまじめそうなサラリーマン風の男の人だ。


『山さん 30代前半 タチ 食事しながらおしゃべりしたい。営業をやっているので、お話するのが大好きです。』

住んでいる所もわりかし近い。

年上の人に、話聞いてもらえたら……。


でも、実は怖い人だったら……

い、いや、そんなこと言っていたらキリがない。


アパートの階段を登り終わる前に

『連絡』をタップする。


大丈夫、大丈夫。

前に進むんだ!



ふう。

風にふかれた頬はすっかり冷たくなっていた。

その頬を巻いていたマフラーに埋める。



2階の廊下から見える向かいのアパートの電気や、駅の方角のやけに眩しい光を眺める。

秋斗さん……

今頃、なにしてるの……?

会いた……って


いやいやいやっ!!!

もう!新しい出会いもするし!!!



いい加減忘れろよ、俺。


相手はとっくに俺のことなんか忘れて、彼氏さんや……もしかしたら他の相手の人が

いるかもしれないじゃないか。


どすっ……

自分で自分の胸をつららで突き刺したかのように

胸が冷たく痛くなって、息が苦しくなる。


こんなの、もう、何度目だよ。


もう、

もう、

本当にもう、

あの人を忘れたい。


こんな思い。

もう全て、捨ててしまいたい。



ガチャ……

「ただいまぁ」

誰もいない家のドアを閉めて、鍵をかける。


クローゼットの扉を開け、ハンガーにコートとマフラーをかけ、コートラックにトートバッグと一緒に引っ掛ける。


クローゼットの中に入れている白いチェストの1番上の1番小さな引き出しをそっと引き出す。

よれた紙切れを上に乗せた小さなケースをそっと手のひらに乗せる。


「秋斗さん。このピアス……俺、どうしたら、いいんですか……。捨てられないし、……俺、すごく、困ってるんです」


何度読んだかわからない

付箋をそっとなぞる。

ね、本当に、これは、どういう意味だったのかな。



でもやっぱり、これがあるから、

前に進めないのかな。


もう、年内で、きちんと気持ちにケリつけて、

年内で、捨てよう……かな。


そうだ。

そうしよう。


こういうのって、誰も教えてくれない。

恋の仕方も

恋の終わらせ方も


誰も、誰も教えてくれない。

だから、何が正解なのか、

何もわからない。



年内で捨てる、うん。

そう心の中でもう一度呟いて、

元の引き出しの奥へとそっとしまう。



さて……と。

お風呂入ろう。


貧相な自分の身体を見るたびに

最後に抱かれた日を思い出してしまい

あの日以降、好きだったお風呂の時間も、苦手になった。


データみたいにさ、

削除、ゴミ箱、

って自分の記憶も、気持ちも消せたら、どれだけ楽なんだろう。


秋斗さんは

もう、俺のことは忘れちゃったのかな……。

いいな、俺も、あなたのこと、忘れ、たい。


熱いくらいのシャワーが

冷たく冷えていた身体を一気に熱く赤くしていく。

お風呂場が湯気でいっぱいになる。


どれだけ擦っても、洗っても

あの、最後に抱かれ続けた日の感触が消えてくれないんだ。


誰か、忘れる方法を、教えて。


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