「ごちそうさまぁ、どの料理もすっごく美味しかったですー!」
「嬉しいお言葉ありがとうございます。シェフにも伝えておきますね。ご来店、ありがとうございました。」
カラカラン、……ガチャッ。
22時10分。最後のお客様を見送り、店の扉に鍵をかけた。
ふぅ、これから閉店作業だ。
テーブルに置いてあるお客様の食べ終えた皿を重ね、キッチンへと下げる。
「秋斗ー!いやー、ほんとヘルプ助かったー!秋斗様様だわー、まじで!!」
シンクに山積みの皿洗いをしている高橋さんが話しかけてきた。
「いえ、平日なのに急遽予約プラス3件は珍しいですよね。まぁ、高橋さん、俺に沢山貸しがありますね?覚えてます?ジムと、飯。」
「うわっ、かっわいくねーな。 んまぁ、そーなんだよ。月曜なのにさー、まじでびびったわ。いや、断んのも考えたんだけどさー、席空いてんのに予約蹴って、んでそれが何かでバレて、口コミとかで色々書かれたら困るしさー。てか、オーナーに知られたらそんなん俺、殺されるし!」
今日はランチの勤務段階ではディナー予約は2件だけと、落ち着いている日なはずだった。
なのでキッチンは高橋さんを入れて3名、ホールは俺以外の正社員2名で十分回せる予定だった。だから希望を通してもらえてのランチ勤務だったのだが……。
『秋斗!ごめん!!!デート中か!?ごめんけどさ、20時からの予約3件入っちゃって、んで、今も予約なしのゲストでほぼ満席なんだわ。今から急ぎでヘルプ入れるか!?』
陽向とラブホで、これから……という時にかかってきた悪魔のような電話。
今日はもう帰ろう、と伝えた時の、陽向の今にも泣きそうな、悲しそうな顔が頭から離れない。
……あれは一体どういう意味の顔なんだろう。
抱かれたかったのに、キャンセルにされてショック?
せっかく時間作ってわざわざ来たのに、帰るなんて言われて怒ってる?まぁ、そりゃ、そうだよな。
18時30分だ。20時からの予約のお客様に間に合わすには、あと30分くらいで店に着かなくてはいけない。
10分毎に来る電車のなるべく早いのに乗らないと……一本逃したら、かなりギリギリになる。
なかなか動こうとしない陽向を半ば無理やり東口まで連れてきた。
一向にこっちを見もしないし、話しかけても何も答えない。
なんだ、何を考えてるんだ?怒ってるのか?なら、そう言えばいい。
予定ドタキャンするなんて、最低だ!とでも言えばいい。 でも俺はお願いされた仕事を断る理由なんて思いつかなかった。 陽向とこれからセックスするから行けません?そんな事言えるわけ無いだろう?
「なぁ、大丈夫か?何か、ずっと黙ってっけど。……怒ってる? まぁ、そうだよな。いや、悪かったって。
ちゃんと次、時間作るから、な?……うわ、ちょ、本当時間ないからいくわ。ごめんな」
ぺらぺらと何を言ってるんだ俺は?陽向になんか構ってないで、早く電車に乗らねぇと。
東口のエスカレーター向けて走り出したが、腹立つほど陽向の潤んだ瞳が頭の中にこびりついて離れない。
……っくそ!
何を思ったのか、気がついた時には、身体が向きを変え、勝手に陽向を思い切り抱きしめに行っていた。……おい、俺、何やってんの?
こいつの、ご機嫌取り?いや、早く行かないと。
「ごめんな、陽向。ちゃんと、次に会う時間、作るから。また、夜、連絡する。」
俺の声か?と引くほどぬるっぽい気持ち悪い声が出てしまった。 流石に陽向にも引かれたか?と思ったが、
うんうん、と腕の中の陽向がやっと頷いた。良かった……。
ちょうど鼻先に当たる陽向の髪の匂いをそっとかぎ、身体を離す。あぁ、抱きたかった……。
いや、待て、マジで、そんなことしてる場合じゃねぇって。
腕時計を見て、急いで身体を引き剥がし、次こそは振り返らないと決意して駅へと向かって走った。
「んで?彼女ちゃんは大丈夫なわけ?ぷんすか怒っちゃったんじゃない?私より仕事が大事なのねー!!!っとかってさ?」
高橋さんは光が反射して眩しいほどの包丁を研ぎ始める。
一体包丁が何種類あるんだろうか?
