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第12話 初めての夜①〜side陽向〜

あぁ、約束の月曜日だ。

昨日はお風呂入って、肌ケアをしながら動画配信を観て、連絡を待っていたが、結局、欲しい人からの連絡は何一つこないまま寝落ちしてしまった。

朝、目覚ましアラームを止めて急いで通知を確認したけれど、

やっぱりAKITOさんからの連絡はない。


忘れてしまったんだろうか?俺のこと、気持ち悪くなった? それとも、彼氏さんにバレたりした?それとも……他に会う人ができた?

それなら、それでちゃんと諦めるから、連絡一つくらいくれたっていいのに。

来週の月曜日って、今日……だよね?

スケジュールアプリの日付と曜日を確認する。先週から何度この日を確認しただろう。



「はぁ……」

ケトルのお湯を沸かしながらトースト2枚をオーブンで焼く。

自分の働いている店のドリップコーヒーのパックを開けた。うん、いい香り。この香りを嗅ぐと、嫌なこと全部吹っ飛ぶ。

そうだ、うん、今日の仕事の休憩時間までに、AKITOさんから連絡がなかったら、すっぱり諦めよう。

焼きたてのトーストにオレンジマーマレードをたっぷり塗りながら、テレビのニュースを確認する。梅雨真っ最中なのに、今日は晴れるらしい。


AKITOさんは、今何してるのかな?この地域に住んでいるみたいだけれど、偶然、会ったりしないかな。

いや、待て。偶然会ってしまったら困るだろう。俺も、相手も。未遂とはいえ、あんなことをしてしまった仲だ。こんな明るい陽の元で、ちゃんと顔なんて見れるわけ、ない。なんなら初めて会った時だって、薄暗かったけど、ちゃんと顔見れなかった気がする。 すごく、かっこいいイメージだったけど、日中会ったらどうなんだろう。背はすごく高くて、モデルさんか俳優さんとおもった。あんな人種、いるもんなんだなぁ。


170センチにギリギリ満たないまま、20歳を過ぎてしまった自分の遺伝子が悩ましい。

母は150センチ前半の小柄でいつまでも子どもみたいな人だ。父も168センチで、母と並んでいると大きく見えるという錯覚をつい起こすが、実際男性としては小さいだろう。「俺はママとのバランスが良いこの身長に何も不満はない。ママがもしもの時に抱き抱えられるだけの身長と体力があればいい!」と背の小ささに恨みつらみを言う俺によく言っていた。それを「ふふふっ!パパはいつまでもかっこいい!」なーんて一人息子の前でいまだにくっついていられるアホ夫婦だ。 まぁ、仲が良くて何よりだけどな。


歯磨きをしながら鏡で顔をチェックする。うん、ちゃんと昨日の夜に肌ケアしたからか、艶が戻ってきている。よかった。

さぁ、8時半になる。AKITOさんに会えるかも……しれないから、いや、天気がいいから……今日は歩きで行こう。

買ったまま玄関の上り口の所に転がりっぱなしの、ローションが目に入った。

必要ないだろう、こんなもの。……でも、もしも、もしも連絡が入ったら……。迷いに迷い、何度か手に取っては、床に置いたそれを出かけるギリギリになって、勢いでトートバッグの底に突っ込んだ。

ドアに鍵を掛けてから気がついた。うわ、そのまま持って来てしまった。何かに包んだりして隠せばよかった……。誰にもバッグの中、見られませんように……。これ、ちゃんとAKITOさんに、渡せますように……。




平日の開店前は静かな時間が流れている。昨日とは打って変わって穏やかな開店準備だ。

2つ年上の22歳の正社員の女の子、吉野さんと一緒に世間話をぽつぽつとしながら開店30分前ののんびりとした時間をコーヒーを落としたり、チョコチップクッキーを仕込んだりして過ごす。

吉野さんとは、社長にいつ会ったか?の話題で2人して記憶を辿るので5分くらい、悩んでしまった。


社長は海外にコーヒー豆の買い付けにいったり、あちらこちらのカフェをめぐったり、国内に8店舗もある系列のカフェを転々と自由に動き回っているらしい。

社長からはよく、海外で購入してきたコーヒー豆がどさっと送られては来るが…一体どこから送ってきているのかもいまいちわからない。

俺も高2から約4年間、このHARE coffeeで働かせてもらっているが、社長には2度しか会ったことがない。

店長の二宮さんも、社長は超レアキャラだから!会えたら良い事あるかもね、拝んどけー!と笑っているくらい。


二宮さん自身も店長を任されてから、ほぼ社長とは会えていないらしい。もちろん、業務連絡や売上、新商品など連絡は毎日取り合っているらしいが……。

吉野さんは俺と同時期にHARE Coffeeでバイトを始めて、短大卒業後に正社員になった。ふわふわした感じだがこの4年間であまり素性がわからない。というか、俺がプライベートを聞くのは良くない気がして、聞かないからだけかもしれないけれど。

