「っ……はぁ、はぁっ、はぁっ、……ひ、陽向……?おい、陽向……?」
顔にかかる乱れた髪の毛をそっと耳にかける。
顔が真っ赤で、目元には涙の跡が無数にくっきりついていた。
長いまつ毛に溢れきれなかった雫が溜まっていた。
それを自分の指先に乗せて、ちゅっと吸い取る。
俺……、何してんだ。
大切な奴に、こんな乱暴な事して。
気を失うまで抱いて。
最低だ。
そっと髪を撫でてから
ぎっ、とベッドから立ち上がる。
うまく歩けなくて、
自分の手や足が細かく震えていることに、気がついた。
みっともねぇな、俺。
洗面台でお湯を出し、タオルを温めた。
散々抱き潰してしまった陽向の身体を丁寧に拭っていく。
昨日よりも色濃くなったキスマーク。乱暴に噛み付いた歯形……自分のやってしまったことを消したくて、そこをタオルで擦る。
消えるどころか、陽向の白い肌を余計に赤くしてしまった。
身体の向きを変えても、起きる気配がしないほど深く眠ってしまっているようだ。
ごめん、陽向。こんなこと、して……。
まだ夏の暑さが残ってはいるが、裸のまま眠らせて置くのは……風邪をひかせてしまうかもしれない。
服……どうしよ。……床に散らばった陽向の服を集める。
寝ているやつに、この細身のジーンズは履かすのは多分無理だ。
クローゼットから自分の部屋着を取り出し、
俺より一回りは小さな陽向の身体に着せていく。
ベッドに寝て、俺の服を着た陽向……。
まるで、付き合っていて泊まりにきたのか、
それとも同棲でもしているのか……
そんな叶いもしないシチュエーションを想像してしまうほど
俺は、陽向が好きだったんだな。
はぁ……。
テーブルに残ったまま、クリームが溶けてしまったケーキを片付ける。
落ちたままだった洋梨も、ティッシュで拭き取った。
皿とコップを洗いながら、ぐにゃっと視界がゆがむ。
何これ、何?
俺…………、泣いてんの?
ははっ、アホみたいすぎて、泣けてくるんだ、
1人で舞い上がってな……、ケーキも買って、
告白の練習なんかしたりして……
っあー、俺、ダセェ。
いいや、陽向も寝てるし、
泣いたっていいだろ。
自分のダサさに……、もう泣いてしまおう。
ぽろぽろと勝手に出てくる涙。なんだこれ。次から次へと、止まんねぇ。
でも、いいや、全部でたら、スッキリすんだろ。
……ってか、俺……
泣けるんだな。涙なんて、あったんだな。
泣いたのなんて、何年ぶりだろう。
こんなに、他人に振り回されることなんて、今まで無かった。
他人なんて、全く興味もなかった。
初めて……、初めてなんだよ、陽向。
こんな俺に、こんな人間らしい感情がちゃんとあるって教えてくれたのは……。
陽向、お前が、初めてなんだ。
どれぐらいキッチンにいただろうか……
やっとで止まった涙をTシャツの袖で拭う。
顔を洗って、キッチンから陽向の眠る部屋へと戻った。
ザーー、ポツポツッ、ザーーーーー、
16:10……雨はだいぶ本降りになってきたみたいだ。
ふう、どうしようか……。陽向が起きるまで。
どさっと、ベッドの下の床に座り込む。
カサッ
指先に何かが触れた。
!?……あっ、これ……。
ベッド下に隠しておいた小さな紙袋。
こんなもの、いらねぇよ、もう。
でも……俺が捨てるくらいなら、
もし、陽向が気に入ったならつけてくれたらいい。
そして、ピアスを着ける度に、俺を……
って、俺、マジできもい。ストーカーみてぇなことばっか考えてる。
捨てようが、着けようが、陽向の好きにしたらいい。
部屋の隅のラックの、小さな引き出しから
付箋とボールペンを取り出す
『陽向に似合うと思うからよかったら着けて』
……いや、なんか未練たらたらみてーだ。
やめやめ!
