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第34話 幸せと絶望④〜side陽向〜



「うわっ!!!!柳瀬くん!?ど、どうした!?」

どうやって店に帰ってきたのかもわからなかった。

気がついたらHARE caffeのレジ前まで戻ってきていた。

「ちょ、ちょっと、ねぇ、すごい、真っ青だよ!?顔……おいで、こっち……ちょ、長谷川ちゃん、吉野ちゃん、手伝って!」

ふらつく身体を二宮店長と、長谷川さんに支えられ、吉野さんがバックヤードの椅子を並べて、簡易のベッドを作ってくれた。そこに優しく座らされて、身体を横に倒す。

女の人達に支えられないと、歩けないなんて。恥ずかしい……。

「ちょっと冷やした方がいい?血の気ひいちゃってるから、あったかいタオルした方がいいか!?」

「え、ひなちゃん、顔真っ白。だ、大丈夫なの?貧血とかかな?病院行かなくて大丈夫かな?」

店長たちが話しているのを、意識が遠くなる中、聞いていた。




ずいぶん長い真っ暗なトンネルを抜けると、そこはコーヒーの香りに包まれた光の世界だった…。

「あっ……!ひなちゃん!!店長!ひなちゃん目覚ましたよ!」

パソコンを打っていた長谷川さんが、俺の顔を覗き込んできた。

女の人に、こんなに至近距離に顔を近づけられた事なんてなくて、びっくりして、一気に脳みそが動きだした。

「……長谷川、さん。す、すみません、俺……。」

椅子のベッドから身体を起こす。少し頭がふらふらするけれど、さっきほどの朦朧とした感じは無くなっていた。

店長がキッチンから急いでバックヤードに入ってきた。手にはトングを持ったままだ。

「柳瀬くん!あぁ、良かった!!どこか、しんどいとこある?まだ、横になっておきなよ!仕事はいいからさ!ゆっくり眠って、元気になったら家帰ろ。心配なら店早仕舞いして、送ってくから。ね?」


「い、いえ、かなり、スッキリしました。すみません、ご心配をおかけしてしまって。……こんなこと、初めてで……と、突然で、俺もびっくり……しました」

店長はカチンカチンとトングを鳴らしながら、時計をちらっと見た。

つられて俺も見るともうすぐ15時になる所だ。俺……1時間近くも寝てた!?やばい……。

「んー、そっか、じゃ、とりあえず何かお腹入れて、大丈夫そうなら、18時までお願いしよっかな。でも、もしキツかったり、しんどかったら、必ずちゃんと言ってよ?これで家に帰ってからまーた倒れましたー!なんてなったら、殴り込みにいくからねー!?」

「ははっ!店長、怖っ!……でも、わかりました。ちゃんと体調と相談しながら、やりますね」

店長はカチンカチン!と再びトングを鳴らしながらキッチンへと戻っていった。


ちょっと、顔でも洗って、スッキリしよう……。

ゆっくりと立ちあがりかけた時、店長がトレーを持ってバックヤードに戻ってきた。

はいっ!と渡されたトレーには、チョコチップマフィンと、トマトたっぷりのサンドイッチ。透明なグラスにはオレンジジュースが入っている。

「え、これ……あの、」

「いいから!食べなさい。お昼、めっちゃすぐに帰ってきてたから、何も食べてないんでしょ? これ食べて、大丈夫そうなら、仕事、続きやってもらうわ」


目の前に美味しそうな物が並び、お腹が思い出したかのようにぐーーーと鳴る。

お腹、ぺこぺこだ。


俺、何してんだろ。プライベートのことで、勝手にショック受けて、そのせいなのか、何なのかわからないまま、何だか急に調子が悪くなってしまって……こんな風に、職場のみんなに迷惑かけて……。

今は、仕事中だ。

もう、さっきのことは、忘れよう。

今日……秋斗さんに会うかどうかは……

仕事をちゃんとしてから、考えよう。

こんな風に、みんなに迷惑かけてちゃ、ダメだ。

俺、しっかりしろ。

真っ赤に熟れたトマトがはみ出ているサンドイッチに、思い切り齧り付いた。




その後は、体調も元に戻り、いつも通りに働くことができた。

明日の分のベーグル生地を捏ね終え、朝、茹でやすいように12等分に分けてラップで包む。まんまるに発酵するんだぞー、美味しくなれよー? ひとつひとつのベーグル生地にこっそり話しかけていると、

