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【第六十三話】狂望

 材料はすべてそろえた。

 不足しているものなど何もない。

 ガラス化したシャンタルの成長も止まった。

 自分の工房用に手伝いとしての人形を作る申請も、無事に許可された。

 ディオプ工房に賊が入ったことで、自然と受け入れられた。

 ボクの他にも申請を出した人間も多かったようだし、怪しまれることもない。

 なにも不自然な事ではない。


 とうとう、この時が来た。

 来てしまった。


 ボクは床下に大事にしまっておいたシャンタルの遺体を取り出す。

 このガラス化した遺体なら、ボクの持っている保温用の炉、炉としては低温の炉でも、ネールガラスの代理となる物を抽出できるはずだ。

 少なくともシモ親方の資料にはそう記載があった。

 ボクも実際にやるのは初めてだが、それを信じるしかない。


 けれどもだ。


 それには一度、この、シャンタルの遺体を、保温炉に入るように砕かなければならない。

 ボクにそれができるのか?

 本当にできるのか?

 遺体とはいえ、シャンタル相手に。


 この美しい存在を砕くことができるのか?

 砕いて炉で溶かし、抽出するなど、そんなことが。

 このボクに。


 いや、ボクしかできない、ボクがやらなければならない事だ。


 だが、ハンマーを手に持つのだが、手に力が入らないどころか、息が上手く吸えない。

 呼吸が粗く浅い。

 どうしてもハンマーを振り上げることすら出来ない。


 この遺体をハンマーで砕いてしまったら、人として本当に後戻りできなくなってしまう。

 そんな気がしてならない。

 だが、シャンタルの願いをかなえるために、ボクがしなければならない。


 他の誰かに頼むなんてことはもってのほかだ。


 一度だ。

 最初の一振りさえできてしまえば、後はどうにかなる。

 けれども、そう考えるだけで、息が更に荒くなる。

 息がちゃんと吸えなくて苦しい。

 激しい頭痛がする。

 ハンマーを持つ手に異様なほどの手汗が出始める。


 迷いに迷った。

 深夜過ぎまでボクは勇気が出なかった。

 何もできずにシャンタルの遺体を見ることしかできなかった。

 何時間もシャンタルの美しい遺体の前で、ボクは迷いに迷い、戸惑っていた。


 でも、ボクは迷いに迷いながらも、最初の一撃を振り下ろすことが出来た。


 美しかったシャンタルの遺体が割れ、崩れる。

 ボクは声を出して泣いた。

 叫びにも似たような、泣き声だった。


 シャンタルの遺体が壊れたと同時に、ボクの中でも何かが壊れる。

 その後は、ボクは狂ったようにシャンタルの遺体を砕いた。


 シャンタルは……

 体の内部余すところなくガラス化してしまっていた。

 骨も肉も皮も、髪の毛も目も、内臓ですら区別がつかない。

 もはや人間の遺体とは到底思えないような物だった。


 砕いた欠片を、破片を、一つ残さず、丁寧にすべて保温炉の中に入れ、保温炉に火を灯す。


 無論一度にすべて保温炉に入れることは不可能だ。

 何度かこの作業を繰り返さなければならない。

 それに溶接用のネールガラスの分も残しておかなければならない。


 ゆっくりとシャンタルの遺体が溶けていく。

 翡翠の様に翠色がかった、それでいて玉虫色に光を反射する物体が、液体へと変化していく。

 個体が、正確には個体ではなく非晶質固体、液体と固体の中間のような物質が、炉で熱せられ、完全に流体の様に溶け流動していく。

 シャンタルが全て溶け、一つになっていく。


 ボクは茫然としながらも、作業だけはしっかりとやる。

 失敗だけは許されない。

 何があっても成功させなければならない。


 ネールガラスとは、反応が大分違う。

 だが、シモ親方の資料で、それはわかっていたことだ。


 失敗だけは、絶対に許されない。


 後はボクの、人形技師としての才能で、今まで培ってきた技術で、なにがなんでもやり切らないといけない。

 ボクになら、その才能も経験もあるはずだ。


 待っていてくれ、シャンタル。

 必ずボクが、キミを再びこの世界に呼び戻して見せるから。


 ボクはそれから三日三晩、寝ずに作業を、狂ったように続ける。








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