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第62話「わずかな希望を伝えたくて」

「はっ、はぁ…!」

 マナミの誘導によって避難するインフラの少女たちであったが、その列から抜け出し、木々に隠れる獣道をあてもなく走り続ける存在がいた。

(…今はとても大変な状態だけど、これは多分、最後のチャンスだから…ごめんなさい、お父さん、お母さん、姉さん…)

 胸に一冊の本を抱きしめ、ただこの道がどこかへつながっていると信じる少女…ミオは家で待ってくれているであろう家族に生まれて初めて背くことを謝罪しつつも、ひたすらに走り続けた。

 彼女が着ているのは半袖の体操服にハーフパンツであり、服で覆えない部分は何度も草木の枝やトゲにかすり、小さな切り傷をいくつも作っている。しかしそんなことは気にもとめず、人が歩くにはあまりにも険しい道を突き進んでいた。

(この本だけは、必ず安全な場所に届けてみせます…そうすれば、もう検閲にはおびえなくて済むから)

 発電所に攻撃が加えられた直後、ミオは図書室にいた。そして人目を盗んで『魔法少女たちが検閲を避けながら受け継がれてきた物語』の続きを書いていたところで避難誘導が始まり、ミオは咄嗟にその本を抱えて脱出、そして…護送班のところへたどり着く前に、気づく。

 もしもこの本が学園側に見られたら、どうなるんだろう?

(…多分、没取されちゃう。ううん、処分されちゃうはず…そうなったら、みんなの希望まで消えちゃう。だから、私が守らないと…!)

 ミオにとってこの本は単なる読み物ではなく、まさに『希望』であった。

 どんな状況においても決して踏み込まれない場所、それは心だ。検閲はあらゆるものを見張るために存在するが、心の中にあるものまでは誰もが手を出せない。

 そんな魔法少女たちの心がこの本には託されており、ミオは彼女たちが紡いできた物語からそれを感じ取れた。そして自分も続きを書き始めたように、ミオは…自分という魔法少女がどのような状況にあっても希望を持って生き続けていたことを、未来へと伝えたかったのだ。

 だから、走らないといけない。この先に何があるのか、おそらくは脱走者として扱われる自分がどうなるのか、考えたくないことはたくさんある。

(それでも…この本が無事なら、私は絶対に後悔しない)

 ミオの足にまた一つ、小さな切り傷が生まれる。痛みは感じたとしてもミオは泣かず、止まることもなかった。

 彼女は前を向いていた。その瞳には希望が宿っていた。そして…自分にできることをして、未来のために抗おうとしていた。

 その姿はやはり、どこまでも『魔法少女』であった。


「なにをしている」


 獣道がわずかに開けると、そこには大昔はトレッキングコースの中間地点だったと思わしき質素なベンチと机、そしてコース案内をする文字と絵のかすれた看板があった。

 ミオはそれに人里が近いと考え、ベンチに座って休みたいという本能から目を逸らして再び走り続けようとしたら。

 後ろから聞こえてきた流氷のように冷たい声に、びくりと震えて振り向いた。

「あ、あぁ…」

「一人足りないと思って捜索していたら、まさか脱走を試みていたとは…手間をかけさせてくれたな」

「ち、ちが、違います…! わ、わたっ、私は学園から逃げようとしていたわけじゃ…!」

 ミオの視線の先には、マナミが立っていた。その整った顔立ちに憤りは浮かんでいなかったものの、あらゆる感情を氷山の下に隠すように凍り付かせていて、ミオは発電所の警備員とは次元の異なる恐怖を抱いた。

 今のマナミは冷気を放出しているわけではないものの、ミオは凍えるようにガチガチと歯を鳴らし、言い訳…否、懺悔をする。

 そう、ミオは…学園から逃げ続けられるとは思っていなかった。逃げようとした生徒がどうなったのかという噂話は発電所内でもしばしば流れていて、そのどれもが『このまま発電を続けるほうがマシ』と言いたくなるような悲惨な結末ばかりだった。

 ミオは『本を安全な場所に届けたら出頭しよう』とすら考えていたように、学園に背くような意図はなかったのだ。発電所へ無事に戻れるとも思っていなかったが、それでも…家族たちにまで疑いの目を向けられるのだけは避けたかった。

「おとなしくこちらへ来い。そうすれば悪いようにはしない」

「…あ、あのっ。私、この本を! どうしても、誰かに託したいんです! 発電所の外の、安全な場所に! そ、それは認めていただけますでしょうか?」

「…なに?」

 相手はセンチネル、それも現体制派のエリート…魔法少女でありながらも非戦闘要員でしかないミオは勝てるなんて微塵も思っておらず、かといって逃がしてもらえるとも考えられなくて、血液ごと凍らされそうな最後の勇気を振り絞り、事情を話した。

 その刹那、一瞬だけマナミの表情に熱が宿ったように見えた。

「この本、発電所に勤務していた魔法少女たちが、自分たちで書いた物語を伝えたくて、ずっと隠していたんです! け、検閲から逃げていたことは謝ります! でも! 学園に逆らうとか、そんな内容は一切ありません! 私たちは、ただ…!」

