「…うっ…?」
「…! ヒナっ…!」
敵の親玉に投降の意思を伝えた直後、私はあらゆる抵抗ができないように気絶させられて…ああそうか、それで。
大切な人と一緒に捕まって、同じ部屋に押し込められているってことか。
目を開くと涙ぐんだカナデの顔があって、後頭部には柔らかで温かい感触。多分この子に膝枕をされているんだろうと気づいたら、もうちょっとだけ気絶していてもよかったかもなんて、割と本気で考えてしまった。
もちろん、体には一切の魔力がない。これは使い切ったとかではなくて、根本的に取り除かれてしまったような、これまで当たり前にあったものがなくなったような喪失感だけが存在を主張していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…! 私なんかのせいであなたまでこんなことになって、本当に…ごめん、なさい…!」
「…いいんだよ、カナデ。こんなときに言うのもなんだけど、私、ずっと」
このままカナデの膝枕を堪能していたかったけれど、今はそうしている場合じゃない。
だって、カナデは泣いていたから。ほかでもない、目の前の私のために…大切な人を助けられなかった、私なんかのために。
だからなんとか上半身を起こし、座ったまま彼女と向き合う。手錠がつけられた状態だと当然のように動きにくいけど、それでも手を使ってカナデの涙を拭うことができた。
カナデはそれに対して一切の抵抗はせず、だけど悲しそうに顔をくしゃくしゃにしたまま、声を詰まらせてずっと泣いていた。
私も泣いてしまいそうだったけど、それよりも先に伝えないといけないことがある。考えたくもないけれど、もしもまたお別れしてしまった場合…この言葉を世界に生み出しておかないと、強く後悔する気がした。
「…あなたを助け出すことはできなかったけど、それでもこうして会えて嬉しかった。あの日、カナデとお別れした日から、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと…会いたくてしょうがなかった。たくさんたくさん謝りたくて、ありがとうって言いたくて、えっと…ごめん、ほかにも言いたいことがあるのに、会えて嬉しいって気持ちしか出てこないや…」
「……ヒナぁ!!」
カナデは叫ぶように私の名前を呼んで、空いたほうの手を握ってくれる。もしもこれでお互いに手錠なんて野暮ったいものがつけられていなかったら、トミコが言っていたように全力で抱き合っていたのだろう。
でも、伝わる。カナデが私の手を両手で包むように握りしめてくれていると、同じ気持ちだっていうのが…その体温を通して、私にひしひしと流れ込んできた。
「わたっ、私、も…会えて、嬉しいっ…嬉しい、嬉しい、嬉し、いっ…!! もう、二度と、離れたくないっ…どんなことがあっても、あなたに、ついて行く、からぁっ…!!」
「…ありがとう、カナデ…ありがとう…!! 私も、ぜったいに離さない…カナデの身も心も、全部全部守るから…!!」
現体制派になってから完全に凍り付いていた私の心は、もうどんなものであっても溶かされることはないと思っていた。
でも、カナデの体温はそんな氷河ですら一瞬で蒸発させて…あふれた奔流は私の目を伝うように涙を流させた。誰よりも大切な人の顔をしっかりと焼き付けておきたいのに、視力を損失したかのようにぼやけて仕方ない。
(…そうだ、私の目的は…カナデのそばにいないと、叶えられないんだ)
カナデと離れてしまっても彼女を守ろうだなんて、そんなのは矛盾していたのだ。
守るということは、ずっとそばにいること。そして誰よりも近い場所で、誰よりも強く深く、誰よりも慈しまないといけない…それはまるで、教会で将来を誓い合う二人のように。
…トミコの言っていた『ヒナカナ』って、案外こういうことなのかな。
自分の中で育ちつつある感情を持て余し、私はひとまずそれを鍵付きの引き出しに入れて、ただカナデとの再会を喜ぶように涙を流し続けた。
「…ありがとう、落ち着いたわ」
