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【第五十話】人形と逃走劇、肆

 暗い地下用水路を私はメトレス様の手を引いて歩きます。

 夜通し、というほどではないですが、かなり長時間の間、水の中を歩いています。

 地下水道は暗く水の流れる音以外なにも音はありません。

 大昔に作られた地下水路という割には綺麗な造りですね。

 いえ、大昔の物なので大分汚れてはいるのですが、造り自体が綺麗なのです。

 今の技術でこんな地下水路は作れないのでは、と思えてしまいますね。

 石レンガなのですが、隙間もなくピタリと敷き詰められていますね。

 地上の道ではこんなピタリと敷き詰められた道を私は知りませんよ。

 まあ、そもそもほとんど外に出たことはないのですが。


 そんな事を考えて、先を急いでいると、ふと、引いている手の抵抗が急に強くなりました。

 私が振り返ると、そこには水面に伏したメトレス様がいるではないですか。

 慌ててメトレス様を抱え上げます。


 息はしています。


 それを確認できて一安心した後、私は猛反省します。

 そうですよね。

 私は人形で平気ですが、メトレス様は人間です。

 腰までつかる様な水の中を長時間歩けば、こうもなります。

 むしろ、今まで弱音すら吐かずに、それこそ気を失うまで頑張っていたメトレス様が凄いのです。

 それなのに私と来たら、地下用水路のことなどを考えていて馬鹿ですね。


 震えて意識を失うか混濁しているメトレス様を抱き上げて、私は黙々と闇の中を速足で進みます。

 初めからこうしてればよかったですね。

 こうやってメトレス様を抱きかかえれば、メトレス様は水に浸かることありません。

 私は人形なので疲れることもありませんし……


 しかし、どうしましょう。

 早くメトレス様を休ませれる場所を確保しなければなりません。

 急務です。


 でも、どこかでメトレス様を休ませてあげられるような場所は、このような地下では……

 近くに地上に上がれるような場所を探さなくてはなりませんね。

 それも人目に付かない場所でないと不味いですよね。

 なにせ逃避行中なのですから。

 追われているかどうかまでは、わかりませんが。


 どこか良い場所は近くにないでしょうか?


 私の知識としてあるグランヴィル市の地図上で、一番それらの条件に合いそうなのは廃修道院となっています。

 地下水道も通じているようですし、今は立ち入り禁止となっているようですね。

 聖サクレ教が国教となる以前の修道院で、今は文化財として保管されているような場所みたいです。

 文化財とはいえ、手入れもされていないで放置されているような場所のようですが。

 要は立ち入り禁止の廃墟ですね。

 これはうってつけの場所ではないのでしょうか?

 そこへ急ぎましょう。

 迷っている暇はありません。


 地図上ではその廃修道院の真下まで来た私は上へと続く穴を見つけます。

 私は、荷物を降ろしたときのロープでメトレス様を自分の体に括りつけます。

 しっかりと、落ちないように何度もロープでメトレス様を自分の体に巻き付けて括りつけます。


 そして、壁に手と足をつき、井戸を登って行きます。

 この井戸の上が、廃修道院のはずです。地図上ではですが。

 蓋がなされているのか、外の明かりは入って来ていませんね。

 まだ日が昇る前ですが、もう少しは明るくなっているような時間のはずですのに。


 途中に鉄製の柵が鍵付きでありますが、人形の力の前には鍵などあってないような物です。

 バキッという音と共に簡単に錠前が外れます。

 そもそも錆びて使いものになってませんね、この錠前は。


 そのまま鉄の柵を持ち上げ、更に石製の重たい蓋を持ち上げて、周りの様子を見ます。

 近くに人気はありません。

 周りは……

 草ぼうぼうの雑草の生え放題となった中庭と言った感じですか?

 少なくとも人が住んでいる、そう言った気配はありません。

 ここが廃修道院で間違いないでしょうか。

 井戸からあがり修道院の敷地に入り込みます。

 それにしても草ぼうぼうです。足の踏み場もないですね。

 本当に廃墟と言った感じで、人の出入りがあった様子もまるでないですね。

 これなら人目にはつかないですね。


 ついでに裏庭にも、建物内にも、人の気配は一切ありません。

 まだ夜明け前なので私が気づけないだけかもしれませんが、一般的にはこのような廃屋には人は住んでいないでしょうか?

