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【第十二話】日々

 これがシャンタルとの最後のデートになる。

 ボクはそう、なぜだかそう思えていた。


 まだシャンタルが亡くなるまでには幾分の時間はある。

 だけれども、もう少ししたら彼女は本当に歩けなくなる。寝たきりになってしまう。

 デートと言わず一緒に出掛けるのも、今日が最後になるかもしれない。

 彼女は既にまともに歩けなくなってしまっている。


 このままなら、間違いなくシャンタルはじきに寝たきりになってしまう。


 それを思うと、何とも言えないやるせない気持ちになる。

 無力な自分が嫌になる。


 ただ今日はデートだ。

 そんな顔を表に出してはいけない。

 出来る限り笑顔で、彼女を、シャンタルを楽しませてやりたい。


 今日は市場を見て回り、カフェでお茶をして、最後に教会へ行く。


 何の特別なことはない。

 ただの普段通りのデートだ。

 シャンタルといろいろ話し合ったが、彼女は普段通りのデートを望んだ。

 最後に普段通り。

 たしかにシャンタルらしい。

 本当に…… これが最後なのか? 彼女は本当にもう助からないのか?

 誰に聞くでもなくその疑問が頭の中をよぎる。

 ボクはその答えがわからない。


 既に右足の膝が曲がらなくなってしまったシャンタルをお姫様抱っこし、慎重に手作りの車椅子に乗せる。

 こう見えても職人の端くれだ。

 椅子に車輪を付けるくらい訳はない。

 なるべく頑丈な椅子を選び、大きなクッションを追加して車輪を付けただけだが、問題はない。

 特に強度と揺れには気を使ったつもりだ。

 曲がるときは、前輪を浮かせ、大きな後輪だけにして無理やり力業で方向転換をする。

 そんな出来の車椅子だ。

 本当に椅子に車輪をつけただけの代物だ。


「座り心地はどう?」

 と、シャンタルに尋ねる。

「最高ね。ちょっとクッションが大きすぎるけど」

 そう言って彼女は機嫌よく笑う。

「揺れを軽減するためのものさ。それくらいは我慢してくれよ」

 確かにクッションは大きい。

 そうでもしないと、シャンタルの体に負荷がかかる。

 まあ、シャンタルも右足が動かないだけで、まったく歩けない訳じゃないけれども。

 でも、今のシャンタルに無理はして欲しくはない。

 できる限り、長く一緒にいたいんだ。


 ボクの言葉に、シャンタルは笑顔を向けて、

「最高って言ってるじゃない?」

 と、いらずらをした時のように微笑みを向けてくれる。

 ボクも微笑みを彼女に返す。

「そうだった。じゃあ、押すよ? 揺れが酷かったら言ってくれ」

 確かに彼女は最高と初めから言ってくれていた。

 ボクが気にしすぎなのかも知れない。


「もう何度も試運転したじゃない」

 少し呆れたようにシャンタルは言う。

 けれど、もし振動でシャンタルに出来た結晶が割れでもしたら大変なことになるのでは、とボクには思えてしまう。

「それでもだよ」

 と、ボクはうわべだけでも笑って、その実は心配で仕方なく答える。


「まずは市場ね。ゆっくりよ? 今日は本当にゆっくり見て回るからね?」

 と、シャンタルは楽しそうに、車椅子からの風景を楽しみながらそう言った。

「ああ、分かってるよ」

 わかっている。

 彼女が市場を見て回るのも、これが最後かもしれない。

 彼女の気が済むまで今日はいくらでも付き合うつもりだ。


 だけれども、シャンタルはボクの返事を生返事と受け取ったようだ。

「メトレス、あなたは興味ある露店には、ずっといるくせに興味ない露店はさっさと通り過ぎてしまうじゃない」

 不平を言うように、そう言いながらも彼女は笑っている。

 本気で文句を言っているわけではない。

「ダメ…… なのか?」

 だから、ボクもそれに乗る。

 彼女がいつも通りを望むのであれば、ボクもそれに付き合うだけだ。

 いくらでもね。


「色々見て回りたいの。売ってる物をね?」

 彼女はそう言って頬を少し膨らませる。

 まるで子供のようだ。

 シャンタルも分かっててやっているんだろうが。

「ああ、わかった。キミの気が済むまで付き合うからな」

「ええ、遠慮はしないからよろしくね」

 シャンタルは微笑む。

 本当に、その笑顔だけをボクはずっと見ていたい。


 市場を手押しの車椅子で見て回るのは人の目を引く。

 けど、ボクらは他人の視線など気にはしない。

 今日が最後なのだ。

 周りの目など気にしている暇はない。

 二人で、二人だけの世界を楽しむ事だけに集中したい。

 それ以外のことなど、今日は視界にすら入れたくもない。


 今日は清々しいほど天気がいい。


