『…久しぶりだな、魔法少女がここに来るのは』
視線の先に立っていたのは、栗色のロングヘアを星明かりになびかせ、灰色の旧式の制服を着た少女…多分、『始まりの魔法少女』と呼ばれている人が立っていた。
下を見る。するとどこに立っているのかわからないほどの黒一色が広がっていて、足裏は柔らかくも硬くもない、それこそ立っているのではなく浮いていたとしても不思議ではない感触に支えられていた。
上を見る。そちらには黒一色の地上と異なり、雲一つない天の川…いや、それ以上に多数の星が輝く、図鑑で見たお手本のような銀河が広がっているように感じた。
普通の星では感じられない、月の明かりすら凌駕するようなまばゆさ。けれども私たちを照らす光はとても柔らかで、それは天の川というよりもミルキーウェイと呼ばれたほうがしっくりくるような、遙か昔から流れ続けて魔法少女の行く末を見届けてきた、目の前の人にぴったりな輝きだった。
『説明されたと思うけれど、自己紹介を。私は始まりの魔法少女…なんて担がれているけれど、そんなたいしたものじゃないよ。この国で生まれた魔法少女のチームとしては最古参で、その中で戦っていた…今となっては自分の名前も思い出せない、魔法と技術によって再現された都合のいいシンボル…ってところかな』
彼女は私の前へ数歩踏み出し、より顔が明瞭に見える距離まで近づいてきた。そして別れを惜しむような寂しい笑顔を浮かべ、自分のことを教えてくれる。
その声音は寂寥感に満ちていて、でも誰かと会えて嬉しいといった感情はなく、それこそ平坦な受け答えをする為に作られた…都合がいい存在に見えてしまった。
「…あ、はじめ、まして…? 私はヒナ、魔法少女です。ええと、ここには神託を受けるように言われて来ました。あの、どこから説明すれば…」
『ううん、大丈夫。私のいるところには随時魔法少女たちの情報が流れ込んできて、あなたのことも大体知っている。そして、あなたがしようとしていることも。私はあくまで【昔存在していた私】を再現したもので、そんなのから神託を受けるなんて馬鹿げているかもだけど…これが役目だから』
どうしてだろう。どうして私は、この人のことを…どこかで見たことがあるような、懐かしいような、でも…ずっとそばにいたような、そんな無軌道に絵の具をぶちまけたパレットみたいな心模様になっているんだろうか?
強いて言えばインペリウム・ホールで見た肖像画が関係しているのだろうけど、でもそのときはそこまで心が動かなくて、今の今まで思い出すこともなかったのだけど。
この人の言葉が事実なら今相対している存在は作り物で、学園にとって好都合な言葉を吐くようにセッティングされていてもおかしくないのに…その微笑みを眺めていると、どうしても疑うことはできなかった。
これも神託の強さ…強制力だとでも言うのだろうか?
『魔法少女、ヒナ。あなたのしようとしていること、私は反対しないよ。ううん、むしろ賛成しているくらい…だけど、それをすればあなたはこれまで以上にその力に目を付けられて、時には担ぎ上げられ、時には利用され、もしかしたら…大切な人まで、戦いの運命に巻き込むかもしれない』
「っ…どうしてそんなことがわかるんですか? 私の力は珍しいものかもしれませんが、それでも一人の魔法少女でしかありません。そして…カナデは、私が守ります」
大切な人が、巻き込まれる。
それはとっくの昔に退くことを考えなくなった私の心を、容易に揺るがせた。
そう、私は…これ以上大切な人が苦しまないように戦うことに決めて、むしろこれ以上面倒に巻き込まれないために、魔法少女たちには一つになってもらいたかったんだ。
だから…カナデは、誰にも傷つけさせない。そう誓いながらやや強めの視線をぶつけても、この人の調子は変わらなかった。
『…わかるんだよ。魔法少女はね、誰にでも【因果】がある。それはあなたたちの遺伝子だけでなく、魂という目には見えず形すらない魔力の根源に刻まれている。そして魂はこの世界の中だけでは完結していなくて、ここではないどこか、過去と未来、別の時間軸、異なる世界を移ろい続けて…今、あなたにも宿っている。あなたの持つ因果、それは【出会いと戦いの宿命】だと思う…だからあなたの行動は多くの出会いを呼び、そしてさまざまな戦いへといざなう』
「…それはどこかで見聞きしたことがあります。だけど、これは観測が不可能な概念としてオカルトのような扱いを受けています。私は魔法少女ですがそれでも人間です、そうした目に見えないものを信じ、そして受け入れるのは難しいです」
『そうだね、今を生きる魔法少女たちはほとんどが同じことを言うと思う。だけど…私はね、多分この国では誰よりも多くの魔法少女を見てきた。正確には魔法少女たちのデータを誰よりも多く流し込まれた結果なんだけど、ここまでたくさん見てくると…わかるんだよ。あなたと似たような因果を持つ少女たちは誰もが戦いに巻き込まれ、ときに苦しみ、ときに納得し、そして…大切な人たちと出会って、いくつもの結末を迎えてきた』
「…私と同じような、因果…」
私の否定的な言葉にも、始まりの魔法少女は星が浮かんでは消えるような穏やかさで返答し、俗っぽい表現をするのなら…膨大なデータに裏付けされた、おそらくは統計的な事実を口にしてくる。
それは私の小賢しい追求なんて無意味だと突きつけられたような気がして、だから差し出された事実を復唱するしかなかった。
因果。それはその人の運命を左右するもの。そして私にとってはとくに重要な『戦い』や『出会い』すらも決定づけるもので、つい最近だってそれを意識する機会はあった。
(…私とカナデの出会いも、因果によるものなんだろうか?)