「…検閲逃れは立派な罪だ。悪いが、私はそれを見逃すことは」

「はいはーい! 二人とも、いったん落ち着きましょう?」

 センチネルが暮らす場所であっても検閲は存在し、それに背くことは時として矯正施設行きとなる重罪だった。マナミはそれらを取り締まる立場にあったため、事情を聞いては許可を出せるはずもない。

 だから、自分は責務を果たさねばならない…この迷いを振り切ってでも。

 そう考えてミオから本を取り上げようとした瞬間、割って入るようにムツが現れた。表情こそ引き締めているもののその言葉はいつものように柔らかで、一瞬にしてわずかに空気が緩み、ミオはへたり込みそうになるのを必死で堪えていた。

「…なぜここにいる? まさかとは思うが、こいつが安全な場所に逃げられるまで見守っていたわけではないだろうな?」

「あらあら、私だって捜索に当たっていたんですよぉ? 見つけたんならすぐに声をかけています…それよりも、この子には逃走の意思がまったく見えません。マナミさん、そんなに怖い顔しなくても大丈夫ですよ?」

「これは生まれつきだ…! そんなことはどうでもいい、お前も捜索をしていたのならさっさと拘束を」

 マナミは苛立っていた。それは任務達成を邪魔されたからではない。

(どうしてだ…どうして私は、こいつに邪魔されて…少し、ほっとしているんだ…?)

 ムツが割って入った瞬間、自分の責務を果たせなかったマナミの心にはたしかに安堵が訪れていた。その理由がまったくわからないほどマナミは愚鈍ではなく、だからこそすべきことを邪魔されて心が軽くなった瞬間、自分自身への怒りが湧いてきたのだ。

 このインフラは、私の育ての親である学園に背いている…それなのに即時の拘束を決断しなかった私は、どこまで親不孝なのだ?

 それに答えてくれる姉様は、今はいない。

「そのことですが…この子の持っている本は私たちに預からせてもらえませんか? それと身柄の拘束なんて乱暴な真似はせず、逃げる最中に道に迷ってしまったと処理するのはどうかしら?」

「それはできない相談だ…私は誇り高き現体制派、学園の秩序を守るもの。規則を破った存在を目の前で取り逃がすなど」

「…マナミさん、もうやめましょう? 今のあなたの顔を見ていると、私までつらくなるわ…いつも容赦のないあなたが、どうして今はそんなに苦しそうに話しているの?」

「やめろ!! 知ったようなことを言うな!! 私は…私はっ! 私を育ててくれた学園を信じている! そんな学園を裏切ってしまったら、私の価値は…!」

 マナミの叫びは森の中にこだまし、そして彼女はレイピアを抜いた。するとたちまち周辺を冷気が包み、マナミ自身にすら凍傷を負わせそうなほど冷たいつららが彼女の周りにいくつも生まれ始め、その心を守るように、そして傷つけるように囲っていく。

 ムツは決してマジェットを取り出さず、両手を広げてミオの前に立ち塞がる。彼女の目には憐憫ではなく愛染が浮かんでおり、言葉は発さずにただ成り行きを受け入れようとしていたら。


「マナミ、それ以上はおやめなさい。あなたほど学園に忠実な魔法少女を私は知りません、だから…自分を傷つけないで」


 つららの合間を縫うようにして後ろから歩み寄り、そしてマナミの肩に手を置き、小さく叫ぶようにハルカは訴えた。

 すでに全身を冷気で覆っていたマナミに触れるということは魔法少女であっても少なからずダメージが発生し、現にハルカの手には皮膚が氷に張り付いたときのような痛みが生じていたが、それでも彼女は表情を変えず、決して離れなかった。

「…あ? ねえ、さま?」

「…そういうつらい決断は、わたくしが代わりにしてあげます。今までよく頑張りましたね」

「あ、ああ…姉様、姉様っ!」

 ハルカの体温を感じ取ったマナミからは急速に冷気が失われ、最愛の人をそれ以上凍えさせないように氷のヴェールを消し、つららは瞬時に溶けていった。

 マナミは自分に触れていたハルカの手を握り、不慣れな回復魔法を使って凍傷を治そうとして、不器用な妹分の気遣いにハルカは珍しく優しい笑顔になっていた。

「ふう、間に合ってよかった…ってところかな? ムツ、無事で本当に嬉しいよ」

「…カオル? もう終わったの?」

「うん、ヒナさんが来てくれて形勢が逆転してね…テロリストは全員投降、死傷者もいないよ。多分、彼女たちもそろそろこっちに来てくれると思うけど」


「…カオルさん! ムツさん! それに、ハルカさんにマナミさんまで…どうしてここに?」

「…インフラの子もいるわね。どんな状況よ?」

「おっ、あっちのはこの前戦った奴らだな! アヤカ、とりあえず攻撃はすんなよー?」

「…ちっ。ルミにだけは言われたくない」


 ハルカに遅れるようにして到着したカオルもパートナーの無事にを喜び、相変わらず魔力切れ寸前であることを隠すような涼しい顔を浮かべていたが、その口元はムツを見たことでどうしようもなく微笑んでいて。

 その言葉通り程なくしてヒナたちも合流、奇しくも獣道の先では『魔法少女3大勢力』が揃うことになった──。

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