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【第二十一話】医者

「それは…… どういうことですか?」

 医者の、それもメイユール病院、このグランヴィル市で一番大きい病院の医者の言うことがボクには理解できなかった。

 シャンタルにもう手の施しようがないだって?

 あんたは…… お前は、医者じゃないのか?


「どうもこうもない。やはりヴィトリフィエ病に治療法などは存在しない」

 医者は俯きながら、その事実をボクに突き付ける。

 やめてくれ。

 そんなこと知りたくはない。


「そんな……」

 ボク自身もわかってはいたことだ。

 半身が既に結晶となり、ガラスのような存在になってしまっているシャンタルが、あの状態から助かるだなんて、そんなことがあるわけもないと。

 そのことは、わかっていた。

 でも、医者と言う立場も知識もある人間から、それを告げられるのは……

 ボクには耐えれそうにないことだった。

 最後にしがみついていた希望をすべて取り払われた気分だ。

 後は絶望へと落ちていくしかない。


「そもそも、人が結晶化する病気など存在が馬鹿げている。結晶化の仕組みどころか、原因すら突き止められなかった」

 その医者も無力を嘆くように机を一度叩きながらそう言った。

「あんた、それでも医者か?」

 医者が自身に無力さを感じているのはわかる。

 理解できる。

 ボクだって自分の無力さをさんざん味わって来たのだから。

 でも、ボクはその言葉をどうしても飲み込めなかった。

 どこにも向けれないこの感情のはけ口を、ボクは知らない。


「医者だから言えることもある。ヴィトリフィエ病は余りにも特異すぎる。余りにも既存の病気とかけ離れている。病気には原因があり結果がある。だが、ヴィトリフィエ病には原因がなく結果だけが、結晶化という理不尽な結果だけがある」

 この医者の言う通りだ。

 ヴィトリフィエ病は異質すぎる病だ。

 人間が結晶化してガラスになる。

 そんな馬鹿げた病気は実際目にしなければ信じられるものではない。

「だからって……」

 そのことはわかっていてもだ。

 やはりボクは、このどうにもならない感情を、目の前に医者にぶつけることしかできない。

 ボクは本当に無力で、余りにも礼儀知らずだ。

 この医者だって、シャンタルのために力を尽くしてくれたというのに。


 それを、ボクの無念を医者の方もわかっているのか、ヴィトリフィエ病のわかっていることをボクに伝えて来る。

「そもそもこの病気はな、グランヴィル市内でしか流行っていない」

「え?」

 その言葉にボクは驚く。

 この世界は広い。

 だけれども、職人であるボクはこの市内しかほとんど知らない。

 それでも、この世界はとても広いもので、グランヴィル市など小さな一つの町でしかないことは知っている。

 そう、世界から見れば、本当にその小さな街でしか、この奇病は流行ってないのだと、この医者は言っている。


「何かがおかしいのだよ」

 ヴィトリフィエ病はなにかが根本的におかしい。

 そう医者は言っている。

「グランヴィル市でしか流行っていない?」

 オウム返しする様にボクはその言葉を発する。

 思考が追い付かない。

 ヴィトリフィエ病の治療法がないと告げられたこともあるが、そんな局地的な病があるものなのか、医者ではなく人形技師のボクにはわからない。


「そうだ。他の市、それこそすぐ隣り町のヴォワジーヌですら、この病気は全く発症してない」

 ヴォワジーヌと言えば、本当にすぐ隣の町だ。

 グランヴィル市の西門から東門に行くよりも、東門からヴォワジーヌへ行くほうが近いほどの町だ。

 そのヴォワジーヌではヴィトリフィエ病が流行っていない?

 どういうことだ?


「は? ヴォワジーヌはそこまで遠くないのに? 川すら挟んでいなじゃないですか?」

 あるのは一本の道だけだ。

 人も物も、毎日のようにグランヴィル市とヴォワジーヌでは行きかっている。

 それなのに、ヴォワジーヌではヴィトリフィエ病が流行っていない?

 ヴィトリフィエ病が感染する病気じゃないとしても、それはあまりにもおかしくないか?


