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第9話「戦いの予感」

「ヒナさん、今日はわざわざありがとう。私の名前はカオル、以後お見知りおきを」

「あ、どうも…ヒナです。ムツさんにはお世話になりまして」

「もう、二人とも堅苦しいわね〜? まずはお茶でも飲んで落ち着きましょう?」

 あの日、ムツさんに助けられてから概ね一週間が過ぎた。

 それからの戦闘はまばらでとくに難易度が高いわけでもなく、私もカナデも比較的平穏に過ごしていた…けど、この日の放課後はムツさんに呼び出され、三期生が使っている区画のカフェスペースに来ていた。

 ここは丁寧に管理された芝生と緑の垣根に囲まれたオープンテラスで、そこに設置されたビストロテーブルとカフェチェアのおかげで上級層が開くお茶会のような雰囲気になっており、優雅な仕草でお茶を運んできたムツさんは訓練を受けたウェイトレスにしか見えない。

 リラックスさせるためにこの場所を選んでくれたのだろうけど、これまでの私には無縁だった空気にむしろ緊張してしまった。

「ふふっ、緊張しているみたいだね? でも大丈夫、私たちと話したからといってすぐに改革派だと見なされるわけじゃないし、私の能力…『結界』で簡単な人払いもしているから」

「あっ、そうなんですね…たしかに、周りからは注目されていないような」

 私とは対照的に二人は慣れているのか、どちらも微笑みを崩さずティーカップを口につける。それにならって私も飲んでみると、普段から愛飲しているお茶よりも上品な香りが口の中に広がった。

 その味に少しだけ落ち着いて軽く周囲を見渡すと、ほかにも人はいるもののこちらを見ている感じはしない。カオルさんのいう結界がどんなものかわからないけれど、少なくとも現体制派に目をつけられているような雰囲気はなかった。

「さて、君は無駄を嫌いそうなので単刀直入に。実は新しい魔法少女発電所の開所セレモニーがあるのだけど、私たち改革派も警備のために人員を派遣することになったんだ。本当なら派閥に所属する魔法少女のみで片付けるべきだったけれど、思いのほか担当エリアが多くてね…君にも手伝ってもらいたい」

「…え?」

「あなたを推薦したのは私ね。本当なら相棒のカナデちゃんにも来てもらいたかったけれど、あの子はまず受け入れてくれないでしょう?」

 予想外としか言いようのない提案に私は間抜けな声を漏らし、それを補足するムツさんにも返事ができなかった。

 カオルさんはたしかに無駄なく用件を説明してくれたけれど、それでも急すぎる誘いへの適切な答えはすぐに出せるはずもない。

「ムツから話を聞いたけど、君の力や素質は非凡だ。それに…仲間を理解し支えようというその人間性、まさに私たち改革派が欲しい人材だね」

「えっと、評価されている…のは光栄ですけど。その、まだ私は派閥についてほとんど知らないし、いきなり所属を決めるのはちょっと…」

「もう、カオルは前のめりなんだから…ごめんなさいね、何もかも急で。だけど、さっきも話したように手伝うからといって派閥に所属させるなんてことはしないし、お礼というほどじゃないけれど、改革派はその権限でもってあなたを守るつもりよ」

「うん、その通り。ご存じのように現体制派ほどの権限はないけど、情報の提供や不当な拘束や尋問への異議申し立て、そして君も含めた魔法少女たちが笑って過ごせるような環境作りへの邁進を約束する」

「…みんなが、笑える」

 正直なところ、改革派の権限についてはさほど興味がなかった。多分、そういった力に頼ることもないと思う。

 だけど…『みんなが笑って過ごせる』という言葉には、自分でも信じられないほどの関心が浮かび上がる。

(…具体性がなくて、実現の見通しも感じられない。そんなの、馬鹿馬鹿しいってわかる)

 この二人は余裕の中にたしかなビジョンを抱いているように見えて、だけどその大それた夢は子供の作文みたいな幼稚さすら感じられる。

 両親がいなくなってからの私は夢を見るどころじゃなくて、ただ生きていくことで精一杯だった。今もそうで、できるだけ面倒には巻き込まれず凪のような学園生活を送りたいと思っている。

 だというのに。

「……わかりました。これからも協力できるかどうかはわかりませんが、とりあえず今回はやってみます」

 私の学園生活の一部となってしまった少女、カナデが笑ってくれるのかもしれない…そう思ったら、なぜか断れなかった。

 想像の中であっても笑顔が浮かべていない人、カナデ。

 どうして私は、あの子の笑顔を、そこまで。

「ありがとう、ヒナさん。改革派はね、派閥に所属しているかどうかにかかわらずすべての魔法少女を守りたいって思っている。だから、君も守れるように全力を尽くすよ」

「あ、今のはねぇ…次の任務ではできるだけ危険の少ない場所に配置するから安心してね、って意味よ〜」

「あはは…ありがとうございます」

 思考の袋小路に陥る直前、私は目の前の二人の弾む声に引き戻される。そんな様子を見たことでようやく「そうか、私も参加するのか」なんてことを自覚した。

(…神様なんていないだろうから、代わりにちょっとだけ私が頑張ってみても…いいよね?)

