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【第六十話】悪窃

 ディオプ工房に泥棒が入った。

 人形は高級品だから、わからない話ではないが、ボクとしては浅はかだとしか言えない。

 確かに、使う素材も高級品であり、他では手に入らないものばかりだ。

 それらが他の市場でも高値で売れる物だと、そう思う輩は多いだろうが、それは間違いだ。

 実際は人形に使う素材の多くは他に使い道がない。

 また人形技師の業界は狭い、なにせ、グランヴィル市が本場であると共に、基本的にはそこしかないのだ。

 盗んだ物を売ろうとしても、絶対に足がついてしまう。

 そんな狭い業界なのだ。

 それにネールガラスなど他に使い道がありそうなものだが、そのネールガラスですら、核となる場所に特殊なルーン文字を書きこまなければ、綺麗なガラス止まりだ。

 失われた錬金術の知識を多少なりとも持ち合わせる者でなければ、それは宝の持ち腐れになるだけだ。


 人形業界の知識がある者なら、それらのことがわかるのだが、それらの知識が無い輩も確かに存在し、また高級品なのも事実だ。

 あまり多い事ではないのだが、工房に泥棒が入ること自体は稀にはあることだ。


 それが今回はディオプ工房だったと言うことだ。

 こういう時の為にも、人形工房で人形を手伝いとして置いて置くことは推奨されていることだ。

 ただ、単純作業と言えど人の手でやりたいシモ親方のディオプ工房には、売り物以外の人形を置いていない。

 それも理由だったかもしれないが、それらの単純作業もシモ親方からすると弟子達の仕事で修行の場なのだ。

 それらの仕事を、弟子達の修練の場を奪ってしまうので、シモ親方は自分の工房には人形を置かない。

 独り立ちした弟子達が人形に仕事を手伝わされることに対してはシモ親方は何も言わないし、個人の人形技師に工房など強盗に襲われでもしたらひとたまりもないのも事実だ。


 そう言う人だと、ボクも以前まで思っていた。

 ただ、今はそう思えない。

 恩もあるのも事実だ。

 だけど、それ以上にボクには憎む理由がある。


 そんなわけで今日は会合の日ではないが、ボクも呼び出されてディオプ工房に来ている。

 盗まれた備品のチェックを手伝わされるからだ。

 シモ親方は整理整頓が絶望的に苦手なのだ。

 備品の在庫チェックなんてできる訳がない。

 大体は弟子任せだし、どんぶり勘定で素材の在庫を管理しているような人だからな。


 断ることも出来たが、ボクにとってこれはチャンスだった。


 シャンタルには特別な新しい肉体を用意してあげたい。

 自力で集めるには、人形に使う素材は費用が高すぎる。


 幸い、今回入った泥棒はどれが高いのかも判断できなかったのか、様々な物を満遍なく盗んでくれている。

 高級な素材をちょろまかすいい機会なのかもしれない。


 確かに、シモ親方には人形技師として育てて貰った恩はある。

 だが、市長と共にシャンタルを死なせたのも事実だ。

 もう義理も何もない。

 遠慮する気もボクにはない。

 許せるわけがない。


 なので、この機会にバレない程度に必要なものを確保させて貰おうと思っている。

 だから、備品の在庫チェックにさわさわ参加したんだ。


 ただシャンタルの場合ネールガラスは既に用意出来ている。

 なので主に外殻用の粘土自体やそれに混ぜる薬品が今回は目当てだ。

 そもそも、人形の外殻であるセラス・ミクシズという陶器を作る粘土も専用の物だ。

 これはあくまで噂の範疇ではあるが、死んだ竜の肉が腐ると、その特別な粘土になるらしい。

 その粘土がセラス・ミクシズの主原料という話だ。

 本当に竜由来の物なのかは怪しい所だが、あの資料を読んだ今では何とも言えない。


 そもそも、シモ親方と市長のやり取りが正しければ、竜はすべてガラス化して死んでいるはずだ。

 肉もガラス化しているので、肉として残っているはずがない。

 それに、そのガラス化した竜の死体は資源として、既に枯渇しているのだ。

 なら、肉が腐って粘土になったというのであれば、粘土のほうも枯渇しないといけないはずだ。

 だが、粘土の方は枯渇しているという話は全く聞かない。

 恐らくはこの粘土が竜由来の物というのは間違った噂だ。

 いや、一概にそうとも言えないのか?

 ガラス化した竜達の死骸、そこから流出した物質が、この地方の粘土に何かしらの影響を与えた可能性もある。

 なにせネールガラスは非晶質固体だ。

 普通のガラスなんかは余り溶けださないが、一部の非晶質固体は水に溶け易いとも聞く。

 それが竜とはいえ生物から生成さえた物であるならば、なおさら構成成分が水に溶けやすかったりしてもおかしくはない。

 土壌に流出された一部の成分が水を通しにくい粘土層にたまって、粘土を特別なものにしている、そう考えられなくもないか?


 ちょっと考えを飛躍しすぎか?


 でも、もしそうなら、粘土の方もそう遠くないうちに産出しなくなるのかもしれないな。

 まあ、シャンタルの新しい肉体さえ確保できればそれでいいし、外殻をセラス・ミクシズにこだわる必要もない。

 シャンタルを金属製で作る気はないので法を破る必要もない。

 なんなら温かみのある木製だっていい。

 ただ流石に木製は耐久面で不安があるか。

 やはり作り慣れているセラス・ミクシズで作りたい気持ちもあるな。

 何より失敗したくはないからな。


 長い間、人形技師たちに使われてきただけあってセラス・ミクシズがやはり一番最適化されているのも事実だ。

 なにせネールガラスを高温に融解させながら作業しなければならない。

 まず第一に高温に強い素材でなければならない。

 まあ、何にせよ、今回は色々と頂戴させていただきますよ、シモ親方……






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