ボクの名前は、メトレス・アルティザン。
ロワイヨーム国の六大都市の一つ、人形作成のメッカ、グランヴィル市で人形技師をしている。
人形、正式名称は魂の器という意味のヴァーズ・ド・ラムという名だけれど、その名を使うのは人形技師でも少ない。
誰もがそれを人形と呼ぶ。
まあ、確かに人形は人形だ。
それ以上でもそれ以外でもない。
ただ、そんな人形がボクは好きだ。
だから、ボクは人形技師になったんだ。
運よくシモ親方にも拾ってもらえた。
今はまだ、ネールガラスを溶かせるような炉はないけど、セラス・ミクシズを焼成できる窯もないけど、まだ小さいけれど、自宅に工房まで持つまでにはなれた。
ボクも、もう一人前の人形技師だ。
余裕が出来たら、ボクの仕事を手伝えるような人形を一体作るのも悪くはない。
人形を作るのは、どうしても長時間の作業が必要になるからね。
それに、一人で作業し続けるのは気が滅入るからね。
休まずに働いてくれる人形が一体いるだけで仕事の効率は全然違うはずだよ。
そんなボクにも結婚を誓い合った恋人がいる。
名をシャンタル。シャンタル・ローレンスという。
彼女は普段、市庁の職員をしている。
赤毛のくせっ毛で藍色の瞳を持つ女性。
少し背が低くて、性格も少し子供っぽいところもある。
美味しいものに目がない、可愛くも魅力的な女性だよ。
ボクもようやく一人前になれたことだし、正式に結婚を申し込もうと思うんだ。
そんな彼女が今日、どうしても話しておきたいことがあるので夜に家に来るとの話だ。
普段はあんまり掃除なんかしないんだけど、今日は気合を入れて掃除をしたよ。
もちろん、彼女がうちに来るのは初めてじゃないよ。
でもさ、男っていうものは見栄を張りたい物だろ?
それと久しぶりに普段着を着る。
作業着ではなく普段着に袖を通すのはいつ振りだろうか?
麻のシャツにベスト。
それに短ズボン。
まあ、こんなものだろう。
一般的な服装だよ。
だけど、シャンタルは一体なんの話だろう?
結婚前の相談事だろうか?
まさか婚約を取りやめたいとか?
ハハ、まさかな。シャンタルもちゃんとボクのことを愛してくれているはずだ。
そんなことにはならないさ。
だけれども、シャンタルから打ち明けられた話は、婚約の取りやめの方が何倍もましだった。
「ヴィトリフィエ病だって!?」
そんな名の病にシャンタルは罹ったというのだ。
ここ数年、グランヴィル市で流行っている奇病だ。
人や家畜を、罹った者をガラスのような結晶にしてしまう恐ろしい病気だ。
罹ってしまえば死は脱がれない、全身がガラス化してしまう、死んでも病状が悪化していき最終的には結晶の塊になってしまう、そんな最悪で不治の病だ。
それにシャンタルが? なんでどうして?
「うん…… そう診断されたわ」
シャンタルはボクと目を合わせようとせず俯いた。
「不治の病じゃないか……」
今のところ治療法はない。
本当に不治の病とされている。
「らしい、わね……」
それをシャンタルは無理に笑いながら、ぎこちない笑みを浮かべながらも認める。
ヴィトリフィエ病に罹ること、それは遠からずに死を意味している。
「そんな、どうして? キミが? どうして……」
訳が分からない。
信じたくない。
変われるものなら変わってやりたい。
なんで、シャンタルが? なんで彼女なんだ?
「ほら、最近、流行っているって……」
目を合わせないでシャンタルはそんなことを言った。
気が動転したボクは強い口調で、
「そんな風邪みたいに! どうしてそんなに落ち着いていられるんだ!」
と、怒ったように言ってしまう。
そんなボクに対してシャンタルは涙を流しながらボクの目を見て、
「これでも、かなり悩んだのよ?」
と、言った。
それで、少しだけ、ほんの少しだけだけど、ボクは冷静になれる。
本人が動揺してないわけない。
彼女だって気丈に振舞ってはいるが、本当はどんな心境かなんて考えるまでもない。
「ご、ごめん、気が動転して……」
ボクはシャンタルに謝る。
シャンタルがどんな気持ちでボクに打ち明けてくれたのか、そんなことも考えずに。
ボクはなんてダメな人間なんだ。
何が一人前だ。
ボクは…… いつまでたっても半人前のままだ。
そうするとシャンタルは服の袖を捲る。
そこには水晶の結晶のように透明な結晶が二の腕から生えていた。
柔らかいはずの二の腕から、硬い結晶がまるで場違いのように、痛々しくも体の一部のように生えているのだ。
「ほら、右手の二の腕を見て? 結晶ができているでしょう? これが人をガラス化させる奇病、ヴィトリフィエ病の病巣だってさ」
透明な、いや、少し緑がかった透明な結晶が、シャンタルの二の腕の深い部分から生えている。
ボクにはそれがとても痛々しいように見える。
「こ、これが病巣なら……」
と、その結晶をボクが触ろうとすると、サッとシャンタルはそれを隠した。
ヴィトリフィエ病がボクにまで感染すると思ったのかもしれない。
ボクはヴィトリフィエ病が人から人へと感染するなんて話は聞いたことがない。
それでも、シャンタルはそれを、彼女にできた結晶を触られることを拒んだ。
ボクにこの病気を移さないように。
「とっても無駄なんですって。病巣といっても、この部分は私が既に死んだ部分。もう取り返しがつかない部分が出て来ただけなんだって…… 体の内部でも、もう進行していて、それがこうやって体外にでてくるの。痛そうでしょう? でも、神経が最初に結晶化しちゃうから痛みもないんだ。私、もう助からないんだって……」
シャンタルは、彼女はそう言って、涙を流しながら、笑顔を作ってそう言った。
「そんな……」
ボクは、呆然とするだけで何もしてやれない。
あまりにもことに、彼女を抱きしめてやることも、この時は出来なかった。
「だからね、婚約の話なかったことにしてくれていいよ」
彼女は無理やり笑顔を作って、泣き声で、声を震わせながらそう言った。
「嫌だ!」
それには、すぐにボクは返事をすることができた。
それだけはどうしても嫌だ。
ボクにはシャンタル、キミしかいないんだ。
「でも、私…… 近いうちに死んじゃうよ?」
そう言って、シャンタルは泣きながらも、少し嬉しそうに笑ってくれた。
「なら、今すぐ結婚しよう。少しでも長く二人の時間を作ろう」
そうだ、それが良い。
今日にでも、今すぐにでも、シャンタルと結婚しよう。
永遠の愛を誓い合おう。
「ありがとう…… でも、結婚はいいよ。色々とめんどくくさいもん」
確かにキミはめんどくさがり屋だったが、こんな時にまでそんなことを言わないでくれよ。
「そんなこと言わないでくれ」
力のない声でボクは、そんなことしか言えない。
もっと気の利いたことも言えただろうに。
「でも、できる限り、メトレスとは一緒にいたいな。私が死ぬまで一緒にいてくれる? メトレス」
シャンタルは、そう言って無理に笑顔を作り笑って見せる。
「当たり前だろ……」
ボクはすぐに、迷わずに、その言葉を返せたことを誇りに思う。
「ありがとう、大好きだよ。メトレス……」
ボクは彼女を優しく抱きしめる。
彼女も遠慮がちにボクを抱きしめる。
ボクは彼女を手放さない。
絶対に手放したりはしない。
どんなことをしてでも、何をしてでも。