「そうだ。色々とあり得ないんだ。このグランヴィル市ならではの風土病としても、その範囲が極端に狭すぎる。本当にこの市内のみなんだよ」

 医者も理解できないと言うように、その言葉を発する。


「じゃあ、逆に他の町に引っ越せば? 病気が治るんじゃ……」

 ボクは思い付きだが、今更結晶化したシャンタルが元に戻るとは思えなかったが、それでも生きていてくれれば、それで……


「それも既に試した。他の軽度だった患者でね。関係なく病状は進行したよ。一度発症してしまうともう助からない。まだ発症していないなら予防にはなるかもしれんがね」

 ボクの希望を吹き消すように、医者は淡々と、感情を殺したようにその事実をボクに突きつける。


「じゃあ…… シャンタルは?」

「残念だが打つ手なしだ。すまない」

 医者がボクに頭を下げる。

 その行為が、ボクに絶望を突きつける。

 ただの町医者じゃない、メイユール病院と言う一流の病院の医者がボクに、ただの人形技師であるボクに頭を下げながらそう言ったのだ。

「そんな…… シャンタル……」

「我々も手を尽くした。本当さ、嘘じゃない。教会からの依頼だったと言うのもある。手を抜けるわけがない」

 教会と病院は親密な関係にある。

 その上で教会の権威はとんでもなく大きい。

 それを考えれば病院が、この医者が、教会からの依頼であることに手を抜くわけがない。

 そんなこと、ボクにだってわかる。


「本当に打つ手なしなのか? もう助からないというのか?」

 そんなことは以前からわかっていたことだ。

 認めたくなかった。

 ただ、それだけのことだ。

 シャンタルは既に覚悟していると言うのに、ボクは何の覚悟も出来ていなかった。

 ありもしない希望に縋りついていただけだ。


「だが、わかったこともある。断言しよう。ヴィトリフィエ病は病気じゃない」

 医者がボクの目を見ながら、静かに何かを決心し、その言葉を口にした。

 ヴィトリフィエ病は病気ではないと。


「じゃあ、なんだ? 神罰とでもいうのか? シャンタルはボクなんかと違い本当に敬虔な信者だぞ?」

 病気じゃない。

 だとしたらなんだ。呪いか神罰だとでもいうのか?

 シャンタルが何をしたというのだ。


「それも分かっている。だからこそ教会も動いたんだろう。それでわかったことが、現在の医学では手の施しようがない、という事だけだよ、不甲斐ないがね」

 深いため息を吐きだして、医者はそう言った。

 自分の無力さと、恐らくは教会からの期待に応えられなかったことに対してだ。


「どうにか、どうにかならないのか? ここはグランヴィル市で一番の病院なんだろう? あんたは名医なんだろう?」

 ボクは縋るように医者にむかいその言葉を投げかける。

 無駄だとわかっていても、そう言わずにはいられない。

「そうだ。そして、これは私個人ではなく、この病院に勤める数々の医師すべての総意だ。ヴィトリフィエ病の治療法は存在しない。その原因すら特定できない」

 そんなボクへと向かい、医者はまっすぐボクの目を見てそう言ったのだ。

 シャンタルを救う術はないのだと。


「あまりにも…… あまりにもおかしいじゃないか……」

 なんでシャンタルなんだ。

 彼女ほどの善人をボクは知らない。

 彼女ほど信仰厚い信徒をボクは知らない。

 彼女ほど愛した人はいない。

 ボクには彼女しかいない。


「すまない」

「あとどれくらいなんですか……」

 自然とあふれ出た、止めようのない涙を流しながら、ボクは聞く。

 聞きたくはないが、聞かないといけない。

 後悔はしたくない。


「わからない。ただ、生命力とでもいうのか、彼女はそれに満ち溢れていた。半身が結晶化してしまってはいるが今はそこで安定している。他の患者よりは持つかもしれない。それでも数週間がいいところだろう」

「そうか…… ありがとうございます……」

 ボクは涙声で何とかその言葉をひねり出す。





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