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【第四十九話】人形と逃走劇、参

 夜中、本当に深夜です。辺りが寝静まった頃、メトレス様と私は夜逃げを開始しました。

 ちょっとドキドキします。

 ドキドキするための心臓もないのですが、なんで私はそんなことを思うのでしょうか?

 こういうのをシャンタル様が書き残した小説で読んだ影響かもしれません。

 そのせいでしょうか?

 でも、こう言うのを言うんですよね?


 愛の逃避行と。


 愛かどうかはわかりませんが。逃避行は逃避行です。

 家の中の井戸、それの落下防止用の鉄格子を外し、ロープを垂らします。

 そのロープを伝いまずメトレス様が井戸の底へと降りて行きます。

 次に荷物に別のロープを巻いて降ろします。

 荷物はちゃんと防水加工してあるので安心です。

 最後に私が井戸の壁と壁に手と足をつきながらゆっくりと降ります。

 降りる際にちゃんと鉄格子を閉め、井戸から逃亡したことがわからないようにしておきます。


 井戸の底に降りるとそこはもう真っ暗です。

 人の目では一寸先も見えないと思いますが、私は人形です。

 ほんの少しの明かりでもあれば、私にはこの暗闇を見通すことが出来ます。

「メトレス様、手を、私の手を掴んでください。暗いだけでなく足場も悪いですのお気を付けを」

 私はそう言ってメトレス様と手をつなぎます。

 私の手ではメトレス様の体温などを感じることはできません。

 けど、繋いでいるという事実だけで私の胸は高鳴ります。


 実際に高鳴っているわけではないのですが、こう熱くなっていくのを、帯びるはずのない熱を帯びていくのを、確かに感じるのです。


 これは私の中の魂がそう感じているのですか?

 人間とはそう感じるものなのでしょうか?

 不思議な物ですね。


 かなり荷物は多くなりましたが、人形の私からすればこの程度の荷物など何ともないです。

 防水用の袋に何重にもして入れてあるので中身は平気でしょう。

 ただ、普段とはバランスが違うので要注意ですね。

 地下水路の床は何かと滑りやすいですし。

 それに地下水路は思ったよりも深くて腰のあたりまで濡れてしまっています。


 人形の私が濡れてもさほど問題ないですが、メトレス様はそうはいかないですよね。

 適当なところで地上に上がって休まなければなりません。

 メトレス様をいつまでも冷たい水の中を歩かせるわけにはいきません。

 私は頭の中の、この町の地図と進んだ方向を照らし合わせて進みます。


 それだけではありません。

 辺りの音を聞き、追手が来ていないか注意深く確認しながら進みます。

 まあ、まだ追手がかかる様な事にはならないでしょうが。

 騎士団がメトレス様の工房を訪れてからが本番なのでしょうか?


 行方不明になった人形技師と現れた喋る人形。

 それの関りがない訳ないですよね。


 騎士団がメトレス様の家に行く前に、どうにかこのグランヴィル市から抜け出したいですね。

 グランヴィル市を抜けてしまえば、私の脚で一気に距離を稼げます。

 でも、この町を出たら、どこへ向かえば良いのでしょうか?

「メトレス様。グランヴィル市を出られたとしてどこへ向かいましょう?」

 疑問に思った私はすぐにメトレス様に聞きます。

 おしゃべりは好きですからね、そのお相手がメトレス様となれば猶更ですよ。

 まあ、メトレス様以外と喋った事はないですが。


「そういえば、話してなかったな。国境沿いの山にうちの人間しか知らない山小屋があるんだ。そこにとりあえず行こうと思うんだ」

 国境沿いですか、グランヴィル市の位置からすると、ラパン王国との国境でしょうか?

 山深い場所でもありますし、国境付近であるならば騎士団も、国際問題になるのを避けて大きく動けないかもしれないですね。

 流石メトレス様です!

「山小屋ですか。わかりました」

 しかし、山小屋ですか、どんな場所でしょうか?

 私はグランヴィル市の地図しか知りませんし、外の世界のことをほとんど知りません。

 どんな場所でも構いませんよ、メトレス様と一緒であるならば!


 メトレス様が思い出されたように、

「うちの家がまだ猟師の家系だった頃のものだよ。ラパン王国と国境問題が出てきて、そのあたりで猟を生業としていたうちの爺様が猟師を廃業して、グランヴィル市に移り住んだ。でも、その山小屋だけは残ってて子供の頃何度か連れて行ってもらった。山小屋というか別荘みたいなものだよ」

 メトレス様は自分の工房の他にそんな別荘まで持っているんですね。

 流石です!

 まあ、工房の方はもう諦めないとダメですが。


「そんな物があるのですね。わかりました」

 そこまで、このプーペが必ずメトレス様をお連れいたします。

 この身に変えてもです。


「うちに残された唯一の財産のような物だよ。ボクにももう家族はいないし、誰も知る者もいない。あそこなら安全なはずだ」

 なるほど、そうであれば確かに安全そうですね。

 メトレス様との山小屋生活……

 そこでは他人の目を気にせずお喋りができるのですね。

 私にとっては天国のような場所ではないですか!


「そこまで必ずお連れします」

 絶対に、メトレス様だけは無事に、何事もなくお連れ致しますのでご安心ください。

「キミも一緒にだ、プーペ」

「はい……」

 ああ、ああ、なんて嬉しいことを言って頂けるのでしょうか。

 プーペは幸せです。

 これ以上ないほどに。

 絶対に二人でその山小屋にたどり着きましょう。

 絶対です!






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