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【第二十四話】退院

 結局、メイユール病院でもシャンタルの治療方法は、なんらわからなかった。

 シャンタルの介護の方法を聞き、ボクはシャンタルを再び家に連れて帰ることにした。

 これからはずっと一緒だ。

 シャンタル、キミが死ぬまでずっと一緒にいられる。


 自分のベッドにシャンタルを寝かせ、ボクはソファーで寝る生活が始まった。


 確かにシャンタルの世話は大変だった。

 なにせ本当に彼女はもう身動きできない。

 食事も着替えも、なにもかも、彼女のことはボクがすべて行った。

 シャンタルは、恥ずかしいからと最初こそ嫌がったが、慣れてしまえばなんてことはない。

 すぐに生活の一部になった。

 ボクはそのことが少しうれしかった。

 精神的に彼女と一つになれた、そんな気がしていたからだ。


 そんな生活の中でも、彼女は僕と目が合うと無理にでも笑おうとしてくれている。

 ボクがシャンタルの笑顔が好きなことを彼女が知っているからだ。


 少しでも笑顔で覚えて欲しい。


 彼女は消え入りそうな声で、その理由を、ボクに笑顔を向けてくれる理由を話した。

 そんなことしなくても、ボクがキミを忘れるなんてことはないのに。


 シモ親方にも相談して、しばらくは自宅でできる仕事を優先して回してもらうようにした。

 シャンタルの世話をしなければならない。

 ボクはそれを最優先にしなければならない。

 それに僕自身、彼女の傍を離れられないし、離れたくなかった。


 彼女の世話は確かに大変だったが、それを苦痛と考えるようなことはなかった。

 いや、それを苦痛と結びつけることすら思いもしなかった。

 今までボクが貰って来たものをやっと少しでも返せる、そう考えると嬉しくすら感じていた。

 それと同時に深い悲しみがあふれ出て来る。

 彼女の命が少しづつ失われて行く様を見続けなくてはならない。


 ボクは彼女の傍を離れない。離れたくない。

 彼女が起きているときは、なるべく彼女に話しかけ、彼女のことを目に焼き付ける。

 シャンタルの要望を、願いを、できる限り叶えてやりたい。

 今のシャンタルは何もできないのだから。

 ボクが代わりに叶えてあげないとならない。


 何度も、何かして欲しいことはないかと問いかけると、シャンタルはまたコーヒーが飲みたい、そう言った。

 急いでボクはコーヒーを一杯だけ買ってきてミルクと砂糖をたっぷり入れてやる。

 それを少しずつ彼女の口にスプーンで運んでやる。

 そうすると彼女は、また二人で飲みたかった、と涙を流しながらそう言った。

 ボクは彼女に笑顔を向けて、少しだけスプーンですくってコーヒーをボクも舐める。

「これでいいだろ?」

 と、ボクが言うと少しだけ、作り笑顔ではない、本当の笑顔を見せてくれた。

 その笑顔だけで、ボクはどこまでも頑張れる。




 メイユール病院でもらって来たレシピで流動食やスープを作り、やはりスプーンで一口ずつ彼女に与える。

 もし、シャンタルとの間に子供ができていたらこんな感じだったのかもしれない。

 それを思うと、少しだけ嬉しくもあり、そんな未来はもう訪れないと言う事実に深い悲しみを覚える。

 そんなことを考えながらボクは彼女の世話をする。

 そして、ボクがこれからも暮らしていくために、彼女の願いでもある人形技師の仕事を彼女の世話の間にする。


 彼女が起きている間は彼女の世話を出来る限りして、彼女が寝ている間に仕事をする。

 そんな生活を、今、ボクは送っている。

 楽な生活ではないことは確かだ。

 でもそれが苦通だなんてことは思わない。


 ボクは彼女が死ぬその時まで、この生活を続ける気でいる。

 病院で聞いた彼女の寿命は、それほど長くはない。

 少し頑張れば良いだけだ。

 無理な話ではない。


 彼女が、シャンタルに降りかかったことに比べれば、彼女の世話など、どうということはない。


 そう、思いはしていたが現実はそう簡単にはいかない。

 週にに一度は、シモ親方のディオプ工房に定例会議で顔を出さなければならないし、彼女に少しでもいいものを食べさせたい、そう思うと買い物や料理にも時間を取られる。

 自分の食事は置いておいても、シャンタルの分で手を抜くわけにもいかない。

 それになんだかんだと何かと時間を取られる。

 とにかく時間がない。

 時間がない。

 彼女の時間はもうないのに。

 時間が足りないんだ。


 本当はシモ親方に言って少しの間だけ仕事を休ませてもらおうと思っていたのだが、それはシャンタルに大反対されて止められた。

 つい話してしまったが、これは黙っておくべきだった。

 この時のボクは何を話していいかすら分からなかったから、シャンタルにあったこと、思っていること、そのすべてを包み隠さず話していた。

 それが少し誇らしかったのもあるし、それを彼女も受け入れてくれていた。

 確かにそれは嬉しかった。

 すぐにボクが彼女の世話をすべてすることに抵抗がなくなってくれたのはこのおかげかもしれない。


 だから、少しの間仕事を休ませてもらって、シャンタルの世話に専念しようと、そう考えていたのを彼女にも話してしまった。


 まあ、それを話したのは失敗だった、としか言えない。

 だから、今こうして苦労している。

 彼女は自分の世話などよりも仕事を優先してと言ってくれるのだが、ボクにそんなことはできない。

 そうなると仕事とを世話を両立させ、その為に削れるのはボクの睡眠時間という事だけだ。


 ただそれだけのことだ。


 ボクがほんの少しだけ無理をしていることは、それは彼女には黙っておく。

 きっとそれを知ってもシャンタルは怒るからね。






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