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第9話 緊張③ 〜side陽向〜

あの衝撃的な体験をした日から毎日、仕事終わりにはAKITOさんから言われた通りに、夜な夜な入れる練習をした。

でも自分でやるからかこの前の気持ちの良かった感覚は全くない。なんだったんだろ、どこだったんだろ?この前のすんごい雷が落ちたみたいに痺れた所は……?AKITOさんが触ったからかな?


1人でするのも今日で4日目だが、一向に気持ちよくはない。でも、2本の指が入るまでにそんなに時間はかからなくなった。

気持ちよくもないし、なんならやっぱり少し怖さがある。なにかそういう雰囲気になる動画でも見れば良いかと思ったけれど、なぜだか動画内の攻めている人をAKITOさんに勝手に置き換えてしまい、申し訳なくて1日目でやめた。

もう、これじゃただの作業だ。

次の月曜日、AKITOさんに中の気持ちの良かった所、教えてもらおう。

真剣に後ろばかりをほぐしているので、ふと前も触ってはみるが、別に固くもならない。ほぐし終えると毎回『何してんだ……俺』と冷静になり恥ずかしくなる。

でもそんな考えを打ち消しながら、ただただ、次に会う時には彼を幻滅させないよう、ちゃんと満足してもらえるよう、それだけを考えながら受け入れる為の練習をした。




「柳瀬くん、なーんかここんとこそわそわしてなーい?」

茹でておいたベーグル生地をオーブンの天板に並べていると、突然店長の二宮さんに顔を覗き込まれた。

「わっ、えっ!?なんすか、突然っ、」

今日は日曜日、お客さんもいつもの大学生と層が変わり、買い物終わりの昼食ついでの方や、子連れも多くなる日だ。平日よりも多めにベーグルや、サンドイッチを仕込んでいた。

「んー、私の気のせいかな?ここのところやたらスマホちらちら見てるしー。なんかいーことあったのかなぁーって!勝手な女の勘でーす」

「あ、スマホ、すみません、気をつけます。」

やべ、これ遠回しに注意されてるやつか?うっかりAKITOさんから連絡入ってないかなーと手が空いた隙にスマホを覗き見るようになってしまっていた。仕事中は気をつけないと。

「いやいや、別にいいんだけどさ、なに?いい人できたとか?ねぇ、できたならちゃんと紹介してよっ!」

オープン前の掃除を終えた店長はにやにやと嬉しそうにダスターを洗い場のバケツに漬ける。

「や、そんなんじゃないんです。ほんと、ちょっと、気になる芸能人、いて、えっと、その人の、SNS、チェックで、その、つい、」

必死に嘘をつく。やべ、変な汗でてきた。

「ふーん、そっか!おすすめ推し?まぁ、推しがいると、頑張れるよね!まぁ、リアル推しか、芸能人かはまたモチベも違うけどねぇー。あー、今日は私の推しカップル来店してくれないかなぁーーー!って、さぁ、あと15分でオープンだ!コーヒー落としちゃおうねー。」

うわ……さすが店長。だてに接客やってないわ。絶対に信じてないやつだ、これ。 壁にかけられた時計を見ると10時15分前だ。ちゃんと気持ち、仕事モードにしなきゃ。

「おはよーございまぁーす!」

「おはよーございまーーす!」

声をハモらせながら仲良し2人組の大学生バイトの子が出勤してきた。

最初は友だち同士でちゃんと仕事になるのかと心配したが、想像以上にコーヒーの事を真剣に知りたがったり、覚えも早い。気も利く。常連さんが気にいるほど、心地よい接客をしてくれている。

仕事中は一切私語もしないで2人できちんと仕事をこなして。イマドキ(まぁ俺もイマドキに入るのかもしんないけど……)こんなに真面目に働いてくれる子が来てくれたことに感謝だ。って店長とよく話している。正直土日のピークは彼女達がいるからこそ店が回っている。俺も、負けてらんないな。

さぁ、仕事仕事っ!今日頑張ったらついに月曜だ……。でもさ……1週間、なにも、連絡なかったな。何かしら「今何してる」「仕事お疲れー」みたいなやり取りがあるのかと思った。

やっぱり、出会い系なんて、そんなもんだよな。って、そもそも彼氏さんがいるのに、そんなことしてらんないよな。俺なんて、AKITOさんのタイプじゃ全然ないのかもだけど、あんな条件、俺がつけてしまったばかりに、お情けでもう一回会ってくれるだけだろうし。


明日、初体験できたらそれでさよならの関係だ。 AKITOさんの彼氏ってどんな人なのかな、最後に聞いてみてもいいかな?でも詮索されるの嫌がるかな……?

