戦闘を終えてからこの自室に戻るまで、とくに会話はなかった。元々私は口数が多いほうじゃないだろうし、トミコも会話が得意といったふうには見えないから、当然と言えばその通りだろうけど。
かつてはカナデと暮らしていた空間は私とトミコの二人部屋となっていて、もちろん置かれている私物などにも変化があった。トミコは読書が好きなのか本棚には彼女のものと思わしき小説がいくつか並び、タイトルを見る限りでは恋愛小説が多いような気がする。
それ以外の私物はあまりなくて、せいぜいが自分の机の上に置かれたノートと筆記用具くらいしか目立つものはなかった。無論私はそうした私物について触れることはなく…というよりも、トミコ自身について追求する機会もない。無関心とまでは言わないにせよ、それでも…カナデ相手ほど関心を向けていることはなかった。
(…私、いやな奴だな)
トミコは多分私のことを悪くは思っていなくて、それは戦闘中の態度にも表れている。愛想があるとは言えない私を文句の一つも言わずにサポートしてくれて、本当ならもっと感謝すべきなのだろう。
でも私はそうした当たり前の感謝よりも自分の中にドロドロと渦巻く感傷ばかり優先していて、トミコを見ていないんだと思う。トミコがそれを望んでいるかどうかは別としても、私の両目は現在の仲間よりも過去の相棒ばかりを見つめていた。
「…あっ、私はちょっと書き物するから…ヒナちゃんは休んでてね。室内灯は消して、デスクライトで作業するから…」
「あ、うん」
これまでろくにトミコを見ていなかった私だけど、それでも気になることが0というわけじゃない。追求はしていなかったけど。
トミコは夜になると大抵は書き物を始めて、消灯時間を迎えたらデスクライトに切り替えて机に向かっていた。ベッドにはカーテンもあるので睡眠の邪魔になることはない…けれど、静かな室内では「うへへ…」という時折漏れてくるトミコの笑い声が聞き取れて、何をしているんだろうかとわずかに気になっていた。
おとなしいトミコは感情表現も控えめだったので、そんな彼女が楽しげ──あるいはちょっと不気味に──に笑う用事というのは…まあ、私みたいな人間でも聞きたくはなる。
「…トミコ、いつも必死に作業してるよね。なにを書いてるの?」
「へ?」
「ええと、楽しそうに笑ってることも結構あったから…ちょっとだけ気になって」
これまでの申し訳なさも手伝って、私はやや歯切れが悪く質問してみる。するとトミコは私から話しかけられるのは想定外だと言わんばかりにぽかんとしたので、もしかしたら聞かれたくなったことなのかな…と居心地が悪くなっていたら。
トミコは火魔法を灯すように顔を赤くして、ペコペコと頭を下げてきた。
「わ、私笑ってた!? ごめんなさいうるさくて!」
「ううん、それは大丈夫だけど…夜遅くまで書いていることもあったから、無理をしていないかなって」
「あっ、元々私夜行性だから…ていうか、笑い声漏れてたんだ…キモすぎ私…」
「いや、キモいとかは思ってないけど…ごめん、無神経だったかな」
「…う、ううん。ヒナちゃんなら馬鹿にしなさそうだし、き、聞いてもらえるのなら話したいって言うか…あっ、立ち話をさせてごめんなさい。今、お茶を入れるから…」
聞いたのは私だし、私が入れるよ…なんて言葉を吐こうとしたらトミコはシュババという音が聞こえそうな動きでお茶を入れ始め、反応が遅れた私はすごすごとクッションに座るしかなかった。
…もしかしたら、誰かに聞いてもらいたかった話なのかな?
