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【第二話】人形としての自覚

 私は御主人様であるメトレス様に作られた人形です。

 メトレス様よりプーペという素晴らしい名も頂きました。

 とても光栄なことです。

 私の使命はメトレス様のお世話とお仕事をお手伝いすることです。

 メトレス様はこのグランヴィル市で人形技師をしていらっしゃります。

 メトレス様が所属している工房はディオプ工房です。

 鼻潰れの親方のディオプ工房と言えば、人形生産の聖地であるグランヴィル市でも一位、二位を争う人形工房です。

 親方のシモ様は『鼻潰れの親方』の異名を持つ通り鼻が潰れてしまっています。

 なんでも若い時に事故で潰れてしまったのだとか。

 その名で呼ぶと不機嫌になるそうです。そうメトレス様が仰っておりました。

 でも、今では名工の通り名ともなっているので、シモ様も渋々受け入れていらっしゃられるんだとか。

 メトレス様も自宅にも小さな工房を持っていて、普段はそちらで仕事をしています。

 でも、本格的な炉や窯と言った物を使う、大きな仕事はディオプ工房の方へと出向いて仕事をしているそうです。

 今日もそうです。

 メトレス様はディオプ工房で大きな仕事をなされているようです。

 メトレス様の自宅にはまだ、本格的な炉や窯がないですからね、仕方がないです。

 それらの物は専用の物でかなり高額な物です。その上、場所も取ります。

 あと市の許可がいるようで、金額よりもそちらの方が大変だとメトレス様は仰っていました。

 そんなわけで、私はメトレス様の家に一人取り残されています。

 私の体も大分最適化が進みました。

 まだ完全に軋むような、内部のネールガラスが擦れる音が鳴らなくなったわけではないですが、それもそのうちに鳴らなくなるそうです。

 環境に合わせて、人形内部のネールガラスは最適化と進化を繰り返していくそうです。

 何とも不思議なガラスですね。

 そんなことは置いておいて、この家の留守を預かる身として、できることは何でしょうか。

 考えます。

 まあ、考えるまでもなく掃除くらいです。

 まだ、私に細かな作業を任せるには、実用には足るほど最適化ができていないとのことです。

 メトレス様の話では、私が細かい作業をできる様になるまで、もうしばらく時間が掛かるそうです。

 早くメトレス様のお仕事を手伝えるようになりたいですね。

 そんなわけで今日は仕方なくお掃除をします。

 いいえ、お掃除も立派な仕事です。

 今の私はできるだけ多く動き、私の内部のネールガラスを最適化させることです。

 そうすることで、私の動きは次第に洗練されて行き、精密作業も手伝えるようになるのです。

 早くメトレス様のお仕事を手伝えるようになりたいです。

 それが私の存在意義ですからね。

 メトレス様はお忙しい方ですので、あまりお掃除をなされる暇がありません。

 なので、メトレス様に仕える人形として、私が率先して掃除をしなければなりません。

 まずは高いところの埃取りから始めます。

 力を籠めすぎないように細心の注意を払ってはたきを振るいます。

 一番高いところと言えば天井です。

 埃が舞い落ちますが人形である私には関係がありません。

 埃を吸い込むこともなければ、眼に入ってもどうということもありません。

 私は人形ですからね。

 物を食べるための口も、そもそも必要ないです。

 埃を吸って咳き込むこともないので安心です。

 そういう意味ではメトレス様が居ない今がお掃除のチャンスです。

 しっかり隅々までお掃除をしましょう、そうしましょう。

 天井の埃取りが終わったら次は壁です。

 壁と言っても所狭しと棚が作られ、様々な材料が置かれています。

 そのほとんどは土です。

 それとそれより出来ている生成物です。

 より正確に言うと粘度とそれを焼成したものです。

 さらに言うと、人形の外殻、セラス・ミクシズと呼ばれる特別な陶器とそれを作るための材料達です。

 セラス・ミクシズは陶器の一種です。割れにくく滑らかで白く、とても肌触りが良いのが特徴です。

 磁器と比べても滑らかで衝撃にもかなり強いです。

 それでも主原料は粘土なので、やはり陶器という事だそうです。

 粘土自体が特別な物という話ですが、人形技師としてのメトレス様の技術が凄いのでしょう。

 そうに違いありません。

 さて、次は床掃除ですね。

 箒で埃やゴミをまとめて掬い取ります。

 私には影響ないですが、メトレス様にはこれらの物は悪影響です。

 病気の元です。

 病気は良くありません。

 だから、掃除はしっかりとしないといけません。

 お掃除が終わったら……

 お料理をと思いましたが、まだお料理を作ることは私には許可されてません。

 火を使ったり刃物を扱ったりで危険だそうです。

 火はともかく、刃物は私を害せるものではないのであまり関係ない気がするのですが、メトレス様の命令です。

 仕方ないですね。

 なら次はお洗濯です。

 今日は天気も良いのですぐに乾いてくれます。

 でも、メトレス様の服を洗うときは要注意ですね。

 人形の私は力がとても強いので、すぐ布を破いてしまいます。

 細心の注意を払い、頑固な汚れがついていても優しく洗わねばなりません。

 洗濯のために地下水道から水を組み上げます。

 グランヴィル市には、井戸はなく深く掘っても地下水は出てきません。

 なので、近くの川から水を流し入れた地下水道がグランヴィル市全体の地下に張り巡らされています。

 そっから水を汲み上げます。

 井戸とそれほど変わりませんが、元は川の水なので水質は悪いですね。

 そのままメトレス様にお出しすることもできませんね。

 私も早く火の扱いができる許可を頂けるようにならないといけません。

 地下水道から水を汲み、メトレス様のお召し物を洗濯します。

 お召し物、などと言いましたが、ただの作業着なのですけれどもね。

 特に汚れが酷いものは動物の脂肪と灰から作られた石鹸で丁寧に洗います。

 メトレス様の作業服は、ネールガラスの調整に油も使われるので油汚れがなにかと多いのです。

 それ以外の洗い物は木の灰を水に浸して作る灰汁で洗います。

 メトレス様は私が洗濯して差し上げないと、いつまでたっても同じ作業着でお仕事をされるので困ったものです。

 私には鼻がないので匂いを嗅げませんが、どんな匂いがするのでしょうか。

 やっぱり臭いのでしょうか。

 臭いとはどういったものなのでしょうか。

 人形である私にはわかりません。

 ただ、メトレス様の匂いなら、一度で良いので嗅いでみたいものです。

 声を聴くことはできるのですから、出来ないのでしょうか?

 それも私にはよくわかりません。

 さあ、洗った服を濯ぎましょう。

 石鹸の残りがないように。

 灰汁の残りがないように。

 濯ぎましょう。濯いだら絞って干しましょう。

 絞りすぎには要注意です。

 メトレス様の作業着を既に一着、雑巾にしてしまいましたから。

 力加減もいい加減に覚えていきませんと。

 そうしたら、日の当たる場所でしっかりと干しましょう。

 今日は風もあるのですぐに乾いてくれます。

 本当にいい天気です。

 干し終わったら、メトレス様の帰りを待ちましょう。

 きっとお疲れで帰ってきます。

 なら、お風呂を沸かしておいた方が良いのでしょうか?

 でも、私には火の扱いが許されておりません。

 後、私があの人のために、メトレス様のために出来ることは何でしょうか?

 それも考えましょう。

 一人の時間はまだまだあります。

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