つい浮かんできてしまうAKITOさんの顔を頭の中から追い払うように頭を思いっきり振る。

仕事中だぞ、俺、しっかりしろ。水の並々と入ったボウルに浸かったレタスの水気を切る。

「松本ちゃん、出勤してすぐにごめん。このトマト、カットしておいてくれる?」

「はぁーーいっ!おまかせあれー」

ふざけた返事だが、これもコミュニケーションだ。大学生バイトの1人の子にトマトを渡す。

「じゃあー、私は焼き菓子補充してきまーす!」

もう1人の子も昨日のうちに袋詰めしてあった焼き菓子をトレーに乗せる。

さすが日曜日、オープンと同時にほぼ満席になり、スマホを盗み見る時間も、彼の顔を思い出す暇もなかった。




つ、疲れた……。18時30分、ラスト勤務の子達に仕事を引き継いでふらふらとバッヤードのベンチに倒れ込んだ。

日曜日の忙しさはダラダラと永遠に続くピークで、仕事が終わるとかなりの疲れがどっとくる。

「ふぅ、早く、帰ろ……」

更衣室の鏡を見ると目の下がくすんでいる。やべ。こんな疲れた顔で接客してたのか、俺。

疲れていると肌に顕著に現れるから、今日は肌ケア日にしよ……。

最近はきちんとパックや化粧水など手入れをきちんとするようにしている。店長二宮さんから、あれこれオススメも教えてもらった。正直、高校卒業までは一切何もしてこなかったせいか、連勤の続いたある日「スタッフの顔は店の顔だからねっ!」と疲れた顔で出勤してきたのを注意されてしまった。

その日からきちんと鏡を見る習慣もつけたし、朝と夜のスキンケアは店長に言われた通りにしている。

たまに「にっくらしいもちもちめーー!!!」と頬を引っ張られるのは勘弁してほしいが。


バックヤードでエプロンを畳みながら、ふと、昨日の夜でパックが無くなってしまった事を思い出した。

駅中のドラッグストア寄って帰ろ。

「お疲れ様ですー、お先に失礼します」

バックヤードから少し顔を出し、キッチンにいたバイトの子に声を掛けた。



ドラッグストアでいくつかの気になるパックをカゴに入れ、無くなりそうな歯磨き粉も手に取った。よし、買い忘れないかな?

レジへと向かおうと店内をぐるりと一周すると、ふと、見慣れた物が目に飛び込んできた。 オレンジのキャップのボトル……。このローション、先週月曜日にAKITOさんから渡された物と同じ物だ。

毎日準備で使っている為、もう残りはほとんどない。「新しいの買って返した方が、いいよね?」

周りには性行為で使う為の商品が沢山並んでいる。そんな物、どれ一つとして自分で購入した事なんてない。

恥ずかしくてその陳列の辺りをしばらくウロウロとしてしまう。いや、こんな風にウロウロしている方が怪しいよな? いけ、俺!! 思い切ってローションをつかんだ。……まて、これって、男同士専用?ゲイってバレる?そう言うわけじゃないよな?男女でも使えるやつ、だよな?

キョロキョロとあたりに人がいない事を確認して、急いでオレンジキャップのボトルをカゴに突っ込んだ。その上からパックを乗せたが、ゴロゴロと動いてしまい、全然隠れてはくれない。

そ、そうだ、お菓子とか、いっぱい買って、紛らわそう!!




19:30やっと家に帰ってきた。「疲れた……まじ、疲れた。」ドラッグストアで一層疲れが溜まってしまい、両手の荷物をどさっと置くと、玄関の上り口で寝転び、しばらく動くことが出来なかった。

エコバッグ二つ分にぱんぱんに詰め込まれたお菓子達の隙間から、ゴロリとローションが転がり出てきて、目の前で止まる。

「ていうかさ、頑張って買ったけどさ……、その前に、月曜日、本当に会えるのか、ってとこだよな……。」

尻ポケットから取り出したスマホの通知欄を見て、ため息をつく。

もう、忘れちゃったかな、口約束なんて。

俺のことなんて。


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