「うん、私も…ここ、倉庫みたいな場所かな?」
「多分ね。さっきまで私たちがいたのは三階だったけど、ここは地下一階、いろんな荷物を押し込めている場所のはずよ」
「荷物…使えそうなものは、さすがにないか」
涙が涸れるまで泣き合った私たちは急速に頭が冷えて、一度見つめ合ってお互いはにかんだら、できるだけ冷静に現状の分析を始める。
私たちに装着されている首輪も魔法少女を無力化する兵器の一つみたいで、多目的室にあった装置は見当たらないのに魔力が戻っていない。つまり、この首輪は対象が限定的であるものの、装着しておけば効果はずっと続くらしい。
(…そうなると、この無力化する兵器って結構バリエーションがあるのかな。だとしたら、学園も危ないかもしれない)
正直なところ、これまでは反社会勢力に対して『魔法少女と戦えば一方的に蹂躙されるだけの存在』という認識しかなくて、過激派と組んでいたからこそ活動できていた犯罪者集団くらいにしか思っていなかった。
けれど、そういった勢力も予想よりかは私たちへの対策を進めていて、今まで通り過激派の協力もあれば魔法少女学園ですら大きな打撃を受けそうだと心配になる。
…学園の上層部は割とどうでもいいんだけど、あそこにはリイナやカオルさんにムツさん、マナミさんにハルカさん、アケビにトミコもいるから、ずいぶんと増えてしまった親しい相手に被害が出るのはいやだった。
無論、一番大事なのはカナデなんだけど。
「この手錠も首輪も今の非力な状態じゃ外せないし、外には見張りもいるし…自力での脱出は難しいでしょうね」
「だね…私たち、どうなるんだろう…あ、いや、大丈夫だよ、うん」
「…気を使わなくていいわよ。想像すると気分は悪いけど、その…今こうしてあなたがいてくれるから、あんまり怖くないわ」
「…そっか。私も同じ気持ちだよ」
私たちにそれなりの価値があると考えた場合、これから先待っている処遇は…まあ、よいものじゃないだろう。
魔法少女学園のようにお偉いさん──それも悪人だろう──に売り渡されたり、もしかしたらこういう兵器の実験台にされたりするかもしれない。
どんな形にせよカナデを苦しめる未来が待っている可能性が高くて、安易に想像させるような言葉を吐いた自分を殴りたくなった。手錠がなかったらすでに実行していただろう。
でもカナデは強がるように…だけど自然に微笑んで、壁を背もたれに座っていた私に身を寄せて、肩の辺りに頭を置いてきた。
これまでの彼女からは信じられないほど素直な甘え方に、私の口元は緩んで心拍数もあからさまに早くなる。以前の強がってばかりの意地っ張りなカナデもよかったけど、こういうカナデも…いいな…。
(…カナデみたいな女の子を『ツンデレ』っていうのかな?)
人並みには漫画やアニメにも触れたことがある私は、そういう娯楽文化についても多少知っている。そしてカナデみたいな『なかなか素直になれないけど親しい相手にだけは甘える』みたいなタイプは、おそらくツンデレと呼ばれるのだろう。
…でも、カナデって極端にデレデレはしてこなかったけど、ツンツンと言うほどきつくはなかった気がする。いつも面倒を見てくれて、呆れながらもついてきてくれて、ツンが3でデレが2くらい、残りはどっちでもない…くらいの比率かもしれない。
なんて間抜けなことを考えられる程度には、私にも恐怖がなかった。カナデといるだけなのに、どうして…いや…。
隣にいるのがカナデだから、なんだろう。
「…ねえ、カナデ。魔法少女ってさ、『生まれ持った因果』で実力が決まって、その後の運命も左右されるって聞いたことある?」
「…一応、図書館でそういう文献を見たことはあるけど。いきなりどうしたの?」
「えっとね、私とカナデって…因果によって出会うことが決められていたのかなって、そんなふうに感じて」
魔法少女は学園によってその仕組みなども解明されつつあるけど、それでも不可思議な存在の全容を完全に把握することはできなかった。
だから今私が口にしたような…スピリチュアルな理論についても、大真面目に研究されているらしい。
