俺が生徒会に入って、華村生徒会長とお茶をしたその日の夜。食堂の今日のメニューはハンバーグ定食だった。しんたもサッカー部に入部し、この三日間楽しそうに部活であったことを話してくれる。それを聞くのが俺の密かな楽しみでもあった。
今はご飯を食べつつ、俺は興奮気味なしんたの話を聞く。
「そんでさー、部長がすっごいひとで! 足が速くて、身長あるのに小回りが利いてさ、シュートのキレも抜群! さっすがエース背負ってるだけあるよ」
「部長に憧れてるんだな、楽しそうで良かったよ」
「お前もあの神業見たら俺みたいな反応になるって! そういう真翔はどうなんだよ、生徒会。今日顔合わせしたんだろ?」
「あぁ、うん。でも生徒会長以外は誰も居なくてさ……会長と生徒会室でお茶して帰ってきたよ」
「生徒会室でお茶!? 何だそれ、面白いな~」
「美味しいアールグレイの紅茶と、会長が持ってきてたクッキーで優雅にお茶した。まさか生徒会に入ったその日に会長とお茶することになるとは思わなかったけどさ」
「そりゃ誰も思わんよな……」
「でも、楽しかったよ。そうだ、入って早々会計任された」
「へぇ、また何で」
「たまたま空席だからなってくれないか、って頼まれて」
しんたは「ふーん」と言いながら、ご飯をひと口。俺も箸で切り分けたハンバーグを口の中に放った。
「お前、頼まれたら断れない性格なのかなーって何となく思ってたけど。ま、先輩でしかも生徒会長相手じゃ断れないか。しかも見た感じ我が強そうだったし……」
「しんたは生徒会長のこと知ってるの?」
「はぁ? お前入学式……、は途中で抜けたんだったな。どこで真翔が保健室行ったかは忘れたけど、在校生の答辞が生徒会長からの挨拶だったんだよ。その時に見た」
「んー、なんかぼんやり覚えてるような、そうじゃないような……」
「具合悪かったんだから覚えてるわけないよなぁ。俺でも具合悪い状態で入学式されても登壇したひとの顔なんか覚えられないし!」
からからと彼は笑ってから、茶碗に残っていたご飯をかき込み、味噌汁を飲み干した。
「ごちそーさまでした! じゃ、俺新田のところ行ってくるわ」
「食べるの早っ!? 風呂は?」
「今日は新田と行こうかなーって。先寝てていいから! それじゃ!」
「新田に迷惑かけるなよー?」
食堂の椅子から立ち上がって食器の乗っているトレーを持ち、しんたは行ってしまった。新田というのは、俺としんたと同じクラスで、彼と同じサッカー部に入った共通の友人だ。ここ最近はしんたと特に仲が良いみたいで、しんたは頻繁に新田の部屋に行っている。
「俺がもし同じ部活に入ってたら、しんたや新田と同じ話題で話せたのかなぁ……」
今更後悔しても遅いが、運動は得意では無いので生徒会に入れただけでもラッキーだと思おう。
そこで、ご飯の乗ったトレーを持って、周りをキョロキョロと見回している雄馬先輩の姿を見つけた。
「雄馬先輩ー! こっち!」
「あれっ、真翔?」
座っている椅子から腰を持ち上げて、雄馬先輩に聞こえるように大声で彼の名前を呼ぶ。すると、こちらに気づいた雄馬先輩が俺の近くに来ながら不思議そうに俺の名前を呼んだ。
「どうしたの? 大声上げるキャラだっけ」
「いえ、座る場所探してるみたいだったので……一緒にどうですか?」
「ありがと、じゃあここで食べよっかな」
今日の食堂はなかなかに混みあっていた。俺もしんたと食堂に来た時は席がほぼ満席で、探しに探してやっと二人分の席を確保したくらいに。
雄馬先輩は俺の横の席に腰を下ろし、「いただきます」と手を合わせてから味噌汁をすすった。味噌汁のお椀を置いて、箸でハンバーグを切り分けて、ご飯の盛ってあるお茶碗を左手に持ってから、おかずをひと口食べる。
「ん、美味しいじゃん。俺好きなんだよねぇ、ハンバーグ」
「俺も好きです。サバの味噌煮の次に」
「うわ、食の好みおじいちゃんみたい」
「サバの味噌煮をバカにしないでください! 栄養満点だし、鯖は痩せやすい魚で有名なんですから!」
「分かった分かった、落ち着きなよ。俺が悪かったって」
「分かればいいんですっ! もう……」
