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【第四十五話】死別

 とうとうシャンタルの呼吸が止まってしまった。

 意識もないのか苦しんでいる様子がない事だけが救いか。

 しばらくボクは彼女の手を取り握っていた。

 シャンタルから体温が徐々に失われていくのがわかる。

 脈もどんどん弱くなっていき、最後には止まってしまったのも、ボクにはわかっていた。


 ボクの見ている目の前でシャンタルは死んだ。

 ボクはやっぱり無力でしかない。

 死に逝くシャンタルに何をしてやることも出来なかった。

 そのままボクは彼女の手を握り続けた。

 ぬくもりが失われていく手を。


 気が付くと朝になっていた。

 彼女の手にはもうぬくもりもない。ただの冷たい手でしかない。

 ただ彼女は腐ることはない、死んだ後もヴィトリフィエ病の病状が進行し、最終的には骨までガラス化し完全な非晶質固体の塊となる。


 それに悲しみに暮れている暇はない。

 シャンタルの魂をネールガラスに固定しなければならない。

 普通の方法では人間の魂はネールガラスには固定できないはずだが、ボクはそのやり方をこの間、知ってしまっている。


 ずっと一緒にいたい。そのシャンタルの願いを叶えるため、ボクは悪魔にだってなれる。




 ボクはもう魂の宿っていない彼女の死体をシーツで包み、予め作っておいた木箱に移す。

 そして、床下に一端しまう。

 シャンタルをこんな場所に置いておきたくはなかったが仕方がない。

 これからは彼女を誰にも見られてはいけないのだから。

 人目に付かない場所でゆっくりと骨までガラス化させていくしかない。


 その日のうちに深夜になってから、ボクは家を出る。

 昨日から一睡もしていないが、眠気をまるで感じないし、寝れるとも思えない。

 目を閉じると気が狂いそうになる。


 それ以上に、ボクは使命感に駆られていた。

 顔を隠し普段着ないような服装に身を包み、貧民街と言われる地域へ足を向ける。

 そこで今にも朽ち果てそうな家の戸を叩く。

 そこから見すぼらしい男が出てきて無言で家の中に招き入れる。

 仲介人の話通りだ。


 そこには人間大の結晶があった。

 正確には結晶ではない。非晶質固体。その塊。

 シャンタル同様にヴィトリフィエ病で死んだ人間の遺体だ。

 ボクは男にシャンタルとの結婚にと貯めていたかなり額の金を払い、それから、その遺体を布で包んでいく。

 この遺体をボクは買ったのだ、シャンタルの遺体の代わりとするために。


 ボクが一人で黙々と作業をしていると男が話しかけて来る。

「それをどうするつもりだ」

 名も知らない貧民街の男はおずおずと震えながらも、下目がちに聞いて来た。

 その顔は恐怖と不安に彩られている。

 興味からではない。

 恐れていてもなお、このガラス化した遺体が気になるのだろう。

「お前が知る必要はない」

 信用できない。

 誰にも知られるわけにはいかない。

 感情を押し殺した声でボクは答える。

 だが、それでも男は引かない。

「それは、俺の娘だ…… せめてどうなるかだけでも……」

 男はボクと目を合わせない、下を、目線を下げながら、慈悲を乞うようにそう言われた。

 ボクは息を飲む。

 今のボクに慈悲の心などない。

 ないのだが、

「別人としてだが弔われる。ただそれだけだ。墓は教えてやれんが、まあ、教会の共同墓地になるはずだ」

 思わず口に出してしまう。

 同じく大切な人をヴィトリフィエ病に奪われた者として共感してしまったところがあったのかもしれない。


 貧民街の男はボクの答えに少し驚き、そして、嬉しそうに納得する。

「そうか。ならばいい。ここでは満足に弔うこともできねぇからな。感謝するよ」

 そう言って向けられる少し歪な笑顔が嘘にはボクは思えなかった。

 どこから情報が洩れるかもわからないのにボクは甘い。

 こんな男に同情までしてしまっている。

「すまんな」

 ボクはただそう言ってガラス化した遺体を布で巻く作業を続ける。

「娘がこんなんなっちまってな、遺体をどうすることにも出来ねぇ…… こんなんなっちまって、死体と認められないから埋葬も認められないんだとよ…… 買ってくれたのがあんたで良かったよ」

 貧民街の男は涙を流しながらそう言った。

 良い事をしたつもりはない。良いことな訳がない。

 この遺体はシャンタルの代わりに弔われる。

 ただそれだけのことだ。

 神などもう信じていない。良いも悪いも、もうボクの中にはない。

「そうか」

 それ以上話すことはない。

 ボクにはこれからしなければならないことが山ほどある。

 悲しんでいる暇もボクにはない。






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