店長が包み終えたベーグルを丁寧に持ち、トレーに並べていってくれた。

「柳瀬くん、もう18時だから、ここまででいいよ。お疲れ様。よかったよ、顔色もすっかり戻って。家に帰って、ちゃんっと栄養あるの食べて、ゆっくり眠るんだよ?明日、休みだからさ。 もし、何かまた体調悪いっとかってなったら、遠慮なく私に連絡して?……あぁ、あの、例のお友だちの方が、連絡しやすいか?……ま、柳瀬くんの頼りやすい方に、ちゃんと連絡すること!これは店長命令ね?」

例のお友だち…………秋斗さんの、ことだ。

ははっ、頼れるわけ、ないじゃないか。

あの人は、俺にとって……

「ん?どした?」

黙ってしまった俺の顔を心配そうに覗き込んでくる。

「あっ、はいっ、店長命令に従いますっ!って、俺、1時間もロスタイムあるから、もう少し、キリの良い所までやっちゃって、いいですか?」

「あ、うん……まぁ、キリのいい所まで、やってくれたら、助かるけど……でも、終わったらすぐ、上がりなよ?」

ぽんぽんっと肩を叩かれた。

まだ……まだ、仕事、していたい。

秋斗さんの事、考えなくていいように。


もうひと種類のベーグルを作るために、強力粉の重さをはかる。

ほぼ毎日やっているので、グラム数はすっかり覚えてしまった。

この抹茶ベーグル仕込んだら、今日、秋斗さんと、会うかどうか、ちゃんと考えよう。今は、今はだめ。出てこないで、頭の中に……。

18時の待ち合わせ時間はとっくに過ぎている。

待っていてくれているのだろうか?

彼氏は先に帰ったのだろうか?

どんな気持ちで、俺に会ってくれるんだろうか?

あのお店で、彼氏さんといる所を見た、と言ったら、秋斗さんは、どんな反応をするのだろうか。


会いたい、でも、会いたくない。怖い。俺の気持ちに、何も答えなんて出ていない。


違う、やめよう、今は、ベーグルのことだけ。

抹茶のパウダーを生地に振りかける。

綺麗な黄緑に染まる生地を無心で捏ねた。





懸命に捏ねた生地を冷蔵庫に入れ終わった。ボウルを洗って時計を見ると、もう18時30分過ぎだ……

「お疲れ様です。お先失礼します。今日は、ほんとご迷惑お掛けして、すみませんでしたっ」

店長とはバイバイと手を振ってくれ、17時からのバイトの松本ちゃんと大葉ちゃんは何のこと?と言うように顔を見合わせていた。


打刻して、エプロンとキャップを取り、椅子に腰掛けた。

退勤したはいいけれど、バックヤードから動けない。

しばらく、座ったままスマホを握りしめていた。

どうしよう、どうしよう。

もう18時40分だ。


立ち上がれずにいると、

ピコン!!

真っ黒だったスマホの画面が眩しくなる。

『陽向?仕事終わったか?忙しいのか?いつもの所で待ってる』

通知画面に、表示された秋斗さんからのメッセージ。


待っててくれているんだ……

ど、どうしよう。

それを開いて見る事すら、今は怖い。


「あれ?ひなちゃん、まだいたんだ?帰らないのー?」

「あっ、か、帰ります!今日は、帰る事に、します!」

やば、頭の中とごちゃごちゃになって、変なこと言ってしまった……

「あははっ、ひなちゃんなーに言ってんのよ。さぁ、今日は帰る事にして下さいなっ!帰ってさ、肉食え、肉!ガツっと食ったら元気なるぞー!そんでビールだ!くー、最高ーっ!」

長谷川さんはいつも、本当に明るいな。俺も、こんな風に明るかったら……、

秋斗さんも、俺のこと、好きになって、くれたかな?


「はい……ありがとうございます。長谷川さんのおかげで、元気でました。決心もできました。帰ります。お疲れ様です!」

「!?え?ん?……まぁ、おつかれぇー」


そうだ、

決心した。




今日は

秋斗さんに、

会わない。

まだ、好き、な気持ちが強すぎるから。


きちんと、気持ちを整理してから、ちゃんと、最後に、話をして、


それで、それで……その時が、最後だ。




スマホをトートバッグの1番下に入れ、エプロンで隠した。

秋斗さんからの連絡が今来たら

粉々になってしまいそうなほど、

ガラス細工で作られたようなもろい決心だから。


でも、

会わない。

会わない。

今日は、会わない!

決めたんだ。


彼氏が、いる人の事

好きになっちゃ、いけない。

そんなの当たり前のこと。


俺のこのいけない気持ち、きちんと決着をつけよう。

この1週間で。


来週、

ちゃんと、さよなら言うために……。


秋斗さんに会わないよう、南口にむかう。

遠回りだけれど、仕方ない。

トートバッグの底がずっと振動している気がするが、

ただ、南口の表示だけを見て、前を向いて歩いた。


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