過激派の拠点からの脱出、これは驚くほどスムーズだった。というのも、私たちが散々に暴れ回ったことで配置されていた敵の魔法少女たちは大半が戦闘不能、そこに武闘派のエースであるルミとアヤカ…魔法少女学園から不当な扱いを受けていた生徒の救出に慣れていた精鋭たちもいてくれたことで、過激派の増援が訪れる前には脱出を果たせたのだ。
そして今、私たちは彼女たちに連れられて武闘派の拠点…元は鉱山として賑わっていた限界集落に到着していた。かつては賑わっていたと思わせる建物群はどれも武闘派の少女たちが利用しており、家屋こそ古めかしいものの現在も住居として使える程度には手入れもされている。
そんな中でも廃校となった小学校は様々な機能を持たせているのか、どの部屋にも様々な物資や設備が押し込められており、たくさんの人──魔法少女ではない大人たちもいた──が出入りしていた。
私たちは到着早々に今も多くの机が設置された職員室に連れられ、ここの責任者と思わしき女性と対面していた。
「よく来たな。見ての通りここは武闘派の拠点、学園にもテロリストにも加担していない隠れ里みたいなものだ…どこぞの失礼な奴は『地獄』なんて評したが、それよりかは居心地もいいから安心しろ」
「ど、どうも? えっと、おかげで助かりました」
「…どうも」
責任者の女性はおそらく30歳くらい、灰色のロングヘアをヘアゴムでひとまとめにしたシンプルな髪型だった。白の長袖カットソーとカーキ色のミリタリーパンツ、その上に白衣を羽織っていて、その表情はお世辞にも歓迎しているようには見えなかった。
とはいえ助けられたのは事実だったので、急な状況の変化に困惑しつつも私はきちんとお礼を伝える。そして人見知りといじっぱりを煮詰めたような性格のカナデもなんとか私にならうように頭を下げてくれて、ひとまずは余計な衝突を起こさなかったことに安堵した。
ちなみにこの人は『地獄』と口にしたときにはルミの隣に立つアヤカをちらっと見ていて、そのアヤカは「…先生、根に持ってる…」なんて渋柿を食べたかのような顔で目を逸らした。アヤカ、そんなことを言ったのか…。
「疲れている相手に長話をするつもりはないから、単刀直入に言うぞ。こっちの交渉役が学園側のパイプ役と引き渡しについて話し合っている最中だから、お前ら…ヒナとカナデだったか。しばらくは学園に戻れないから、ここで生活しろ。生きるために必要なものはあるから、周りとケンカさえしないなら好きに過ごしてかまわない。ただし余計な衝突を起こしたら鉄拳制裁を行うから、そのつもりで」
「…えっと、お世話になります? あの、今は装備がないので魔法少女としては役に立てないかもしれませんけど、手伝えることがあれば言ってください」
「…そうね。できることは限られているけど、私も家事くらいなら力になれるわ…ベ、別に、アンタたちのために働きたいってわけじゃなくて、借りを作るのがいやなだけよ」
「…ちっ。こういう露骨なツンデレ、嫌い…」
「あははっ、いいじゃねーか面白くて。あたしは仲間が増えるのは歓迎だぞ!」
武闘派だって学園に敵対していると考えた場合、私たちが本当に助かったのかどうかは怪しい部分もある。だけど、相変わらず気持ちのいい笑顔を浮かべるルミを見ていると…こんな子が所属する場所であれば、とりあえずひどいことにはならない気がした。
…現体制派として長く気を張っていたから、私もその反動で少し腑抜けたのかもしれないな。
唯一の懸念はカナデがここでも反発しないかどうかだけど、二人で閉じ込められていたあの時間は私たちの心の頑なな部分を溶かしてくれたのか、素直とは言いにくいにしても律儀な彼女らしい申し出をしていた…ただ、それに舌打ちをして文句を言ったアヤカに対し、「ツンデレじゃないわよ!」なんて噛みついていたけど。この二人、ケンカしないだろうか…。
「はあ、若い奴らが揃うとやっぱりうるさくなるな…心配しなくても、お前らの救出と身柄預かりに伴う見返りはもらっているから、今は休むことだけ考えろ…ルミ、アヤカ、二人を医務室に案内しろ。それと、ルミは調理場以外でラーメンは作るなよ。火事になったら正拳突きをするからな」
「げっ、バレてた…」
「…当たり前」
私たちの会話を見届けていた女性…先生はやや大げさにため息をつきつつも、私たちに気を使わないように指摘してきて…その顔に対し、私は既視感を覚えていた。