出会った頃のあの子はお世辞にもとっつきやすいとは言えなくて、私だって一回きりの共闘で終わると思っていた。
けれどもいくつもの戦いを経て私たちは惹かれ合い、だけど離ればなれになってしまって、それでも再会して…今度は離れなくてもいいよう、その手をしっかりと握っている。
人の出会いは偶然の積み重ねで、私とカナデの絆は特別なものじゃないのかもしれない。それでも…彼女の『大切な人との出会い』という言葉は、私の中の運命の歯車をしっくりとかみ合わせてくれたような気がした。
『…多分私も、あなたと似たような因果を持っていたんだと思う。私はずっと家族と静かに暮らせたらそれでよかったのに、影奴なんてものが現れて、偶然戦う力を与えられて…戦って、戦って、戦い抜くことを求められた。つらかった。苦しかった。何度も死にそうになっていた…死んだほうが楽とさえ、思った』
そこで彼女は一度空を見上げ、私もその視線の先を追う。すると星の河川によって隔てられた両岸に、同じくらい強い輝きを放つ一等星がきらめいていた。
その星はお互いを求め合っているように見えて、しかし決して距離は縮まらない。かつて七夕で見た織り姫と彦星の伝説に似ていたけれど、それよりも星が多く美しくて、同時に隔てられた距離も広く見えて悲しかった。
『だけど、私には仲間がいた。みんなみんな、純粋で優しい人たちだった。戦いの中ではいろんな欲望も生まれてくるけれど、私たちの戦う意味はただ一つ、同じだった。【みんなで生き残ること】、それだけ。私はそんなみんなが…あの子が、大好きだった』
あの子。その見えない誰かについて口にしたとき、始まりの魔法少女は…特別でもなんでもない、本当に一人の少女でしかないほどに儚かった。
私と同じだった。ただ魔法少女としての力に目覚めてしまい、その結果として戦ってはいるけれど、それでも本当は…普通の人間でしかない。
一人では何もできない、あまりにも弱い存在だった。だから私はこの瞬間から目の前の少女が単なる作り物だとは思えなくて、自分と同一の、あるいはとても似ている人間であると感じたのだ。
『…あれからどれくらい経ったのかはわからないけれど、魔法少女たちを取り巻く世界は変わらない。ううん、あの頃よりもバラバラかもしれない。だからあなたが魔法少女たちを一つにしようと考えているのなら、くだらない争いをこの世から消そうと考えているのなら、私は応援するよ。でも…それはきっと、あなたに新しい戦いをもたらす。それでもいいの?』
「…かまいません」
くだらない争い。
そうだ、その通りだ。
派閥、組織、利権、報復…そのどれもが、とてもくだらない。影奴であれば持たない欲望を持っているからこそ、人間でしかない魔法少女は自分たちが生み出す闇に翻弄されてきた。
だけど、影奴だって人間よりもマシとは言えない。勝手な都合で押しつけられて、人間を襲い続けて、そのくせ魔法少女を団結させられるほどの力もない…言ってしまえば、害獣みたいなものだ。
だから、どちらも利用する。影奴を集めて強い敵を作って、バラバラな魔法少女たちを集めて、今後はできるだけ無駄な争いをなくす。だけどその先にも何らかの戦いはあって、私たちはきっとそれらに巻き込まれるのだろう。
「私は戦いが嫌いです。魔法少女になったことも嬉しいとは思っていません。だけど…そこにあった出会いまでは否定したくありません。私の因果の中に『戦い』と『出会い』があるのなら、私は自分が出会った大切な人たちを守るために戦い続けます」
私は…戦いが嫌いだ。
痛いし、苦しいし、恨まれることだってあるし、大切な人が傷つくことだってある。もしも戦いのない植物のような人生が歩めるのであれば、私はきっとそちらを選ぶだろう。
