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【第六十九話】懺悔

 ボクは罪の重さに耐えきれなかった。

 当たり前だ。

 愛する者の、シャンタルの、ガラス化していたとはいえ、遺体を砕き、それを炉で溶かしたのだ。

 その罪の重さに耐えきれるわけがなかった。

 ボクの頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 もう、どうしていいか、訳も分からなった。

 とにかく、じっとしていられなかった。


 それがシャンタルを取り戻す唯一の手段と、そう信じていても、その重さに、罪の重圧にボクは耐えきれなかった。


 あまりにもの重圧にボクは一睡もできず、何も喉を通せなかった。

 水でさえ、胃が受け付けずにすぐに吐いてしまう。

 それでもボクは作業を辞めなかった。

 人形を作ることだけが、ボクにとっての最後の希望だったからだ。


 ボクには耐えがたい、言い知れぬ罪の重さで押しつぶされながらも、どうにか這いつくばって生きていた。


 だが、それも限界は来た。

 いてもたってもいられなかったボクは人形作りの途中ですべてを投げだし、夜の街へと駆けだしていた。

 訳も分からず裸足で駆けだしていた。

 その日はちょうど雨だったが、ボクは雨に打たれることを特に気にしなかった。

 いや、気にしている余裕もなかった。

 雨が降っていたことすら、気づけなかった。


 雨に打たれながらボクは夜の街を行く当てもなく呻き声を上げながら、泣き声をあげながら、ただ奇声を上げながら直走った。

 そうして、最後にたどり着いたのが、この街の聖サクレ教会だった。

 気が付くと、教会の前にボクは立っていたのだ。


 シャンタルの育った場所。

 小高い場所にある教会にはもう真夜中だと言うのに僅かにだが明かりが灯っていた。

 ボクはその明かりに集う虫のように吸い込まれる。


 扉を開き、まず目に入ったのは懺悔室だ。


 そこにわずかながらに明かりが灯っている。

 その明かりが教会の外前漏れていたのだ。

 びしょ濡れなのも気にする余裕がないボクは、酷く濡れたまま、雨水を垂らしながらフラフラと何も考えずに懺悔室に入る。


「聖サクレは全の罪を許します。さあ、懺悔なさい」

 懺悔室の中に設置されている椅子に座ると、そう声を掛けられた。

 その声をボクも聞いたことがある。

 プレートル神父の声だ。

 それはすぐに分かった。

 神父のほうからはボクの事は見えているだろう。

 こんなボクを見て、プレートル神父はどう思うのだろうか。

 どう見ても今のボクは正常な人間には見えない。


「ボクは…… 大切なものを失くしてしまいました。それどころか汚してしまったかもしれない。それでも許してもらえるのですか?」

 ボクはぐちゃぐちゃになった頭の中で、それでも言葉を選びながら、そうプレートル神父に追いすがるように聞いた。

「あなたが何をしたか。どんな罪を犯したのか、それは聞きません。ですが、この場はそれを懺悔し、許すための場です」

 プレートル神父はボクだと分かってはいるだろうが、そんな事は何も言わず、罪を許すと言った。

 だが、その言葉は本気で言っているのだろうか。

 ボクの頭の中にはそんなことをが浮かんでくる。


 ボクがシャンタルの遺体をすり替えたどころか、その遺体を砕き、炉にくべて溶かしたと、この場でそう懺悔したら、プレートル神父は果たしてボクを許してくれるのだろうか?

 同じ言葉を投げかけてくれたのだろうか?


 ボクは大罪人だ。

 シャンタルを死なせたどころか、シャンタルが天国へ行き、生まれ変わる権利すら妨害してしまっている。

 ボクは本当に正しかったのだろうか?