 あの日、カナデが素直に笑えるようにと祈った日を思い出す。

 その日は信じていない神様に祈ったけれど、それだけじゃなにも変わらないだろうから。

 だから私がちょっとだけ手を貸してみよう、ただそれだけ。

 このときの私は本当にそれだけを考えていて、どれほど自分が甘かったのかを後で思い知ることになった──。


 *


「うん、前よりも効率がアップしてる。これなら止められる時間も延びたんじゃないかな?」

「授業でも魔力の使い方を習ったり容量アップをしているし、リイナの調整もいいからね。いつも助かる」

 少しばかり物々しいお茶会が解散になった直後、私は『技術室』にいるリイナへ会いに来ていた。

 技術室は魔法少女が使う装備の開発や点検をする部屋で、文字通り技術担当の人たちが朝も夜も関係なく集まっている。戦闘担当の魔法少女と違って戦いに出ることこそないものの、仲間たちをバックアップしないといけないことから、仕事時間という意味では私たちよりも長い。

 だからまもなく夜の帳が下りるというのにリイナも作業台の上で何やらいじっていて、私が顔を見せるとすぐに事情を察してランチャーメイスのメンテナンスをしてくれた。

「ふふん、私は天才だから当然!…なんてね。ヒナは素質がいいし、成長に合わせて調整するだけで十分活躍してくれるから、私は楽をさせてもらっているよ」

「とか言って、ほかの人のマジェットも調整しているし、試作品だって作っているんでしょ? 目の下、クマができてるよ」

「おおっと、勘のいいヒナちゃんは誤魔化せないか…でもまあ、楽しいから私は平気だよ」

 魔法少女学園が一番優遇しているのは、戦闘を担当するセンチネルだ。だからリイナみたいな技術担当のみんなは私たちに比べると待遇もやや劣るらしく、それを嘆いて配置換えを希望する人もいると聞いたことがある。

 でもリイナは一度もそうしたそぶりは見せず、むしろ毎日楽しそうに何かを作っていた。それは自分の仕事に誇りを持っている証拠でもあって、寝不足の痕跡が色濃くも屈託のない笑顔を浮かべている。

 私にはまず無理な、今を心から楽しんでいる人の笑顔。リイナのこういうところは素直に尊敬できた。

「そうだ、微調整して欲しいところとかある? マジェットは持ち主の魔力や意思に左右されやすいけど、研究が進んで調整できる範囲もちょっとずつ広がっているんだよ!」

「調整…そうだ。えっと、『対魔法少女』に少しだけチューニングしてもらうとかできる?」

 リイナと話していたら相談を忘れそうになってしまったけれど、今日ここに訪れたのはそういう意図があったのだ。

 カオルさんとムツさんは安全な場所に配置してくれるとは言っていたものの、それでも今回の敵は明確すぎる。そしてこれまで魔法少女と戦ったことがない私は、ほんの少しでも備えが欲しかったのだ。

 …できれば、それが不要であってほしいけど。

「…もしかして、そういう任務が回ってきた?」

「いや、どうだろう…本当にそうなるかはわからないけど。可能性としては割とありそう…みたいな」

「ふーん…了解。魔力による防御を貫通しやすくなるよう、少し出力パターンを変えてみるよ」

「ありがとう…その、致命傷を与えない程度にしてくれると、嬉しい」

「んふふ、私、ヒナのそういうとこ好きだよ」

 私の要望にリイナは表情を引き締めて、やや控えめになった声で尋ねてくる。

 正直なところ、これは任務なのかどうかはなんとも言えない。学園側の指示ではないけれど、少なくとも非合法な活動でもない…それでもはっきりと表明できるほど私は改革派になっていなくて、意味もなく言葉を濁してみた。

 だけど、どうしても伝えないといけないこと…『死なない程度に痛めつけられる調整』はきちんとお願いする。我ながら甘いというか中途半端だな…と頭を抱えそうになったけど、リイナはそんな私にも嬉しそうに微笑んでくれた。

 リイナはランチャーメイスを受け取り、作業台の上に置いたら吸盤付きのコードをいくつか貼り付ける。コードの先には大柄なモニター付きの計器があって、そこにはいくつもの単語や数字がずらずらと並んでいた。

 …ダメだ、私にはさっぱり理解できない。でもリイナはそれを見てうんうんと頷き、計器に備わったボタンをいくつか押して、数字の変動を見ては調整と思わしき操作を繰り返していた。

 戦闘担当の少女は優れた素質があるとされるけど、技術担当だって相当なものだろうと思う。

「…そうだ! ヒナ、せっかくだし試作兵器のテストをしてくれない?」

「え?」

「射撃タイプのマジェットに取り付けられるアタッチメントを開発してみたんだけど、ヒナみたいにパワーはあるけど取り回しが難しい武器にフィットするサブウェポンでね…」

「それはいいけど…その装備、殺傷力は高くないよね?」

「…多分」

「…出力は上げすぎないでね、念のため」

 調整が進む中、リイナは急に顔を輝かせて手を叩き、私に対してそんなお願いをしてくる。

 魔法少女は基本的に与えられたマジェットのみで戦うけれど、補助装備については開発が積極的に進められているようで、しかもその権限は技術担当の人たちに多く与えられていた。

 無論リイナはそんな開発も喜々として行っているのを知ってはいたけれど…今日一番の楽しげな様子でごそごそとその隠し兵器とやらを取り出そうとしているのは、不安になる。

 私としても手札は多いほうがいいけれど…リイナのことだから無駄に高性能で、それゆえに『強烈な一撃』をお見舞いしそうで心配だ…。

 だから私は頼りがいを感じつつも念押しをして、なぜかリイナは残念そうに「はーい…」なんて返事をした。

 私はリイナに悪いと思いつつ、その試作兵器が使われないことを祈っていた。

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