(…魔法少女たちを見る、優しい目…そうか、この人は。似てるんだ)
私は知っている、その魔法少女を見守る穏やかな瞳を。その人も先生と呼ばれていて、私たちの背中を押して、大人としてできることをしようといつも悩んでいた。
(サクラ先生、元気かな…無事に学園へ戻れたら、また挨拶に行かないとな)
現体制派になってからはなんとなく会いにくくなって、疎遠になってしまったけれど。それでも先生と呼べるほど尊敬できる人は数えるほどしかいなくて、カナデを救い出せた今ならようやく胸を張って会いに行ける気がした。
けれども今は耐えがたいほどの疲労感が顔を覗かせていたのも事実だったから、このもう一人の先生の言葉と優しさに従って、ようやくまともに休めそうな場所へと移動した。
*
「ヒナ、まだ起きてる?」
「うん。疲れているんだけどさ、いろいろありすぎてなかなか眠れなくて…」
学校の保健室をそのまま転用した医務室にはいくつかのベッドとカーテンがあって、この日はほかに怪我人もいなかったのか、私たちだけが眠っていた。
ちなみに案内をしてくれたルミは「元気になったら勝負しような!」なんて誘ってきて、アヤカは「…早くボコボコにしたいから、元気になれ…」なんてジト目で睨んできた。元気になってもボコボコにされたら意味がないような…。
そして二人が出て行ったら急速に部屋は静まりかえり、今が真夜中であることを否応なく理解する。捕まっていた頃は時間の概念も曖昧、最後に休んだのはいつなのか思い出せなかったので、体は間違いなく疲れているはずだった。
だけど、私もカナデもなかなか寝付けないらしい。
「本当よね…まさかヒナが来てくれるなんて、しかもあなたの知り合いに助けられるなんて思わなかったわ」
「…うん、本当にそうだね。私さ、そんなに人付き合いとか得意じゃないし、カナデ以外は友達って断言できる自信はないんだけどさ…」
カーテン越しであっても二人しかいない空間ではお互いの声がしっかりと聞き取れて、夜目が利き始めた視界には真っ黒で真っ白な天井が広がっていた。朝日が昇る頃には、学生寮みたいに部屋が白一色に染まるのだろうか?
そんなとりとめのないことを考えつつ、私はカナデとの囁くような会話に応じ続けた。
「…みんな、私のために力を貸してくれた。カオルさんとムツさんは敵の拠点について教えてくれて、リイナはたくさんの装備を渡してくれて、アケビとトミコは一緒に戦ってくれて…現体制派のハルカさんにマナミさんですら、私の背中を押してくれた。ルミとアヤカだって助けてくれたし、私は…私たちには、こんなにもたくさんの人がいてくれて、それで再会できたんだって今ならちゃんとわかるよ」
「…あなたはとても優しい人だもの。だからみんながあなたに惹かれて、そして力を貸してくれたの。私のためじゃないわ」
柄じゃないな、そんな自覚はあったけれど…それでも私は、みんなに感謝したくてしょうがなかった。
ここにカナデと一緒にたどり着くまで、多くの人との出会いがあった。その中には望まぬ結果として巡り会った人たちもいたけれど、そうであっても私を支えてくれたことには疑いの余地がない。
魔法少女になるまでの私には家族以外に親しい人がほぼいなくて、それに対しては何の不満も疑問もなくて、あれはあれで気楽だったと思える自分もまだいる。
だけど…大切な人を救うために力を貸してくれた人たちを思うと、私の心は熱を帯びる。それは油断すると…いや、今だって泣いてしまうくらい嬉しいことで、カナデがそばにいると私はこうした感情も歯止めが利かなくなるようだった。
「…それは違うよ。アケビは命に代えてもカナデを救いたいって言ってくれていたし、何より…私は、カナデのためだけに戦っていた。こんなこと、言われると迷惑かもだけど…現体制派として戦っていたのだって、カナデを守れるって思っていたからなんだ。あなたを守りたいと思う私に力を貸してくれたのが、みんなだとしたら…カナデいなかったら、きっとみんなも私のためにここまでしてくれなかった。私たちがここにいるのはね、カナデも含めて…誰か一人でも欠けていたら、きっとダメだった」
本当は誰よりも優しいカナデ。そんなあなたがいてくれなかったら、私は誰かのために戦おうなんて思えなかった。
