バタ、ン……。
ずるずるずる……。ドサ。
仕事が終わってから、まだきっと3時間くらいしか経っていない。
この3時間の出来事はあまりに衝撃すぎて、夢を見ていたのかと思うほど、実感がない。
でも、玄関タイルの硬さが辛いお尻や、太ももが引き攣れ軽い筋肉痛のような痛み、腰の違和感が、現実だと教えてくれる。
靴も脱げずに玄関のドアにもたれかかって座ってしまったまま、動けない。
……おれ、俺……、しちゃったんだ、エッチ。秋斗さんと。し、しかも、連絡先まで、交換してくれた。
また、会ってくれるって……。俺があんな風に子どもみたいに泣いたりしてしまったから、気遣わせてしまった。
自分のした事を、一つ一つ思い出して、顔が熱くて、額から汗が一筋垂れてくる。
ガサッ
「あ、これ……」
秋斗さんが買ってくれたコンビニの袋を覗く。何、買ってくれたんだろう?こんなに、沢山。
秋斗さんにお礼を伝え、秋斗さんが駅の方を向いた隙に、コンビニ袋へホテル代のお金を隠し入れた。
その事に気がつかれないように、振り返りもせず家へ帰ってきた。せめて、お金はちゃんと払わなきゃ。俺の条件を叶えてくれたんだから。
袋を渡された時は、驚きと、勝手に出てくる涙に戸惑って、もらった袋の中身を確認している余裕なんてなかった。
靴をそっと脱いで、玄関と繋がっているキッチンのシンクにひとつひとつ入っている物を並べていった。
ミルクパン、鮭おにぎり、カフェオレ、お茶、醤油味のカップラーメン、シュークリーム、ポテチ2種類、チョコクッキー、チョコスナック……うそ、こんなに沢山……!
食べるのもったいないな。
でも食べられなくて捨てちゃう方が、もったいないよな。
明日のご飯にしよ。
冷蔵が必要な物を冷蔵庫の中へそっと並べた。
そうだ、秋斗さんにお礼の連絡……!
まだ肩にかけたままだったトートバッグからスマホを取り出す。
ピコン!
手にした途端、通知音が鳴る。
まさか、まさか、秋斗さんじゃないよな。
期待しない期待しない。
そっと画面を薄目で見ると、見慣れないアイコン。
すこんと抜けた青空に、真っ白な雲がくっきりと映えている真夏の空の写真だ。
……!!!秋斗さんだ!!!!
急に心臓が痛くなる。ただ画面に触れるだけなのに指先が震える。
え、どうしよう、なんだろ、やっぱ、来週、無し、とか?いや、いや、そんな、え、でも、そうだったら、俺、ショックで、立ち直れないかも、だ、大丈夫、秋斗さん、そんな人じゃない、あんなに、優しいんだから。
でも、でも、もし、彼氏さんにバレて、会えなくなったとか……
たったひとつのメッセージを開くことが、こんなにも怖いなんて。
大丈夫、大丈夫。せっかく送ってくれたのに、既読も、返信も、無い方が失礼だろ。
大丈夫。ふう……。
必死に自分に言い聞かせて、深呼吸をしてからメッセージを開く。
『無事に帰れたか? 身体きついだろうから、早く眠れよ。俺も寝る。また明日、連絡する』
画面を抱きしめたまま、よろよろとドアを開け、ベッドへ飛び込んだ。
…………っ!嬉しい嬉しい!!!!秋斗さんから、こんなメッセージ、もらえるなんて。しかもまた、明日!明日っって!!明日も、連絡して良いって、こと!?
うわ、わぁ、わぁ!!!!
布団を頭から被りこの嬉しすぎる気持ちをどうして良いかわからず、バタバタと暗闇の中を暴れ回る。
だめだ、どうしよう、どうしよう。
もう一度、メッセージを読み返してみる。うん、見間違いなんかじゃない。
やばい
どうしよう。
俺……
秋斗さんのこと、
好きだ。
好きになっちゃった。
……どうしよう、どうしよう。
好きになっちゃいけない人なのに……。
この気持ちがバレてしまったら、もう、会ってくれないだろう。秋斗さんも、先週、条件を何度も確認してきた。
俺、彼氏さんから秋斗さんを取るつもりなんてない。そんなこと、しない。
でも、月曜日、月曜日の2時間だけ。その時間だけはどうか一緒にいさせて欲しい。
キスもしなくていい、泊まりなんて絶対しない。エッチだけの関係でいい。
誰にも言ったりしない。
絶対にこの気持ちをバレないようにするから。
また、来週も、もっと先も……秋斗さんに会わせて下さい。
ね、それなら、いいよね?こっそり好きでいても……。
誰か、教えて。
布団の暗闇の中で、秋斗さんへの返信を打ち込む。
『お疲れ様です。家に着きました。頂いた物、大事に食べます。今日は貴重な体験をありがとうございました。 今日はもう眠りますね。また明日、メッセージ致します。迷惑な時間帯などあったら、教えて下さい。それでは、おやすみなさい』
彼氏さんにうっかり見られても、怪しまれたりしないように、何度も打っては消してを繰り返す。
これで、大丈夫だよな?
何度も何度も読み返して、やっとで送信を押せた時には、もう頭がふらふらとしていた。
あぁ、疲れた。
もう、眠ろう。
好き、秋斗さん……
ピピピピ……ピピピピ……
「んんっ、あたま、痛っ、」
7時を知らせるスマホのアラームを止め、通知を見るが、画面がぼやける。
「ん、身体も、ぎしぎし、する。……ん?……熱、ある……?」
手のひらで触れた首筋がぽっぽっと熱を持っている。
ふらふらする身体に何とか力をいれて、テレビの横のラックのペン立てから体温計を取る。
今年の始め、インフルエンザに罹ってしまった時に、店長が買ってくれたものだ。それまで滅多に熱なんて出した事なかったから。
何となくテレビをつけると天気予報だった。
今日は梅雨らしく雨の1日になるらしい。
ちょうど良かった。
ピピピピッ
「あ、やっぱり……」
37.8℃と表示された画面を消して、枕元に放る。
そこまで高くは無い。寝てたら、治るかな。
明日は12時30分出勤だから、それまでには、下がるはず。とりあえず、寝よう。
ボフッ。
枕に頭が埋もれる。
あぁ、初体験すると、熱出すって、本当にあるんだ。漫画だけの話かと思ってた……
漫画ならさ、恋人が看病してくれるんだよなぁ……。
いいなぁ、恋人かぁ。
いいなぁ。