そう思ったらますます無関心を装っていた自分に嫌悪感が湧きそうだったけど、謝ったところでお互いが頭を下げ続ける未来しか見えなかったので、お茶を入れてもらったときにお礼だけ伝えておいた。
「…えっと。ヒナちゃん、『百合』って知ってる?」
「百合? あの白い花だっけ? 学園の花壇にも咲いていたと思うけど」
「…そっちじゃなくて、お、女の子同士の、やつ…」
「…え。あー…ここに来る前、聞いたことはあるような」
メガネのずれを直しつつ、視線を私とお茶の交互に移動させながらトミコは質問してきた。無論植物のほうの百合については知っていて、むしろなんでそんなことを聞くのかと思っていたのだけど。
女の子同士の、という付け加えによって…私はまた少しだけ居心地の悪さを強めながら、それでも態度には出さないように素直な回答をした。
私もここに来るまでは多少なりともいろんな娯楽に触れていて、妹が読んでいた漫画雑誌に目を通すことはあったけど…その中には女性同士の特別な関係を描くものがあって、それを『百合』と呼称していたのには聞き覚えがあった。
それに対して偏見はとくにない…んだけど、この学園の敷地内には女の子しかいないわけで、そんな状況で『目の前の女の子は百合が好きなのかもしれない』と思ったら、微妙な気持ちになる。
「そ、その百合なんだけど…私、読むのだけじゃなくて、書くのも好きで。だから、こっそりと自分で書いてたんだ…」
「…そうなんだ? トミコ、小説を書けるんだ…うん、それはすごいと思う」
内容はさておきだけど、そんな続きの言葉はなんとか飲み込めた。
ルームメイトの好みから目を逸らせば、小説を書けるというのはなかなかにすごい。私は学校で作文を作るのも面倒に感じていたから、なんなら極めて小さい憧れすらあったかもしれない。
そんな私の素朴な感想に、トミコは愛想を含まない微笑みを浮かべてくれた。
「…あ、ありがとう。やっぱり、ヒナちゃんってそういうところは優しいよねっ。こういう話をすると冷たい目で見てくる人が多かったから、ほとんど誰にも話せなくて」
「…私は優しくないよ」
「優しいよっ!」
そうだ、私は優しくなんてなかった。
仮に私が優しくあれたのなら、きっと…今ここにいるのはカナデのままで、私の心は昔以上にのっぺらとはしていなかっただろう。
カナデも私を優しいと言ってくれたのに、その彼女を裏切ったのは…ほかの誰でもない、私なのだから。
ああするしかなかった、そんな言い訳しかできない私が優しいだなんて。
そんな何度目かわからない後悔に身を焦がしていたら。
「知ってる? ヒナちゃんってね、女の子から人気あるんだよ? ヒナちゃんはいつもクールだけど冷たくなくて、困っている人がいたら当たり前のように助けようとするでしょ? そんな当たり前の優しさを振る舞われると女の子はキュンとしちゃって、それが恋愛感情に由来するものなのかどうかモヤモヤして、その複雑な思考が百合の醍醐味なんだよ…」
ずずいっと身を乗り出してきた驚くほどの早口で、トミコは…『百合』とやらについて語り始めた。
それは私の無価値な後悔を未知の情報で塗りつぶし、相づちすら打たせてくれない。
「だ、だからさっ。ヒナちゃんのパートナーだったカナデちゃんも、多分そういう複雑な…あっ、私はこれを『激重感情』って呼んでるんだけど、そういうのがあったんだって予想してるんだよね! 私は二人とは話したことはなかったけど、有名人だからいろんな話を聞いて、仲良く歩いているところも見たんだけど…カナデちゃんのあの目、絶対激重感情があったと思うんだよね…!」
トミコ、私とカナデについて知っていたのか…そんな疑問も挟む余地がない。
それくらい今のトミコは私に踏み込ませる隙がなくて、同時に…彼女の会話内容に、私の心中は奇妙な反応をした。
…私とカナデ、一緒に歩いているとき…仲良く見えたのかな?