 彼女はじっくりと露店を見る。

 車椅子をすすめると、まだ見ている、と怒られる。

 あれがいい、これがかわいい、これも素敵と声を上げてシャンタルは喜ぶ。

 その都度ボクが買おうとすると、彼女はそれを止める。

 けれど、一つだけ露店で二つの指輪を買った。

 見た目だけは銀に見えるけど恐らく銀ではない。

 いや、幾分か銀も使われているだろうが、それ以外の混じり物のほうが多い物だろう。

 安物の指輪だ。

 それでも彼女は嬉しそうにそれを左手の薬指につけた。ボクもそれに習う。

 彼女が嬉しそうであるならば、ボクは何も言わない。

 シャンタルの気が済むまで市場を見て回ると、もう昼過ぎになっていた。


 そのまま、ボクらはなじみのカフェに向かう。

 まあ、カフェと言うかお茶も飲める軽食堂だが。

 店主に軽く挨拶をすると、車椅子で来店したシャンタルに少し驚くが、テーブルの椅子を一つ何も言わずにどけてくれた。

 ボクらはその席に着き、軽い昼食とカフェを楽しむ。

 ただただ緩やかな時間が流れていく。


 奮発して普段飲まないコーヒーを二人で頼んだ。

 ボクの口には合わないわけじゃなかったが値段を考えるともう飲むことはないかもしれない。

 シャンタルはとても気に入ったようだ。

 それならいい。頼んだかいがあったという物だ。


 時間をかけてカフェを楽しんだ後、最後に少し遠いが聖サクレ教会まで行く。

 教会でも車椅子で礼拝に来たことに、驚きはされたが特に止められることもなかった。

 いや、シャンタルが教会の人達と顔見知りなだけかもしれないが。

 この教会は彼女の実家のような物だ。


 そう言えば、カフェの店主も店員も、教会の人達もシャンタルのことを何も聞いてこない。

 もしかしたら、既にシャンタルがヴィトリフィエ病に罹っていることを知っているのかもしれない。

 彼女はお喋りで顔が広いからね。


 彼女が車椅子に座ったまま教会の神像に向かい祈りを捧げていると、一人の神父がゆっくりと近寄ってくる。

「プレートル神父。こんにちは」

 先んじてシャンタルが挨拶をする。

「シャンタル。こんにちは」

 その神父も挨拶を返す。

 そして、シャンタルはその神父にむかいボクを誇らしげに紹介する。

「神父様、紹介しますね。この人が私のメトレスよ」


 紹介されたボクは神父にむかい丁寧にお辞儀をする。

 話には聞いていたが会うのは初めてだ。

 両親を亡くしたシャンタルの世話をしてくれていた恩人でもある。

「こんにちは。メトレス・アルティザンです。人形技師をしています」

「わたしはプレートル・ド・レグリーズと言います。見ての通り神父です」

 ボクのお辞儀に対しても、神父は礼儀正しく頭を下げてくれた。

 シャンタルの話ではこの教会でかなり立場が上の人間らしいが、とても物腰柔らかだ。


「ねえ、神父様聞いて、今日はメトレスとデートだったの」

 まるでシャンタルは父親にでも報告するように、神父にそのことを告げる。

 シャンタルからは、この神父は父親のような人と聞かされていただけに、なんだかボクとしては落ち着かない。

 けれど、父親というには神父はかなり若い。

 年齢的にはボクの四、五歳上と言った感じで、父と言うよりは兄なんじゃないだろうか?


「そうですか、それは良かったですね。では、わたしはお邪魔かな?」

 神父はそう言って、笑いながらボクらを見る。

 愛おしそうにボクらを見てくれる。

 だが、神父は悲しそうな表情を隠しきれないでいる。

 その表情から、シャンタルの病気のことは既に知っているのだと、ボクにもわかる。


「そんなことはないですよ。神父様は私の父親代わりみたいなものですから」

 シャンタルは笑う。

 病気になど、まるでかかっていないかのように。

 本当にそうならどれほどよかったことか。


「わたしはそんな歳ではないですよ? せめて兄とでも言ってください」

 神父は笑ったまま、そう答えた。

「そうね。でも、今日会えてよかったわ、神父様。もう会えないかと思っていたから」

 その言葉と共に、彼女の顔から笑みが消える。

「そう…… ですか…… 何て言って良いのか」

 神父も神妙な面持ちになり言葉を濁す。

 そんな神父の顔を見たシャンタルは顔を輝かせて笑顔を作る。

「神父様、でも、私は今、最高に幸せよ」

 神父にむかい、シャンタルは最高の笑顔で、そう言った。


 ボクはその会話を聞いていて、涙を堪えることができなかった。

 だけど、ボクの泣き顔は車椅子を押すのでシャンタルの後ろ側にある。

 シャンタルには見られなくて済む。

 それだけが救いだ。





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