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第14話「幕間・インフラの少女たち(後編)」

「それでは授業を開始します。本日は現代文から始めましょう」

 発電を終えたミオたち2シフト班は休憩を早々に終えて教室に向かい、インフラ向けの授業を受けていた。教室の構成はセンチネルに似ているものの、そこに広がる空気には発電後の鉛のように重い疲労が多く含まれており、授業開始直後にはかすむ視界に耐えかねて気を失う少女もいた。

 そして教師はそんな少女の姿を視界に収めたとしても、一切の注意をせずに授業を進める。そう、この教師の心は疲労とは異なる無力感が埋め尽くしており、自身の授業が建前であることを否応なく理解していた。そんな自分が魔法少女にできることは何もなく、こうした居眠り…気絶を見逃すことがこの場における最大限の配慮だと言い聞かせていたのだ。

 起きている少女も魔力を使い切った直後の授業が頭に入るわけもなく、その思考は夢現の狭間で停滞している。明日も明後日も、その先も同じ日々が待っていることを暗喩するように。

 しかし、この過酷な環境下で真面目に授業を受ける少女もいる。その一人がミオであり、彼女もまた容赦なく襲いかかってくる倦怠感と疲労感に歯を食いしばりつつ、ホワイトボードに書かれ続ける授業内容を頭に押し込めていた。

(たくさん働いて、たくさん勉強して…ここを卒業したら、今度こそいい就職先を見つけなきゃ)

 ミオは労働に対して生真面目であるだけでなく、勉強に対しても貪欲であった。

 それはすべて未来のためであり、同時に家族のためでもあった。最低限の学歴しかなかったミオは就職先に恵まれず、いずれも単純でありながら忙しく、そして低賃金の労働しかできなかったのだ。

 その状況は決して彼女のせいではないものの、ミオはいつも家族に対して申し訳なさを感じており、馬鹿な自分は一生安い給料でこき使われて、誰の役にも立てずに死んでいくのだと悲観していた。

 だから、魔法少女としての過酷な運命は自分に与えられた最後のチャンスだと信じており、あらゆる時間を無駄にはしないと決めている。そんなミオはインフラの中でも浮いた存在となり、気づいたら孤立の道を歩んでいた。

(友達がいないのは、悲しいけど…でも、私には家族がいる。みんなみんな、私のことを大切にしてくれた。だから、今度は…私が守らなきゃ)

 貧困家庭で育ったミオだが、彼女は家族に愛されていた。両親は忙しく働きながらもミオを気遣い、姉はいつも『私がもっとしっかりしていれば、あなたまで働かずに済んだのに』と嘆いていた。

 そんな家族を見ていたミオは自ら進学を断念し、少しでも早く力になりたいと就職したのだ。だから自分に魔法少女としての素質があると知った直後、自分が家族のヒーローになれると、やっと私も役に立てると喜んでいた。

 そして、それは今も変わらない。

(魔法少女って、思っていたのと違うけど…私なんかでも役に立てるのだから、きっとこれでいいんだ)

 板書された内容をノートに取りつつ、ミオは頭の中にも複写できるように意識を奮い立たせる。気づけば自分以外のほとんどは夢の世界に旅立っていて、隣の席からも安らかな寝息が聞こえてきた。

 せっかくの機会なのにとミオは思いつつも、自分が着ていたジャージの上着──インフラの少女たちは行事でもない限り制服を着ない──を脱いで隣の少女にかけた。

 感謝されたいわけじゃない…とは言えないけれど。だけど、目を覚ましたこの人が、少しでも私のことを覚えてくれますように。

 そして、願わくば…友達になってください。

 ミオは自分の打算に若干の罪悪感を覚えつつも、以降は授業に集中した。


 *


 あらゆる待遇がセンチネルに劣っているインフラだが、『図書室』と呼ばれる施設も例外ではない。

 本が収蔵されているという意味では間違いなく図書室と言えるものの、実際は余った倉庫の一つに本を押し込めているだけであり、冊数もバリエーションも豊富とは言いがたい。

 同時に、インフラの魔法少女たちに余計な要求や希望を持たせないためなのか、本の内容は厳しく検閲されたものだけが置かれている。検閲に引っかかればどれだけ要望があっても置かれることはなく、あとから不適切だと判断された場合、当該ページに修正が加えられることもあった。

「うん、今日はこれにしよう…」

 ミオは薄暗い図書館の中で本棚──という名目のスチールラックだ──に目を走らせ、そのうちの一冊に手を伸ばす。授業後も就寝時間までは自由時間となっており、彼女にとってこの時間は貴重な読書のタイミングだった。