店長とは仲良しでよく飲みに行ったり、休日に遊びに行ったりしているみたいだ。

ふわっとした笑顔が、男が好きな俺から見てもとても可愛らしい。……って年上に可愛いは失礼かな。

「よし、仕込みあらかた完了したから、外窓拭きしてきちゃうね?ベーグル、オーブンに入れてるから途中チェックお願いしてもいい?」

「あ、はい。窓ありがとうございます!」

チョコチップクッキーを天板に並べながら時計を見る。

あと10分で開店だ。 平日は夕方に、大学終わりの学生が押し寄せる時間以外はどっと混んだりしないから、サイドメニューをゆっくり仕込みながら、お客さんの対応ができる。

「おはよーー!お、柳瀬くん、元気ー?昨日疲れてたから心配してたけど……」

「あっ、店長おはようございます!寝たら復活しました!ご心配ありがとうございますっ」

チョコチップクッキーを予熱されているオーブンに入れる。隣のベーグルも良い調子だ。


今年の4月からベーグルを始めたが、なかなかの好評でノーマルなベーグルから、オリジナルベーグルまで、予想していたより沢山のオーダーをもらっている。

俺もベーグル担当に入れてもらえて、店長と一緒に中にサンドする具材を月替わりであれこれ模索中だ……。

6月のオススメは『アボカドと夏野菜のベーグル』

アボカドと、トマト、レタス、カボチャのペースト、グリルしたズッキーニも挟んで、ガーリックオニオンソースが味をまとめてくれている。 夏先取りな見た目も元気なベーグルだ。

これがかなり好評で、常連さんからのリピート率も高くてとても嬉しい。店長からは来月の新商品を入れつつも、まだ『アボ野菜ベーグル』は継続しよう!と言ってもらえた。

自分が生み出した、可愛いベーグルが描かれたオススメボードをレジ前に並べる。今日も沢山売れますように……!


「あの、もうお店やってます?」

「はい、大丈夫ですよ、いらっしゃいませ!」窓を掃除してくれている吉野さんの声と女性の声が聞こえた。

さぁ、お店の1日が始まる。お客さんが店に入ってくる直前、尻ポケットに入っているスマホの通知をちらっと確認した。そこにはニュースを知らせる通知しかなく、誰にも聞こえないよう、ふぅ、と息を吐く。仕事、仕事だ。

休憩時間まであと4時間……。それが俺とAKITOさんの関係に残された時間だ。


午前11:30。 店内に様々なコーヒーの香りが充満し、心地よい時間だ。それを胸いっぱいに吸い込みながら、ソイラテ用の豆乳をボトルに補充する。

あ、お客さんだ。若い男の人。キャップを深めに被っていて顔はよくわからない。背が高く、綺麗に筋肉のついた身体がTシャツ越しでも感じられた。すご、スタイルいいなぁ。俺にも少し身長分けてくれよ……。

お客さんがレジ前のボードを眺めている隙に、豆乳のボトルをレジ後ろの冷蔵庫へと片付けた。

ボードじっくり見てくれてる!ベーグル注文くるかなー!?こいこいー!

「いらっしゃいませっ、ご注文おきま……っ!?」

目の前に立った男の顔を見上げて、言葉がそれ以上出てこなかった。

なんで……

なんで……?

なんで、AKITOさんが……ここに……!?


いや、似ている人なだけかもしれない。だってあの日だって夜だったから、顔をしっかり見たわけではないし……。

「あ、ここで、働いてんだ?」


「あ、あ、は、はい。」

……や、やっぱりAKITOさんだ。ど、どうしよう。AKITOさんも、まさか、こんな所に俺がいるなんて思わずに、困っているのかもしれない。

どうしよう……。店長に、レジ変わってもらおうか……?いや、そんなことをしたら、さすがに感じが悪すぎるだろう。

た、他人のふり……。普通に、接客、しなきゃ。


「ひなたって言うんだ、名前。 なに?あんま知り合いってバレない方がいい感じ? 世間て狭いもんだなー」

「あ、は、はい。えっと、」


な、名前、呼ばれた。なんで……?あ、名札か。

だ、だめだ。緊張しちゃって、言葉が、出てこない。

やだ、涼しいはずなのに、変な汗が顔から噴き出る。背中にもツッーと汗が伝って気持ち悪い。


「んな顔すんなって。あんなことした関係でーすなんて人様の前で言うわけねーだろ?普通に飯食いに来ただけだから。アイスコーヒーと、アボカドと夏野菜のベーグルちょーだい」