不貞腐れたようにぷいっと顔を背けた俺に、雄馬先輩は「ごめんってばー」と明るく謝ってくる。そんな反応さえ嫌味にならない先輩の明るさが、少し羨ましくなった。
それからはお互い何も言わずに、俺は切り分けたハンバーグの最後のひと口を口に放って、残りのご飯を一粒残さず食べてから、お味噌汁の入ったお椀を手に取ったところで、雄馬先輩が申し訳なさそうに俺の名前を呼んだ。
「真翔」
「はい?」
「食の好みは人それぞれなんだから、おじいちゃんみたいは言いすぎた、本当にごめんね。だから機嫌直してよ」
「え、いや……俺別に怒ってないですけど……」
「だって何も言わないで次々食べてるし、もう完食しちゃいそうだったから怒ってるのかなーって思って……怒ってないなら安心したけどさ」
「雄馬先輩……」
俺の何気ない行動が雄馬先輩に誤解を与えていたと思うと、俺のほうが申し訳なくなってくる。
「すみません、今日は食堂が混んでる日なので早く食べて風呂入って部屋に戻ろうと思っただけなんです。誤解させてしまってごめんなさい」
「そういうことかぁ、なるほどね。そうだ真翔、お風呂の後に俺の部屋に来ない?」
「えっ、先輩の部屋……ですか?」
「うん、見せたいものがある……というか、真翔になら見せてもいいかなって思って。空いてる席教えてくれたお礼にさ」
「でも……俺が行ってもいいんですか?」
「真翔だから言ってるの。見せたいものは大したものじゃないんだけどね。それでも良かったら来て欲しいなぁ、って」
「先輩がいいなら、お邪魔しようかな」
「うん。そうと決まったら俺も早くご飯食べちゃおうっと」
雄馬先輩は楽しそうにそう言ってから、急いでご飯を口に入れていく。それを何となく見つつ、誤解が解けて良かったと俺は心から思った。俺は残りのお味噌汁を飲み干してから、「部屋に戻って着替え準備したらすぐにお風呂入っちゃいますね」と告げて、席を立った。
「俺の部屋、三階の一番奥の308号室ね。俺も風呂に入りたいから、21時くらいに来てくれれば部屋に居ると思うから」
「分かりました。じゃあ、また後で」
今は20時を少し過ぎた頃。約束の時間まで一時間も無いので、俺は急ぎ足で部屋に戻り、着替えを用意してから早足で大浴場に向かった。
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大浴場もなかなかに混んでいて、あまりゆっくりは出来なかった。こういう時に部屋にシャワー室でもあればいいのにな、と俺は思った。
雄馬先輩が指定した21時。俺は今、先輩の部屋だという308号室の前に居た。本当にいいのかな、と思うが、本人が良いと言っているんだ。きっと大丈夫だろう。
俺は扉をコンコンと二回ノックした。そして、中に居る雄馬先輩が「どうぞー」と返事をしたので、ゆっくりと扉を開けて中に入る。
「いらっしゃい、真翔」
「お邪魔します……あれ、同室のひとは居ないんですか?」
「春休み前に転校して行ったから今は俺ひとりだよ。そのうち誰かしら同室になるんじゃないかな……だから遠慮しないでいいよ。床は散らかってるからベッドにでも座って」
「散らかってはいないとは思うんですけど……何ですかこれ、沢山ある……絵、ですか?」
雄馬先輩の部屋はほんのり絵の具の匂いがしていて、床にはキャンバスとスケッチブックが沢山置かれていた。物珍しさでそれらを見つめながら、俺は言われた通りに雄馬先輩がいつも使っているベッドに腰掛ける。
「こっちのイーゼルに掛けてあるのはまだ未完成なんだけど、我ながら上手く行きそうでさ。今度の絵のコンクールに出す予定なんだよね」
「へぇ……すごいなぁ。あ、俺この向日葵の絵好きかも」
「それは失敗作。花びらの色の濃いところに茶色入れたら、その茶色が思ったより濃すぎて……直すに直せなくてお蔵入り」
「こんなに繊細で色も綺麗なのに勿体ないですよ。そうだ、俺が貰ってもいいですか?」
「そんなに気に入ってくれるとは思わなかったなぁ……いいよ、持って行っても」
「本当ですか!? しんたに許可貰って部屋に飾らせて貰おうっと」
「しんた……?」
「木高です。この前大浴場の前で握手してたじゃないですか」