 たくさんの本を読んで、たくさんのことを知って、そしてもっと賢くなりたい。ミオにとっての本は単なる娯楽を越えたものであり、自分のような人間でも知識にアクセスできるチャンスであった。

 無論、ミオのように定期的な読書をする魔法少女は少数派であり、本の品揃えに対して要望が出るのはまれなことである。だからミオはここにある本を網羅しつつあり、魔法少女への福利厚生として設置されている書籍のリクエストボックスの利用も検討していた。

 この日手に取った書籍のタイトルには『今日から始める美しい作文』と書かれており、いつかは自分でも本を書いてみたいと願うミオにとっては非常に興味を引かれるタイトルだった。

 本の表紙は色あせ、手垢の影響なのか薄汚れてもいる。しかしそれを手に取るミオには躊躇がなく、むしろ自分以外にもたくさん読まれた証拠だと信じ、きっとそれほどまでに価値があるのだ…とすら感じていた。

「…あれ? この本、手書き…?」

 教本であれば写真などもあって色鮮やかなページも多いだろう…そんなミオの期待は裏切られ、読む前以上に好奇心が刺激された。

 そう、その本は。明らかに印刷とは異なる、人間が書いたと思わしき文字が縦書きでつらつらと並んでいた。不思議に思ったミオは巻末の奥付に移動すると、そこにもまた手書きでメッセージが残されていた。


『この本は、私たち魔法少女で作る物語です。もしも完結していない場合、誰かが続きを書いてみてください。そしていつか没収される前に完成させて、一人でも多くの人に読んでもらえると嬉しいです』


「…これ、検閲避けされた本なんだ…」

 本の表紙を差し替えて検閲を避ける、これはあまりにもお粗末な方法であり、そしてこれまで残り続けたことが奇跡とすら言えた。ミオはまずその事実に感動し、真面目な彼女は検閲担当に報告しようかと一瞬だけ悩んだものの、周囲を確認してからすぐに読み始める。

(…これ、異世界?の物語なんだ…)

 最初のページでは自分のような…否、センチネルのようにこの世の脅威と戦う魔法少女が命を落とし、そして異世界へと転生していた。そして新しい場所では以前のような運命の楔から解き放たれ、それでも自分の意思でさらなる戦いに身を投じる…そんな物語であった。

 それはまるで、自分が思い描いていたような魔法少女そのもので。ミオは丸みのある可愛らしい文字列を追うのに夢中となり、談話室に向かうことなくその場で読書を継続していた。

(あ、途中で文字が変わってる…違う人が引き継いだのかな?)

 異なる世界、ここの外で繰り広げられる物語はいつも以上の速度でミオに読み込ませ、最初の大きな戦いに決着がついた直後、その筆跡が変わったことに気づいた。

 しかしその物語は決してブレることなく、同じように続いていく。ミオはどこまで完成しているのだろうか、せめて完成しているところまでは読みたいと思っていたら、消灯時間が迫ったことを告げるアナウンスが寮内に響いた。

 ミオは名残惜しさに瞳が潤むのを感じつつ、それでもすっぱりと切り上げて周囲を確認し、誰も自分を見ていないことを確信してから静かに本を戻す。できるだけ目立たないように、似たようなジャンルの中へ紛れるように。

(…いいな、本を書くのって。もしも完結していないなら、私が続きを…書きたいな)

 ミオは読書が好きであるものの、執筆の経験があるはずもない。しかし、読むのが好きな彼女が書くことに興味を持つのは当然であり、そして自分のような何もない人間でもなにかを残せるのなら…そう考えただけで、胸の高鳴りは止まらない。

 あらゆるものが管理される魔法少女の世界においても、この思いは、そして胸の中に広がる物語は、決して侵害できないのだ。

 だから自分の先輩たちもそれを伝えたくて筆を執り、検閲と拘束という危険を冒してでも誰かに残そうとしたのだ。自分たちは生きている、そしてそれぞれに違う物語があるのだ、と。

(…だから。もしも私が続きを書くとしたら、どうか許してください。皆さんの物語を、もっと先まで持っていきたいんです)

 何も持っていなくても、なにかが作れるかもしれない。それを伝えてくれたあなたたちと一緒に、私もみんなに伝えたい。その気持ちだけで、きっと私はまだ働けるから。

 図書室を後にするミオの瞳には、発電後とは思えないほどの輝きにあふれていた。

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