んな顔?って俺、どんな顔してるんだ?お願い、もう早く注文して、早く帰って。

接客業としてあり得ない考えが浮かんでしまう。


「はいっ、か、かしこまりました。あ、あの、ベーグル、少しお時間、いただきます。席でお召し上がりになりますか?お持ち帰りなさい、ますか?」


すごい視線を感じる。目合わせたら、ダメな気がして、必死にAKITOさんから目線を逸らす。最低な接客だ。


「ん、席に持ってきてくれる?陽向くんが。」

「っ、……は、はい、かしこまり、ました」

うぅ、テイクアウトじゃないのかよ……。

気まずい、恥ずかしい。もうやだ。穴に潜りたい。

先週あんな姿を見られた人と、こんな明るい時間に、こんな健全なコーヒーショップで会うなんて。


俺がオーダーをキッチンに伝えず、コーヒーの準備も、レジも打たずに俯いてしまっていたのを心配してか、

「柳瀬くーん、レジ大丈夫ー?」

店長が何かを察知して、声をかけてくれた。さすがだ。

以前、気持ち悪いお客さんに、変なことを聞かれて困っていた時も、助けてくれたのは店長だ。 

でも、これは俺の問題だ。店長に迷惑をかけるわけにはいかない!


「あっ、店長っ、大丈夫っ、大丈夫……です。あ、アボ野菜ベーグル一つ、お願いします」

「はーい、りょうかーい」

店長はちらっと俺の顔を見て、OKー?と指で作って合図をしてくれた。AKITOさんには見られないように腰の位置でOKマークを指で作り、返事をする。


ふぅ、深呼吸だ。平常心平常心。タブレットでオーダーを打ち、画面をAKITOさんへと見せる。

「アイスコーヒーと、アボカドと夏野菜ベーグルで1,030円頂きます。」

シャリーン……決済音がした。

待てよ。この時間に、ここにいるということは、今日はAKITOさん休み?も、もしかして、今日の約束を覚えていて……俺を駅で待ってくれているの?

いや、いや、そんな自意識過剰な……。

で、でもっ、もし本当に待っていてくれるなら…せめて時間だけでも伝えておかないと。

ここで会えたのも、きっと何か意味があるんだ。

それで「は?なんのこと?」って言われたら、「勘違いでしたーすみませーん!」って言えばいい。そうだ、その方がはっきりと諦められるじゃないか。


1人脳内をぐるぐるしながら、何個氷を入れたのかわからないグラスにアイスコーヒーを注ぎ、社長がどこかの国から仕入れてきた、木の重みがしっかりしているコースターにアイスコーヒーをそっと置き、ストローをトレーに乗せる。


「はい。アボ野菜。大丈夫?私が持って行こうか?なんかヤバいこと言われたりした?」

「い、いや、大丈夫です、ちょっと、知り合いなんです。あの。はい、ちょっと、だけ、あ、提供いきますねっ」

「うん……って、ちょっとだけ、知り合いって、なによ……?」

背後で店長が何か言っていたが、振り返らず、彼の待つカウンター席へと突き進んでいった。


「おっ、お待たせしました。アイスコーヒーと、アボカドと夏野菜のベーグルです……」

「ん、陽向くん、せんきゅ。」


ひ、ひなたくんて、呼ばれた……。何これ、すっごい、胸が熱いんだけど。

ど、どうしよう、言わなきゃ、言わなきゃっ!時間の、こと。


「……?な、なに?」

AKITOさんが迷惑そうに振り返った。

いけ!俺っ!いまだ!


「お、俺っ、仕事っ、18時っ、上がりですっ、あ、あのっえっとっ」


「え?」

ちらっと盗み見たAKITOさんは眉間に皺をよせて、困ったような顔をしていた。や、やばい、これ、完全におれ、滑ったやつだ!!!

AKITOさん、今日のことなんて、忘れてたんだ!!

ど、どうしよ、恥ずかしすぎる、どうしよう!

顔が茹でられたように熱い。熱すぎる。

「い、いやっ!ごごごごめんなさいっ、忘れてますよねっ、す、すみませんっ、えっと、あ、独り言ですっ、あのっ、お気になさらずっ、あ、ベーグルっ、ごゆっくり、どうぞっ」

やだ、もう恥ずかしい。泣きたい、消えたい。

もう、5分前に戻らせて!!!

うわぁぁぁぁーー!!!

心の中で泣き叫びながらその場から逃げようとした瞬間、右手首を強い力で締め付けられた。

え?な、なに?

熱すぎるくらいのそこを見ると、

自分の手首に、AKITOさんの長い指が巻き付いているのが見えた。


「忘れる?何で?俺が言ったよね?また来週って。……18時過ぎにこの前んとこで、待ってる」

え?な、なんて?

え、18時過ぎ……?ま、待ってる?


「あっ、あ、……は、はいっ、」

待ってるって、言った、よね……?え!!?え?

忘れてなかった!忘れてなかったんだ!!!


もうそこからは、何がどうして、どう仕事していたのかも、どんな顔をしていたのかもわからなかった……。

ただ、定期的に店長や、吉野さん、お昼からのバイトの子にまで

「柳瀬くん、今日変。大丈夫?」と口を揃えて言われてしまった。

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