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第1話「魔法少女学園」

 アルコーブベッドの中で私は目を覚ます。天井に埋め込まれたデジタルクロックは朝を知らせるようにぼんやりと明かりが強まっていて、まもなく起床時間であることを視覚へ訴えていた。

 このままギリギリまで惰眠を貪っていたらアラームの音が鳴り響くため、私は上半身を起こし先手を打って目覚ましを止めておく。ここは学生寮の一室なのでアラームが鳴ったとしても近所迷惑にはならないだろうけど、ただ単に私は雑音の類いが嫌いなのでそうしただけだ。

 ベッドに備え付けられた遮光カーテンを開くと朝日に照らされた自室が飛び込んできて、自分の体へ目覚めを伝えるようにあくびをした。

「ふわぁ…おはよ」

 ベッドから降り、私は上を見上げながら挨拶をする。視線の先には二段ベッドの上を思わせるようなもう一つのアルコーブベッドがあって、そこには…私の持ち込んだウサギのぬいぐるみ──ちなみに品種はホーランドロップだ──が鎮座していた。もちろんこれは魔法のマスコットなんかではなくて、普通のぬいぐるみ。

 だから返事は一切なくて、代わりにいつもと変わらない真っ黒でつぶらな瞳が私を迎えてくれた。

「…うーん、二人部屋でも一人で使うと普通に広いな…」

 私のように戦闘を担当する魔法少女は『センチネル』という上位クラスに編入させられ、基本的には二人部屋が与えられていた。これはこの学校の魔法少女としては良い待遇らしいけれど、まだ同居人がいない私にとっては持て余す。

 ちなみにベッド以外の設備は学習机に椅子、制服やケープを収納するクローゼット、教科書や参考書が置かれた本棚、色調を調整できる室内灯、床にはふわふわのラグが敷かれていた。

 入り口付近の左手には全身が移せる鏡が備え付けられていて、右手のドアの向こうにはお手洗いとお風呂、洗面所がある。ベッドのそばには折りたためるサイドテーブルに小型の冷蔵庫もあるから、昔宿泊したホテルをなんとなく思い出した。

 床にはクッションが二つあり、それもここが二人部屋であることを連想させる。いつかはここにもルームメイトが来て、そしてこのクッションに腰掛けておしゃべりでもするんだろうか…そんな未来が恋しいかどうかはさておき、少なくともぬいぐるみだけでは退屈なのも事実だ。

 そんなまだ見ぬ相棒を受け入れるように窓に取り付けられたカーテンを開いたら、遮るものがない朝日が部屋の白い壁を輝かせた。それは決して魔力による現象ではないのだけれど、これまで私が生きてきた世界にはこんなにも強い光を生み出す力があると思ったら、なるほど、私みたいな魔法少女がいてもおかしくはないと思えた。

「…今日も一日頑張ろうかな」

 窓から見える朝日とそれに照らされる木々を一瞥して、私は自分でも似合わないと思う殊勝な心がけを口にした。もちろん、ベッドの上のぬいぐるみは最後まで反応してくれなかった。


 *


 私の通う学校…『魔法少女学園』は、文字通り私みたいな魔法少女だけが在学している。その存在は日本社会に溶け込んでいる…というよりも、素質のある人間しか認識できないように秘匿されていた。

 現に私も素質があると言われるまでは魔法少女のことを『アニメの中に存在するヒーロー』としか思っていなくて、そんな夢物語が実在していたなんて、さらには専用の学校まであるだなんて思ってもいなかった。

「ヒナさん、おはよう。昨日は戦闘だったのに遅刻しないなんてえらいですね」

「おはようございます。学業も魔法少女のたしなみだって聞いたので」

 学生寮の食堂で朝食を済ませ、お弁当を受け取ったらすぐそばの校舎まで私は歩く。いかにも魔法学校らしい…かどうかはわからないけれど、寮も校舎も木々に囲まれていて、こうした環境も社会との隔絶を感じられる。だけど露骨な壁ではなく自然に囲まれていることもあって、牢獄のような窮屈な感じはしなかった…そもそも牢獄に入れられたことはないけれど。

 校門には『風紀』と書かれた腕章を着けた生徒が立っていて、私と同じ制服を着ていた。

 ホワイトのブラウスにブラウンのジャンパースカートを同じ色のベルトで引き締めていて、胸元には赤色のリボンを巻いていた。足は40デニールのタイツを着用していて、今は戦闘中ではないからお互いケープは装備していない。

 もちろん私も同じ制服を着ているけれど、リボンの色だけは違う。私のは緑色…新人である『一期生』を表すもので、この風紀を守る人は先輩にあたる。こういう役目をこなしているあたり、派閥は『現体制派』なのかもしれない。

「戦闘の翌日はなるべく『技術担当』の人にメンテナンスしてもらってくださいね。マジェットは魔力で動くから故障はしにくいですが、万が一があってはいけないので。あなたは優秀ですし、出動も多いでしょうからね」