それって、その。手遅れだけど。
「カナデちゃんって、ヒナちゃんと組むまでは本当に誰とも交流がなくて…そ、その、悪く言う子もいたんだけど、『ヒナカナ』…あっ、これはヒナちゃんとカナデちゃんの『カップリング』のことね? 私が考えたんだよっ。とにかく、ヒナカナが成立してからは明らかに雰囲気が和らいでいて、少し離れた場所からヒナちゃんを見るカナデちゃんのあの目は…絶対に特別な気持ちがあったって信じてるっ。だ、だから…」
ヒナカナ。カップリング。
それは百合に疎い私には外国語と大差ないほど理解が難しく、多分トミコの話を半分くらいしか理解できていないのだろうけど。
カナデが私にそういう目を向けていた、その事実は…どうして、私の頬を。今になって熱くするんだろう。
その熱にちょっぴり泣きそうになっていたら、トミコは急速冷凍されたようにトーンを落として頭を下げてきた。
「…私なんかがヒナちゃんと組んで、ごめんなさい。派閥の都合とかあると思うけど、それでも…ごめんなさい」
「…あ、うん。謝らなくていいよ…それに、カナデは自分の意思で離れていったから」
「…そうなの?」
先ほどの熱量はなんだったのか、つい不躾な質問をしそうになるほどに急変したトミコに対し、私は自嘲気味に笑って事実を伝えた。
そうだ、カナデは…自分の意思で私から離れていった。仮に彼女が自分の信念を曲げればまだ一緒にいてくれたかもしれないけど、そんなのは多分カナデじゃないのだろう。
だから悪いのは私で、カナデが自分の意思を優先したことに対してはまったく責める意思はなかった。多分それは、私にとって数少ない胸を張れることだろう。
「カナデはね、譲れないものがあればそれを命がけで守ろうとできる強い人だから。私みたいに…大きな流れに身を任せるだけの人間とは、違う」
「ヒナちゃん…」
私とカナデの決定的な違いは、きっとそこにあった。
カナデだって学園の命令には従っていただろうけど、それでも従わなくていいことには反発していた。
私も学園には従っていたけれど、それだけじゃなく…最終的には合理的なほうについた。
それが強さと弱さの分岐なのだろう、そこに気づけただけでもトミコの話を聞けてよかったかもしれない。
…なんて思っていたのに。
「…やっぱり、ヒナカナは最高っ…お互いがめちゃくちゃ重くて、離れても思い合っていて…あっ! こ、これはねっ、離ればなれになってよかったとかそういうんじゃなくて…」
「あ、あはは…うん、わかってる」
トミコは私の話のどこからそんな内容を抽出したのか、これまた理解の及ばない内容をつぶやきながら満足げに息を吐いていた…それでもすぐに謝ってきたけど。
たしかに言われてみると失礼な態度に見えなくもないけど、不思議と私の心は軽くなっていた。
(…思い合っている、か。私の片思いだろうけど)
多分私は、カナデ以上に引きずっている。いいや、そもそもカナデはもう切り替えているかもしれない。あの子は強いから。
それでも…トミコという第三者が今もそのように感じてくれているのなら、カナデが今も私のことを少しでも考えてくれているとしたら。
その淡い希望は、私の戦う理由になってくれそうだ。
「…今日は話を聞かせてくれてありがとう。トミコの小説、応援しているよ」
「あっ、ありがとう…! やっぱり、ヒナちゃんってアケビちゃんみたいに理解があって優しいなぁ…」
「…ん? アケビ?」
「え?」
トミコは間違いなくそんなつもりじゃなかったのだろうけど、彼女の話が少しだけ私を上向きにしてくれたのは事実だ。
だからお礼を伝え、今度はもうちょっと話すようにしよう…なんて思っていたら。
「…アケビちゃん、私が現体制派入りするまでのパートナーだったんだよ?」
「…へ?」
その重なる偶然によってもうちょっと雑談が長引いてしまったのは、また別の話。