 修道院は見事に廃屋です。

 これが文化財とかふざけてますね。


 裏庭に出た私はそのまま近くの、恐らくはお勝手口の戸に手をかけます。

 特に力を込めたわけでもないですが、簡単に戸が開きます。

 それと共に、これまた錆びた錠前が落ちますが、私は気にしません。

 勝手に壊れただです。

 お勝手口だけに。


 そんな事は置いて置いて、今はメトレス様の容態が心配です。

 顔色が悪くぐったりしておられます。

 意識を完全に失っているわけではなさそうですが、混濁してはしているようです。

 たまにシャンタル様の名をうわ言の様に呼んでいます。


 長時間水の中を歩き続けたので、低体温症でしょうか?

 私には温度を感じることはできませんので、メトレス様の体温がどれほどなのかわかりません。

 ですが、見るからに青白い顔になっていますし、寒そうに震えているのはわかります。

 こんなにも震えていて、かわいそうに。

 このままでは本当にまずいですね、とりあえず暖めなくては。

 こんなことなら、はじめっから私がメトレス様を担いで、闇夜に紛れて全速力で街中を走った方が良かったかもしれませんね。

 その方が早かったですよ、きっと。

 今頃はグランヴィル市からも脱出できていたはずです。


 まだ完全な夜明けまでに時間はあります。

 今のうちなら、この修道院で火を使ってもばれないかもしれないです。

 まあ、メトレス様の容態を見るに、火をつけない選択肢は元々ないのですが。

 でも、日が昇る前に火を消して煙で見つかるのを避けなければならないかもしれませんね。

 ですが今は火をつけてメトレス様を暖める方を優先しなければなりません。


 廃修道院に入った場所はやはりお勝手口だったらしく台所ですね。

 竈やらなにやらありますが、椅子が数脚だけ残されていて、後は家具らしい家具もありませんね。

 その残された椅子も随分と大きな椅子なので、お勝手口からは運び出せずに残されていると言った感じです。

 古い使えるかどうかもわからない竈があったので、その辺にある朽ちかけの椅子を解体して投げ込んで火をつけます。

 大きな椅子ですし、よく乾燥もしているので良い薪になってくれるに違いありません。

 火打ち石と火打ち金は持ってきているので火をつけるのも問題はないです。

 後は乾燥しきった椅子の脚の一部を手で強く握ります。

 ミシミシと音を立てて椅子の一部が細かく砕けます。これを火口の代わりにしましょう。

 椅子は乾燥していたこともあり、簡単に火が付きました。

 それが椅子を解体した木材に燃え広がっていきます。

 これで一安心でしょうか?


 竈の近くに持ってきていた荷物をまずおきます。

 多少は濡れていますが、気になるほどではありません。

 その上に、荷物をクッション替わりにして、メトレス様を寝かせます。

 なにせ、ここの床は石造りですからね。

 そのままではメトレス様を寝かせられません。


 メトレス様の服を脱がした方が良いのでしょうが…… ドキドキして力の調節が難しいですね。

 とはいえ、上着は濡れていないので、ズボンと靴だけは脱がしておきましょう。

 それに今はドキドキしているとか言っている場合ではありません。

 メトレス様の命が掛かっていますからね。


 後は毛布でもないのでしょうか、そう思って、少し修道院内を見て回りますが、流石に毛布はどは残ってないですね。

 本当に古い修道院のようですので。仮にあったとしても風化していて使いもにはならないでしょうか?

 運び出せないような大きめの朽ちた家具くらいしか残ってないですね。

 後はあるのは綿埃ばかりです。


 後は今、できることは……

 暖かいスープでも作っておくことでしょうか?

 火をつけたのもちょうど竈ですし。

 メトレス様が私の見立て通り低体温症なら、体を温めるために必要ですよね?

 とにかく温めなくてはいけないですが、私の体は冷たい陶器の体です。

 暖め合うことも出来ません。


 日があがり朝になったら市場に行ってなにか食材を買って来なければ……

 持って来た荷物の中には、食料も多少はありますが携帯食料ばかりですし。

 ちょうど汎用のメイド服を着ていますし、このまま市場に行っても問題ないですよね。


 もう少し我慢してください、メトレス様。

 プーペが暖かいスープを作って差し上げますからね。






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