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第13話 初めての夜②〜side陽向〜

 お客さんから下げられたカップを洗っていた俺に店長が「柳瀬くん!時間!上がって上がって!暇だからあとはやっとくから」

と強制的に手に持っていたスポンジをとられてしまった。

そんなに俺、今日、変だったんだろうか?

「柳瀬くん、明日お休みだから、ゆっくり休んでよ?心ここに在らずだったよ。一日中。具合悪くないって言ってたけど……何かあるなら、私でよければ聞くからね?」

じっと目を覗き込まれた。店長のこういう鋭いところ、羨ましくもあり、ちょっと苦手だ。

でもこの人の凄いところは、むやみには踏み込んでこない所だ。すごく程よい距離を作ってくれる。高校卒業後の進路で悩んでいた時も、相談するきっかけを作ってくれたのは店長だ。

「ありがとうございます。ちょ、ちょっと考え事しちゃって……すみません、迷惑かけてしまって。ちゃんと、水曜からは気持ち切り替えてきますね」

「うんうん、まぁ、心なんて急には切り替わらないんだから、きつい時はきついでいいし。そしたら有給使って休んでも、短時間にしてもいいんだからさ。無理せずに、だよ?」

ペーパータオルで手を拭きながら、店長に頭を下げる。

「はい。それじゃ、今日は上がらせてもらいますね。お疲れ様です」

「はいはーい!美味しいもんでも食べるんだよー?」

頭を下げてバッグヤードに戻り、急いで尻ポケットからスマホを取り出す。

18:10だ。AKITOさんからの通知は入っていない。

待っていてくれるのだろうか?あれから、もう6時間くらい経っている。どこにいたのだろうか?家に帰ってた?

早く、早く行かないと。ずっと待たせてしまっているのかもしれない。

急いでキャップを更衣室のフックにかけ、エプロンをぐるぐると雑に丸めると、トートバッグへ突っ込む。その拍子に朝、迷った末に持ってきたローションのボトルが目に入ってきて、慌ててエプロンで包んで隠した。


 早く会いたい、ちゃんと、1週間準備してたよ、っと伝えたい。初めてを、AKITOさんに、して欲しい。




 どうしよう、店から出たはいいけれど、心臓が口から出てきそうなほど、凄い音を立てている。このまま壊れちゃわないかな、俺の心臓。

これから、抱かれに行くんだ。あのカッコ良い人に。仕事後だから、汗かいてるから、シャワー先に浴びても良いのかな?汗臭いと思われたら嫌だ。

すぐ始めるのが一般的なんだろうか? それとも、家に帰ってシャワーしてきた方が良いのかな?でも、そうしたらさらに待たせてしまうし……。そんなことすらわからない。未知すぎる世界だ。


 そうだ、東口にまだAKITOさんがいなかったら、連絡して、シャワー浴びてくることを伝えよう。そうだ、それがいい。

ぎゅぅっとトートバッグの紐を握りしめ、東口に向かって一歩一歩進み始めた。

東口が近づく度に「AKITOさん、待っていてくれ」と「いや、いなくていい。やっぱり今日無かったことにして」と2つの気持ちが頭の中で戦いあっていて、眩暈がしてきた。


 東口出てすぐの、大きな柱に寄りかかっている、黒髪長身、Tシャツの袖からみえる綺麗な腕の筋肉が、スマホを操作するたびに動き、それすらも男らしくてカッコ良い。

自分のひょろっと白い腕が恥ずかしくなって。トートバッグの下に隠した。


 AKITOさん、待っててくれた……。

思わず走って抱きついてしまいたい気持ち悪い衝動に駆られたが、両手を握りしめ必死でこらえた。

後ろからそっと、この1週間会いたかった人へと近づく。


「あ、あのっ、お待たせ、しましたっ、」

「お。お疲れ、陽向。って、名札で本名わかっちゃったから……呼び方、陽向でいい?前のままHINAがいい?」

なんでこの人に名前を呼ばれるだけで、胸がぎゅってするんだろう。変なの。


「あっ、ひなたで、いいですっ、ごめんなさい、一日中待たせて、しまって」

「いや、陽向、仕事だったじゃん、謝ることじゃないだろ?てか、だったらもっと早…………っ、いや、なんでもない」

なんだか怒ったように顔を背けられてしまった。何か怒らせてしまうようなこと、してしまったんだろうか?

「そうだ、これ、やるよ。仕事終わりで腹、減ってんだろ?」

「え?」

ガサガサっと茶色の紙袋を渡された。なにこれ?

そっと中を覗くと有名ファストフード店のポテトの良い香りがして、ぐぅーとお腹がなってしまった。

「わぁ!!!ありがとうございます!わぁ、嬉しい、一緒に食べましょ!」

 駅の柱に寄りかかりながらAKITOさんにも取りやすいように袋からポテトのケースを取り出す。

疲れた身体にポテトの塩加減が良い感じで染み込む。

AKITOさんは2本だけ食べたあと、あとはいらない。と俺に全部くれた。

申し訳ない気もしたが、お腹が空いていたので、あっという間に食べ切ってしまった。

その間、嫌な顔ひとつせず、食べる俺をAKITOさんは待っていてくれた。優しい……。

食べ終え空になったケースを紙袋へ戻し、小さく丸めて、トートバッグへとしまおうとバッグの口を広げると、あのローションのことを思い出した。


そうだ!!!頑張って買ったローション!返さなきゃ!

「あ、あのですね、あの、1週間、沢山使ってしまったので、えっと、……」

トートバッグの奥にエプロンに包んでおいたローションを取り出す。

「あの、はいっ、これ、ほとんどあの、以前もらったのは使ってしまったので、新品の、です!」

「……」

両手で差し出したローションを受け取ってもらえないどころか、AKITOさんは眉間に皺をよせて、俺が差し出したボトルを眺めている。 や、やば。そうだよな、こんな通行人も沢山いるところで……!本当に俺ってアホだ!

「すすすす、すみませんっ!ホ、ホテルで渡せば良いんですよねっ!こ、こんなところでっ、うわぁぁ、俺、なにやってんだろ、もう、」

俺だけサウナにでも入っているかのように全身から汗が吹き出す。恥ずかしい、本当何やってんの俺。

慌ててトートバッグへローションをしまおうとすると、

右手で掴んでいたボトルをがしっと握り取られた。

「っ……え?」

「陽向がこんなに大胆だったなんて、知らなかったわ。なに?こんだけ沢山、陽向の為にローション使っていいってこと?わざわざ買ってくれたんだ。」

「いっ、いやっ、そうじゃ、なくてっ、あの、もらったの、無くなったままじゃ、申し訳ないな、って」

顔の汗をTシャツの袖で拭っていると、視界が突然真っ暗になった。

え?

腰に熱いAKITOさんの腕が巻きついている……。これ、抱きしめられて、る?ということは目の前のこの良い香りのする布はAKITOさんの肩の部分だよな?

すんっとその布に顔を擦り付ける。清潔感のある、爽やかな香りを鼻いっぱいに吸い込む。いい匂い。

目をつぶって香りを堪能してしまっていると、

左耳に柔らかいものが触れる。

「な、早く、ホテルいこ?早く陽向を抱きたいわ」

初めてピアスを開けた時のように、左耳がジンジンと熱く痺れた。

反則だ!こんな、誘い方。反則だ、そんな余裕のない振りして……。今まで何人に、こんな誘い方、したの?

「なぁ、いい?」

さらに低い声で囁かれて、もう、壊れた人形のように首を何度も縦に振った。

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