目には見えないもの、だけどあるかもしれないとされているもの…因果。それは私たちの遺伝子や魂自体に刻まれているとされる、宿命や運命と評されていたものだった。
「その、カナデってさ…最初の頃、すごくとっつきにくかったというか、口がちょっと悪かった…ごめん、悪口とかじゃなくて」
「…いいのよ、事実だから。気にしないで続けて、あなたの話…聞きたい、から」
「……う、うん」
今日のカナデ、ちょっと素直すぎない? そんな雰囲気を壊す言葉は、なんとか口にせずに済んだ。
素直なカナデは…可愛い。そしてその可愛さは私の心拍数を一言だけでも増加させて、模擬戦のときのように心は地団駄を踏む。
でもカナデはずっと私の肩に寄りかかったままで、むしろ今は私のほうが照れ屋だったかもしれない。火照って緩む頬を押さえ込むためにも、私はなんとか話を続けた。
「えっと、そんなカナデとの出会いだったけど、あの頃から私は『悪い子じゃないんだろうな』ってすぐに信じられて…実際にカナデはいい子なんだけど、でもあんな出会いだと普通はお互い嫌い合うのが普通で、でも私たちは一緒に戦えて…それってさ、因果ってやつが本当にあるのかなぁって今思ったんだ」
「…言われてみると、そうかもしれないわね…私はこれまで誰と組んでもなにも思わなくて、ずっと一人で戦うって決めていた…けど」
また少しだけ、カナデは寄りかかる体重に力を込めてくる。私もそれを受け止めるため、同じように軽く寄りかかってみた。
こうしていると、世界に二人しかいないような…私とカナデは二人だけで完結できそうな、不可思議すら超えた必然とも感じられる『因果』があるような気がした。
「…あなたはとっても優しくて、私はそれに惹かれてしまったのだと思うけど。でも、不思議…私に優しくしてくれる人は他にもいたはずなのに、ヒナとだけは…もう、何があっても離れたくない」
「カナデ…」
顔を少しだけ横に向けると、カナデも同じように私を見ていた。
これまでにないほど近くで見つめ合うカナデの瞳は潤んでいて、その先にある赤色の光が揺らめいて、倉庫内の弱い照明が反射して輝く宇宙のように美しかった。
「私はあなたに甘えていた。だから私が認められない場所に行って欲しくなくて、自分のエゴばかり優先していた…あなたがどれだけ私のために苦しんでいたのかも考えずに、ただ私は自分勝手だった…なのに、あなたはここまで来てくれた」
「…私も同じだよ。こうすることがカナデを守ることにつながる、そう信じて…勝手に行動して、相談すらしなかった。カナデに知られたらそれで終わりだって思い込んでいて、あなたを信じていなかった。私にとってカナデは大切な人なのに、傷つけてしまって…でも、あなたはまた私を受け入れてくれた」
広がる宇宙の中、やっと私たちは…自分たちの気持ちを打ち明けられた。そしてそれは、油断すると笑ってしまいそうなほど同じだった。
お互いが勝手に行動して、これが正しいって思い込んで、大切な人のためと言いながら、その人を蔑ろにしてしまったんだ。それはともすれば一生の別れになりそうなのに、私たちはまた出会う。
そうか…これが、私とカナデの因果。お互いが違う宇宙に向かったとしても、生まれ変わったとしても、どれだけ遙か遠くに向かったとしても、何度でも出会えるくらいの強いつながり。
魔法少女学園ですらまだ存在するかどうか疑っている因果は、たしかに私とカナデの中にあったんだ。
「…ずっと一緒にいようね、カナデ。これから先、どんなつらいことがあっても…私は、あなたといる」
「…うんっ。私も、ずっとヒナと一緒にいる。これからは自分のこと以上にあなたのことを考えて、あなたの行く先について行く…あなたの隣が、私の居場所だから」
そして私たちは出会った。因果に導かれて、何度目かわからない再会を果たした。
この運命を繰り返す限り、私とこの子はずっと一緒にいられる…そう思ったら、もっと強いつながりが欲しくなって。
じっとこちらを見つめていたカナデはそっと目を閉じ、私も同じように閉じて、顔を近づけて──。