一本一本丁寧に研ぎ上げていく繊細な指捌きに、つい集中してしまった。
「ん?なに?まじでやばい感じ?喧嘩しちゃった系?」
黙っていた俺を気にしてか、研ぐ手が止まる。
「っあ、い、いや、だから、彼女とか、そんなんじゃないですって、」
「まぁでも、秋斗ちゃんのポーカーフェイスが崩れちゃうくらいには、大事な人なんじゃないのー? 気づいてる?最近、秋斗顔ゆるんでる時多いぜ?ま、ゆるんでるってよりは、柔らかくなったって感じ? んで、今日の出勤時なんかは、鬼でも倒してきたんかってくらい殺気まといすぎだったからねぇーあははっ!そんだけ、その人との時間潰されたの嫌だったんだなぁーってお兄さん申し訳なくなっちゃってさぁー」
は?何をべらべら言ってんだこの人。
「大事とか、そんなんじゃないです、あいつは。あいつは……俺の……?俺の、えっと、なんだ? 週1会うだけの、でも友だちってわけじゃないし。ただ、毎日なんとなく連絡はしてますけど、まぁ、そんだけ、です」
高橋さんのせいで、何だか余計な事を喋ってしまっているような気がする。 この人のこういうずけずけ入り込んでくる所、超苦手だ。
じとっ睨んでいると高橋さんは包丁をそっと作業台に置き、俺の肩を抱いてきた。
「なになになに、ちょっと待て。あれか、お前、なぁ。
お前さ、恋ってしたことあるか?おい」
「なんですか、急に。 恋とか、愛とか、そういう胡散臭いの俺、興味ないんで。」
高橋さんは化け物でも見たかのように、ひぃぃぃぃーー!っと言いながら、大袈裟に後ろに下がり、床に座り込む。
「ちょ、ちょ、えっとな、相手の子と、どこまでいってんだ?」
「は?プライバシーの侵害ですけど。」
他のシェフやホールのスタッフも何事だ?というようにこちらをチラチラみている。
とっととこの人の口、止めさせないと。
「いいから!その子と手は繋いだか?キッスは?エッチは?いいから教えろほら」
お客様がいないにしろ、仮にも仕事中だ。
なんでこんな話しなきゃいけないんだ。ふらっと目眩すらしてくる。
「マジで勘弁して下さいって。もーーー、うざいからハッキリ言いますけどっ、俺らの関係、身体だけの関係でしかないですから。だから恋とかそーいうんじゃ一切ないんで。はい、この話やめてください。片付け戻りますね!帰る時間遅くなる」
さっきまでふざけていた表情の高橋さんが
立ち上がり、急に真面目な、料理をしている時のような顔つきになった。
「お前さ、それって、相手の子もきちんと納得してるわけ? なぁ、お前、その子、泣かせたりしてないか?」
「な、なんで……いや、でも、あいつが勝手に……」
真剣な目で、顔を覗き込まれて、それ以上何を言って良いのかわからなくなった。
あいつ、いつも、泣いてる。いや、それはあいつが泣き虫だから……え?……俺が泣かせてんのか?
陽向の潤んだ目が頭の中を埋めつくしていく。
「そっか……その反応じゃ、図星か? はぁ。それほどかぁ。思ってたより重症だこりゃ。 んー、なぁ、自分の気持ちに気がつくには、その、夜の身体だけの関係じゃなくて、昼間ちゃんと一回会ってみろよ。」
「いや、だって、月曜日の夜だけって……」
「だから!エッチ無しに会ってみたら、その子の大切さ、気がつくんじゃね?ま、誘って相手から無理ですーって断ってくんなら、相手も身体だけって思ってんだろ。もし、喜んで来たら……あっ!……」
話しながら突然、ライトを見上げると、事務所へと歩きだす高橋さんの言葉の続きが気になって、つい追いかけてしまった。
「喜んで、来たら……なんなんですか?」
バコン!とロッカーを開ける高橋さん。
何をしてるんだ?
気になる答えをもらえないまま、良く見た事のあるブランドの財布から何かを取り出してきた。
「ほい、これやる。これでも誘って、ちゃんと健全なデートしてこい。まずはそっからだ、お前は……」
2枚のチケットにはホテルのケーキビュッフェの告知が印刷されていた。ケーキ……陽向、好きって言ってた。
「ちょっと待って下さい、あの、これ、誘って、喜んで来たら、なんなんですか?」
「ん?それは……明るいとこでな、相手の顔ちゃーんと見てたらわかんじゃね? 自分のこと、どれだけ好きなのかな、この子ってな。 ま、結果報告ちゃんとしろよ?俺、勉強がてらビュッフェ行く予定だったけど、このままじゃ、あまりに秋斗の相手の子が不憫で仕方ないからなぁー」
高橋さんは、満足したのか?肩をすくめると厨房へとすたすた戻っていく。
チケットを握りしめる俺だけが事務所に1人残された。
好き?……は?好き?
陽向が、俺を?
んなわけあるか。
初体験のちょうどいい相手だったし、その後も性欲満たすために会ってるんだよな?
じゃなきゃ、わざわざ俺なんかに抱かれにこないだろ。
てか、不憫てなんだよ、俺たち、最初から身体の関係って決めてたんだよ。
チケットに沢山うざいほど散りばめられたケーキの数々。
……。
陽向、これ見たら、喜ぶかな……。
チケットが折れ曲がらないよう、そっとサロンの内ポケットにしまった。
その日の夜『陽向、今日は本当ごめん。家帰ったか? 今度ケーキでも食いに行こう』と送ると、
すぐに
『嬉しいです!!!でも秋斗さん、ケーキ苦手と思いますので無理しないで下さいね!その言葉だけでも、十分俺は嬉しいです』と返信が来た。
ん?これは喜んでるのか?それとも、別に行きたくはないのか?
わかんねぇ。
陽向の気持ちが全然、わかんねぇ。