そして私のそういう姿勢をみんなが支えてくれたというのなら…やっぱり、カナデがいないとダメだった。
眠る前に、涙で言葉が発せなくなる前に、ただこれだけは伝えたかった。そう思っていたら。
「…ヒナ。そっち、行ってもいい?」
「…え、あ…えっと。どうぞ?」
カーテンの向こうから聞こえてくるカナデの声は、ほんのわずかに震えていた。自分の喉が震えていたからそう感じただけかもしれないけれど、私がそのお願いを拒めるはずがなくて、必死に袖で目元を拭いながら応じる。
程なくして音を立てずにカーテンを乗り越え、カナデが私のベッドに向かってくる。私はその動きを遠くの出来事のように見つめながら、黙って掛け布団の中に彼女が入ってくるまで身じろぎすらできなかった。
「…ヒナ、あったかい。それに…いい匂い」
「きょ、今日はお風呂、入れていないから…恥ずかしいよ」
「…あなたでも照れること、あるのね」
「…私だって女だよ…」
カナデが隣に寝転んだ直後、ようやく私は寝返りを打てて彼女に背中を向ける。これは決してカナデを拒絶したわけじゃなくて、なんていうか…見つめ合っていると、また『流されて』しまいそうだから。
私のところからカナデがいなくなってから、心はさび付いた歯車のように動かなくなった。
そしてまたカナデが隣に来てくれたら、心のさび付きがなくなったどころか…彼女のそばにいると、ブレーキのなくなった車輪の如く回転し続ける。
今も後ろから抱きつかれて匂いを嗅がれているけれど、正直に言うと…自分が何をするのか、見失ってしまいそうだ。
私は、私は。こんなにも、この子のことが。
「…ごめんなさい。私のせいで、ずっと我慢させていた。あなたは戦いが嫌いなのに、私のために誰よりも戦って傷ついてしまった。あなたを傷つけたくないなんて言ってたのに、私はいつも自分のことばかり考えていて…」
「…ち、ちがう、よ。全部、私の望んだことだから。カナデは悪くない、悪くないよ。今、あなたが無事でいてくれるだけで、私はもう」
「…でも、もういいの。これからは私もあなたを守る。きっとあなたはまた戦いに赴くのでしょうけど、少しでも傷つかなくていいように…私がそのまっすぐな心を守るわ。だから…今だけでもいい、我慢しないで」
「あっ、あ…う、あ…うわぁぁぁ…カナデ、カナ、デぇ……!」
そうか、カナデにはお見通しだったんだ…私が、泣いていることなんて。
再会した直後も泣いたけれど、あのときはまだ戦いのさなかにいて、誰かがカナデを害するのならすぐにでも立ち向かう覚悟があったのに。
今の私は…弱い。そしてそれが本当の自分であることに気づかせてくれたのがこの大切な人で、本当に…本当に、よかった。
「……わたしっ、戦いたく、なかった……こんな力、ほしく、なかったぁ……!」
「うん…」
そうだ、私は…生きるために戦っていただけで、必要以上の争いなんて望んでいなかった。
なのにちょっと固有魔法が強力だからと目をつけられて、いろんな戦いに巻き込まれて、大切な人とも離ればなれになって。
今はカナデがいてくれるけど、多分私は…また、戦うんだろう。それが生きるためのものなのか、望まぬものなのか、わからないけれど。
それでも私は逃げない。戦いたくはないけど、逃げない。
私を抱き寄せて胸で泣かせてくれる、この子を守るため。
だから、今だけは。カナデというぬくもりの中で、すべてを吐き出した。
「私、これからもっ……あなたのこと、守るから……そのために、戦う、から……もう、離れるの、いやだ……お願い、そばに、いて……!」
「…うん、いる。絶対に、離れない…私、あなたのことが…っ…大切、だから…!」
私は、戦いが嫌いだ。大切な人を奪おうとする戦いが…大嫌いだ。
だからこそ、戦う。いつか戦わなくてよくなるその日まで。
そんな日が訪れるのか、弱い私はそこまで生き残れるのか、わからないことだらけだけど。
それでもカナデがいてくれるのなら、もう見失わない。今日みたいに弱音を吐いて、それでまた戦って、いつかはたどり着けるといいな。
どこに行くべきかわからない私でもただ漠然とそう思えるこの瞬間を噛み締め、私は涙の海に飲み込まれた。泣いている私をなだめているカナデは何度か言葉に詰まったけれど、何を伝えようとしていたのか、そんなことを考える余裕はすぐにまどろみの中へと消え去った。