 もうなにも確信が持てない。

 狂いそうになる。

 頭がどうにかなってしまいそうだ。

 何もかもさらけ出して、ボクの侵した罪を裁いて欲しくなる。


「この場は罪を告白し、それを許すための場です。ただそれだけの場です」

 ボクが無言でいると、そう優しくプレートル神父は声を掛けてくれる。

 プレートル神父は最愛の人を、シャンタルを失ったボクを気遣ってくれているだけだろう。

 裏でボクがその最愛の人に、なにをしているかなど知りもせずに。


 この場ですべて言ってしまいたくなるのをなんとか堪える。

 シャンタルの願いを叶えるために。


 だが、本当にシャンタルの願いを叶えるためなのか?

 ボクの、自分の我儘なだけではないのだろうか。

 ボクが、ただ単にシャンタルを失ったことを受け入れられないだけなのではないだろうか?

 そんな疑問も浮かんでくる。

 ボクはそれを何度も何度も否定してきたが、今のボクはそれを否定すらできない。


 そもそも、本当にシャンタルはボクと一緒にいたい、そう言ったのか?

 そう言ったと、ボクが、ボクだけが勝手に思い込んでいるだけではないのか、そう思えて気さえする。

 それを考えるとボクはいたたまれなくなる。


 静かにプレートル神父はボクが告白するのを待ってくれている。


 ボクは迷いながらも言葉を紡ぐ。

「ボクは…… 愛する人を失いました。けど、その最後の願いを聞いて、それを叶えようと頑張りました」

 この言葉をプレートル神父がどうとるかなどボクにはわからない。


「はい」

 少しの沈黙の後、深くうなずくようにその言葉だけが返ってくる。

 他の言葉はいくら待って投げかけられないでいる。

 ボクの言葉を待っているのだろう。

「けど、それは…… ボクにはとても重く険しい道です。今までどうにか、その願いを叶えるためにと、そう思って頑張ってきましたが、今は…… その重さに耐えきれそうにありません」

 彼女を、シャンタルを溶かした物を繊維状に伸ばしていると、気が狂いそうになる。

 これがあの美しかったシャンタルの遺体だと思うと吐きそうになる。

 あの美しい遺体のまま、どこかに保管しておけばよかったのではと、そう思えてしまう。

「どんな願いを聞いたか、それは聞きません。けれど、今までそれを叶えるために、あなたは必死になって頑張って来たのですよね? それが報われる日は必ず来ます」

 プレートル神父はボクの言葉をどう解釈したのだろうか。

 シャンタルをよく知る人物だ。

 私がいなくなった後でも頑張って生きて、とでも伝えられたと、そう思っているのだろうか?

 確かにシャンタルはそう言う女性だ。

 だけど、彼女も人間だ。

 最後に彼女はボクともっと一緒にいたかかった、そう告げてくれたのだ。

 そうだ、それだけは間違いじゃない。

 ボクの妄想でもない。

 それだけは真実のはずだ。

 なら、その願いを叶えられるのはボクしか、やっぱりいないんだ。


「そう…… ですか? 報われる日が来るのでしょうか? ボクはこのまま走り続けても良いのでしょうか?」

 ボクはその願いを叶えなければならない。

 ボクしか叶えられない。

 どんなに罪深いことをしてでも。

 彼女の生まれ変わる権利を奪ってでも。

 その罪はすべてボクが被るから、だから、やり遂げなければならない。

「はい、それが…… あなたが愛した者の願いを叶えるため、であれば」

 何も知らずにプレートル神父はそれを肯定してくれる。

 シャンタルの願いならば、と、でもそう考えているのかもしれない。


「ありがとうございます。ありがとうございます…… 報われる日が…… 来るのかどうか、それはわかりませんが、もう少し頑張ってみようと思います。夜分遅くに申し訳ありませんでした」

 おかげで迷いは晴れた。

 罪の意識がなくなったわけではない。

 けど、ボクは前に進まなくちゃいけない。

 それがまっとうな道でなくてもだ。

 ボクはやはりやるしかない。

 そもそも、もう後戻りなどできる訳がないのだから。


「いえ、これも仕事ですので」

 そう言って、声だけ聞こえる懺悔室の部屋の向こうでプレートル神父が少し優しく笑った気がした。

 こちらからでは見えはしないというのに。







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