「いえ、そんな。でもご忠告ありがとうございます。教室で担当に相談しますね」

 現体制派は自分にも他人にも厳しい人が多いと聞くけれど、この人は新人の私に対して穏やかにアドバイスしてくれて、風紀維持の名目で口うるさく注意してくることもない。正直なところ私はこの人の名前は覚えていないのだけど、やはり気にかけてもらえるのは悪い気はしなかった。

 もう一度会釈して私は校舎に入り、上履きに履き替えて教室へと移動する。

 廊下はリノリウムを思わせる潔癖な白色で、壁や天井までもが同じ色で統一されている。けれども普通の人工物とは異なり、染み一つ見当たらないのがいかにも魔法少女が集まる場所という感じの不思議さにあふれていた。

 教室のドアはスモーク加工されたガラスが用いられていて、外からは中の様子がうかがえない。最初のうちは中に何があるのかわからないのが少し不気味だったけれど、何度も登校を繰り返せばとくに感じるものはなくなった。

 引き戸は音もなく開き、教室の風景が視界に広がる。備え付けの机も白で統一されていて、右手と左手を置く部分だけがアイボリーカラーになっている。椅子はきちんと動かせるもののやっぱり真っ白で、相変わらず汚れは一切なかった。

 すでに登校している生徒が十人ほどいて、私の入室に目線だけ向ける人、無反応な人、そして親しげに笑いながら手を振ってくれる人がいた。

 私は肩掛けのスクールバッグを自分の机に置き、その手を振ってくれた人のところへ歩いて行く。

「おはよう、リイナ。ランチャーメイス、いい感じだったよ」

「おはよー、ヒナ。まあ当然だよね、私が調整したし!」

 この子の名前はリイナ、魔法少女が使う武器…マジェット──マジカル・ガジェットの略称だ──のメンテナンスをしてくれる技術担当の魔法少女だった。

 亜麻色の髪を二つに縛ったお下げで、首にはゴーグルをかけている。そのいかにも技術者然といったアクセサリーは彼女のアイデンティティだけど、実際のメンテナンスでとくに役立つというわけではないらしい…形から入るタイプだ。

「それより、また一人でどうにかしたんだって? ヒナのバックアップに配置されてる人、いっつも退屈してるんじゃないの?」

「だって低級の敵しかいないし…一人では無理ならきっと最初からサポートされていたと思うよ」

「違いない。ま、スタンドプレーが得意なヒナちゃんのため、次の調整では取り回しを強化しましょうかね」

「好きで一人で戦っているわけじゃないけど…助かるよ。この武器、早い敵が相手だと心許ないから」

 リイナは入学した直後から私の武器の調整をしてくれていたので、友人を言えるほどの相手がいない私でも話しやすかった。リイナはほかにもメンテナンスを担当している人がいるから交友関係は広いけれど、私にも気さくに接してくれて助かる。

 そして私の武器はなかなかに珍しいタイプみたいで、今後の調整や戦い方について相談していたら教室のドアが開き、一瞬だけ部屋の空気が変わる。

 その視線の先を見ると…まだ離したことがない少女が歩いていて、誰にも目を向けることなく不機嫌そうに自分の席に着いた。

 ここには多感な年齢の少女──一応は私もそれに該当する──が集まるため、ぶっきらぼうな人がいても不思議じゃない。

 それでもあれほどに空気を変える存在はいなくて、私は少しだけ気にしつつも、先生が来るまではリイナとの会話に集中した。

「あ、調整で思い出したんだけど…もしかしたら、『対魔法少女』も少し意識するかも」

「…え? あの、それって」

「大丈夫、これは情報開示レベル2の内容だから。センチネルなら誰でもチェックできる」

 リイナはそれこそついでに思い出したと言わんばかりの様子で口にして、私はその情報に対して複数の疑問が浮かぶ。けれどリイナは真っ先に気になっていた点について回答してくれて、ひとまずは安心できた。

 魔法少女学園は世界の裏側に位置するような施設だから、当然ながら機密であふれている。となるといかにも重要そうな情報であれば口にする側も聞いた側にも相応の責任が背負わされそうだったけど、私でも問題のない内容なら次の疑問を口にできた。

「じゃあ、私も『敵の魔法少女』と戦うことになるのかな…?」

「技術担当なら全員に同じことが通達されていて、ヒナ以外の子にも同じような調整をするだろうから…どちらかと言えば『向こうから仕掛けられた場合の自衛として』じゃない? だから、ヒナだけが心配することも…」

 そこまで話したところで予鈴が鳴り、私たちは会話を切り上げる。正直に言うと疑問がすべて解消されたわけじゃないけれど、少なくとも私たちから仕掛けるつもりではなさそうなのを悟り、リイナにお礼を伝えてから自分の席に着く。

(…敵は影奴だけで十分なのに)