ぐしゃっと丸めてゴミ箱に放る。
うーん……『捨てんのもったいないから、やる』
て……いやぁ、これも、なんかいらないゴミあげたみたいか?
一言書く言葉がなかなか決まらない。
『いらなかったら捨てて』
やっと書けた付箋を紙袋に貼り付けて、セロハンテープでしっかりとくっつける。
テーブルの下でぐちゃっと放置されたままの
陽向のトートバッグの1番奥にそっと紙袋を入れ込む。
家に帰るまで、気がつくなよ?
目の前でつっかえされたら、俺、多分、立ち直れない気がするわ。
はぁ……。
ベッドへ戻り、いまだにぐっすり眠ったままの陽向の隣に寝転がる。
仰向けのまま規則正しく胸が上下している。
陽向……
少し尖らせたこの唇……触れたらどんな感触なんだろう……
そう思った時には顔をぐっと近づけていた。
陽向の息が鼻先に触れる。
起きるなよ、起きるな……絶対に……
「……ん、ん、」
唇が触れる寸前、陽向は身体の向きをこちら側に向けてしまった。
……っやべっ!!
俺、寝てるやつに、何してんの……!?
これは、流石に、最低すぎんだろ。
キスは、恋人のためにとってある的なこと、言ってたもんな……。
はぁ、
もう疲れた、
もう、なんも考えたくない。
もう、何もかも、嫌んなる。
俺、明日からどうやって生きていけばいい?
陽向と出会う前、一体どうやって生活して、何を楽しみに生きていたんだっけ?
もう、今日が、終わらなければいい。
このまま、時が止まってしまえばいい。
目を閉じると、ふっと世界が暗くなる。
そのまま、一気に独り、眠りの世界に堕ちていった。
……さよなら
遠くで陽向の声がした気がして、
慌てて飛び起きた。
やばっ!寝てた!!
陽向!?
陽向が寝ていた場所は、陽向の形にシーツがたわんでいるだけで、そこに陽向はいなかった。
シーツに手を置くと、まだ陽向のぬくもりがしっかり残っていた。
陽向!陽向!!!
部屋を見渡す。……いない……
トイレ、洗面所、バスルーム
1Rのアパートだ。いる場所なんて限られている。
狭いこの部屋の、
どこにも、陽向はいなかった。
なんか、前もこんなして、陽向がいなくなった夢、見た気がする。
あれ、正夢?予知夢?ってやつだったのか……?
ふらっと、廊下の壁によりかかりながら
ふと、玄関を見る。
……陽向の靴はなく、
鍵はあけたままになっていた。
ザーーーーーー、
ドア越しにも激しい雨音が聞こえる。
こんな、こんな雨の中……?
傘も、持ってないよな?
追いかけろ、追いかけろ、まだ、捕まえられるはずだ。
サンダルに足をつっこみ、靴箱に引っ掛けてある傘を手に取る。
ガチャッ…!
ザーーーーーーザーーーーーー
……!
…………。
いや、
どーすんだよ、追いかけた所で。
あいつ、好きな、奴いるんだって。
しかも、あんな酷い抱き方して、
どの面下げて、「行くな!」なんて言えるんだ?
……ガチャ、ン。
カチャ。
はぁ……。
傘にもたれ、ドアを背にずるずると座り込む。
やべ、マジ、力入んねー。
……陽向、
陽向。……せめて、俺も、ありがとうくらい、言いたかった。
陽向、お前に会えて、俺……
陽向
どうして、
どうして、俺の人生って、
こんなにも楽しいことが無いんだろう。
初めて、本気になった奴すら
俺の元から、去っていく。
俺は、このまま、一生独りなのか。
陽向以上に、好きになれる奴……
これからの人生で、現れる気がしない。
ゲームだったら、ここでもう、ゲームオーバーだ。
ゲームならいい、全てリセットできるから。
このリセットされずに積み上がっていく気持ちを
どうしたら良いんだ?
もう、
もう、全て、消しちまいたい。
いつまでも止まない雨音を聞きながら
いつまでもその場から動けなかった。