だけど、今の人生だって否定したくなかった。そう思えるくらい大切な人たちがいて、その人たちにも夢や希望があって、それを叶えるために戦わないといけないのなら…私は戦う。
「それに、私は一人ではありません。少し前は大切な人を守るため、全部自分で背負って何とかしようとしていました…でも、それは間違いでした。私の大切な人たちは常に誰かのために戦っていて、私のために戦ってくれることもあったんです。私は私の出会いと戦いを否定したくないように、みんなだってそれを否定されるのはいやだったんです…私には、それを教えてくれた人がいます」
だからありがとう、カナデ。ちょっと離れた場所で突入の時を待っているであろう、大切な人にお礼を告げる。
私たち魔法少女はきっと、誰もが戦いの因果を持っている。だから衝突することだってあるのだろうけど、もしもその因果に対して全員で立ち向かえたら…絶対に負けないだろうから。
「私の戦いには、みんながいてくれます。だから絶対にくじけないし、きっと今よりもいい結果になると信じています。ええと、始まりの魔法少女、さん。私たちの戦いを見守っていてください。あなたが守った世界は、私たちがほんのちょっとだけよくしてみせますから」
私の戦いには、常に誰かがいた。私の因果は私だけが戦わされるのではなくて、誰かが一緒に戦ってくれる運命なのだろう。
そして誰よりもそばにいてくれる人がカナデで、本当によかった。カナデとの出会いも因果によって定められたのだとしたら…私はまた少しだけ、自分の因果が好きになれるかもしれない。
そう思えるくらいの出会いがもたらされて、本当に…本当に、よかった。
『…ふふっ。やっぱり、同じだ…私とあなたは、おんなじ。戦いたくないのに戦わされて、でもその中で大切な人と出会えて、ようやく戦う意味を見つけられて…少しでもマシな未来へたどり着くため、みんなで戦う。それじゃあ、少しだけ…神託っぽいこと、言っちゃおうかな』
んんっ、これまた作り物っぽくない咳払いをしたら、始まりの魔法少女は表情を引き締める。
けれどもその顔立ちは私たちと同じ…今を生きる魔法少女と変わらなくて、失礼かもだけど威厳は感じなかった。
この人は…この人も、仲間だ。一緒に戦って未来を勝ち取るための、仲間。
『魔法少女、ヒナ。あなたに魔法少女たちの未来を託します。どのような結果になっても自分を責めることはありません…ですが。願わくばあなたたちの戦いの行く末に、光があらんことを。すべての魔法少女たちに祝福がもたらされることを、一人の魔法少女として祈っています』
「…はい!」
そして私は新しい仲間──あるいは誰よりも早くからそばにいてくれた仲間──から神託を受け取り、彼女と同じように微笑んで返事をした。
すると世界は早送りのように白み始め、夜明けの訪れ…仲間との別れを告げ始める。彼女の身体も光る粒子となって朝日に溶けようとしていて、私は最後に聞きたいことを口にした。
「…あの! あなたの大切な人って、どんな魔法少女だったんですか?」
最後に聞くことがこれ?とあの箱たちに言われそうだけど、別にいい。
この人が戦う理由、それを知ることこそが今の私にとっては最優先事項なのだから。
これからも始まりの魔法少女なんていう役割を押しつけられる、誰よりも強いがゆえに誰よりも長い戦いに見舞われてしまう、あまりにも優しすぎる仲間。
そんなあなたが…戦える理由は?
『…ふふふ、それもあなたと大体同じ! いじっぱりで、素直になれなくて、だけど誰よりも優しくて、私に命を捧げてくれた…その人の名前はね──』
にっかり、私よりも幼いんじゃないかと思わせるくらいの笑みを浮かべて。
自分の名前すら忘れてしまった少女は、大切な人の名前を口にしようとしたら。
そこで完全に夜が明けて、私の意識は帰るべき場所へと戻っていた。