 同じ魔法少女とも戦う可能性がある。その事実は私に不安よりも面倒を想起させて、ただその日が来ないことを願いながら授業の準備をした。


 *


 担任の先生が来ると全員が席に着き、机の上のアイボリー色をした部分に手を置く。すると魔力を通じた体調の確認が先生の持つクリップボード状の端末に送信され、出欠の確認も一瞬で終わる。

 マジェットの存在からもわかるように、魔法少女学園は魔法と技術が融合したテクノロジーがそこかしこで使われている。こうしたテクノロジーのほとんどは魔法少女のために使われているけれど、一般社会向けに再現可能となったものは徐々に世界全体へと浸透していって、私たちは自分たちの力を使った社会実験をしているとも言えた。

「はい、それでは。今日は魔法少女に関する基礎教養から確認していきましょう」

 先生の言葉と同時に、私の机からは15インチほどのホログラムモニターが表示される。これもまた魔法の力によって生まれた技術で、少なくとも一般社会ではまだ実現されていないらしい。

 そしてモニターには今から使う教材と思わしき資料が展開して、これのおかげで教科書が不要になったという恩恵を噛み締めつつ、やや退屈な授業の内容に集中した。


 ◇


『魔法少女はその名前の通り、魔法が使える少女である』

魔法が使えるかどうかは素質次第であり、力が発現する年齢にはばらつきがあった。

 一方でその呼び名の通り、少女と呼ばれる年齢を過ぎたら魔力が急激に衰えてしまい、魔法少女の引退を余儀なくされてしまう。例外的に長く魔力を維持できたとしても、ほとんどの女の子は20歳にさしかかるあたりで力を失うらしい。


『魔法少女学園は選ばれた少女たちを庇護するための施設である』

 そして魔法少女になる年齢の少女たちは当然ながら教育を受ける最中であり、その使命を全うすることはもちろん、引退してからも生きていけるように基礎教養が施されていた。

 魔法少女としての使命をこなしつつ、教養も身につけさせる。それこそが魔法少女学園の存在意義であり、この存在があるからこそ私たちは快適な生活ができていた。


『魔法少女の使命は、主に二つ』

 一つは私のように、この世ならざる敵…影奴を討伐すること。この任務は危険が伴うこともあり、とくに素質の強い少女たちが担当する。それが『センチネル』だ。

 もう一つは、この国を支えるためのエネルギー確保…次世代エネルギーを生み出す『魔法少女発電所』での勤労だった。ここは魔力さえあれば働けるらしく、こちらに所属する魔法少女たちは下位クラスの『インフラ』と呼ばれていた。


『魔法少女はこの国にとって欠かせない存在である』

 どちらに振り分けられたとしても日本にとっては重要な存在で、今や魔法少女なしでは発展どころか維持すらままならないらしい。だからこそ魔法少女となった人とその家族には十分な保証が為され、魔法少女になることで救われた家庭も多い。

 実は私もその一人だし、そういう意味では感謝していた。ただ、次からは少しだけ過激な内容も出てくる。


『魔法少女でありながらも世界に奉仕しないのは愚かである』

 魔法少女の中には魔法少女学園によって管理されることに反発し、あらゆる手段でもって反逆行為に走る人もいる。彼女たちこそが『敵の魔法少女』だった。

 そうした人たちは『武闘派』を名乗っているものの、学園側は『テロリストに名称は不要』とし、見つけ次第厳しく処罰していた。

 同じ魔法少女相手なのに…と思ったけれど、私も魔法少女学園の恩恵にあずかっている立場であれば、それを破壊しようとする勢力にはいまいち賛同できない。

 かといって魔法少女学園を信奉する『現体制派』に強く共感しているわけじゃないけれど、少なくとも現状の体制が自分の生活を支えてくれるのは事実であり、それを再確認できたことがこの授業の成果かもしれなかった──。


 ◇


「一時限目は以上です。休憩が終わったら実技の授業があるから、早めに移動してくださいね。それと、連絡事項のある人は先に読んでおいてください」

 授業の終わりを認識した私はモニターを閉じ、実技──体育とは異なる魔法少女向けの訓練だ──に備えて移動しようとした。

 けれどもモニターの右上には目立つ形で通知が表示されて、それが先生の言っていた連絡事項であることを確認する。

(…放課後、指導室への呼び出しか。やれやれ、また任務かな?)

 通知部分に触れるとメッセージが表示され、その内容は一目で学校側からのものだとわかった。

 私はまだ新人と呼べる段階だし、そんな中で連続した任務への参加はハイリスクだと思いつつも放課後の予定は決まった。というより、拒否権なんてない。

 それが私の義務であり、そして生きるために必要なことだから。任務で命を落としてしまったとしても、拒否してしまったとしても、似たような結末が待っているとわかっている。

 だから私は目を逸らせる部分からは逸らし、ただ放課後の到来を待つべく次の授業に意識を戻した。


 ──そして私は、彼女と出会った。

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