「あぁ、あの短髪の如何にも運動部、って感じの子か。俺、興味のない子にはとことん興味ないからすっかり忘れてたよ」
「でも、俺のことはずっと覚えててくれてますよね?」
「それは俺が真翔に興味があるからさ。初めて会った時の真翔ったら、焦って逃げちゃったけど、それがなかなかかわいくて……ふふっ」
あの日のことを思い出しているのか、雄馬先輩は楽しそうに笑った。確かに、あの質問攻めに耐えきれず逃げ出したけど、それからそんなに日にちは経っていないのに、こんなに普通に話すことが出来ている現状が不思議でしょうがなかった。入学式を途中で抜け出して、保健室に向かう道中で迷子になって、そこで二回目の雄馬先輩との出会い。看病をしてくれている中での、何気ない会話。
その会話の内容を思い出していると、雄馬先輩は控えめに咳払いをして、俺に向き直った。
「……俺さ、将来は画家になりたいんだ」
「えっ、でも……先輩の家って医者の家系じゃ……」
「保健室での時も言ったと思うけど、俺の道は俺が決めたいんだ。親がどうとか、兄がどうとかじゃなくて……そもそも、医者になるつもりなんて毛頭無いからさ。親には悪いけど」
「雄馬先輩って、卒業したらどうするんですか? 就職?」
「ううん、絵の専門に行きたいって思ってる。去年の夏休みに帰省した時に親には大反対されたけど、諦めたくないよねぇ。説得するのは一筋縄じゃいかなさそうだけど……ほんっと、アルバイトさえ出来れば一番手っ取り早いのにねぇ?」
「そっか、余程の理由がない限りアルバイト禁止って生徒手帳に書いてたかも」
「あーあ、一回就職しなきゃいけないのかなぁ。専門はお金が貯まってから行くしか俺に選択肢なさそうだし」
「でも俺、雄馬先輩の夢応援したいです! こんなに素敵な絵を描くんだもん、将来の夢がが鮮明にあるところも憧れるし……何より、絵の話をしている時の先輩楽しそうだから」
失敗作だという、先輩から貰った向日葵の絵。どこを失敗した、だとか、イーゼルに立て掛けられた描いている途中の絵の話をしている時の雄馬先輩の瞳はキラキラしていて、将来像が何にもない俺にとってはその姿がとても眩しかった。
「楽しいよ。絵を描いてる時が一番俺らしく居られる気がするからねぇ。でも、こんなナリした奴が絵描いてるなんて変だよね」
「ぜんっぜん! 変じゃないです! 絵を描くのに容姿なんて関係ありませんし……」
「キミは……俺の隠してた趣味に対してそう言ってくれるんだね、そっか……」
「隠すには勿体ないくらいの才能ですよ……そうだ、先輩が絵を描いているところ見てみたいです」
「えっ? いいけど……スケッチブックに落書きでもいいなら」
「はい、お願いします!」
俺の提案に意外そうに雄馬先輩は目を丸くしてから、床に置いてあったスケッチブックをひとつ拾い上げて、ページを捲った。
「真翔、被写体になってくれる?」
「お、俺ですか!? でも……」
「前から描いてみたいって思ってたんだよねぇ。そのまま座ってリラックスしてていいからさ。ね、お願い」
「分かりました……ええと、緊張するな」
「あっはは! ちょっと笑ってこっち見るのもいいかもしれないなぁ。うーん、腕が鳴るよねぇ!」
先輩は楽しそうに笑いながら、透明なペンケースに入れていた見るからに先がカッターで削られている鉛筆を取り出してから、俺の横に座った。間もなくして、カリカリと鉛筆と紙が擦られる音がする。
しばらく雄馬先輩の真剣な眼差しを眺め、綺麗な顔をしているなぁと思っていると、彼は満足そうに笑って「出来たよ」、と言ってスケッチブックをこちらに向けた。
「……わぁ! すごい!」
「ラフ画だけどね。でも、特徴は掴んでると思うよ」
鉛筆で濃淡が付けられたモノクロのその絵は、誰が見ても『柿崎真翔』そのものだった。少し緊張気味な表情でこちらを真っ直ぐと見ている、俺の姿……雄馬先輩には俺はこうやって見えているんだと思うと、なんだか擽ったい気持ちになった。
「あー、楽しかった! やっぱり絵は良いよ、元々は暇つぶしで始めたけどさ……いつの間にかこうやって趣味になるんだから、何事もやってみなくちゃ分からないよねぇ」
「何事も、やってみなくちゃ分からない……、か」
「どうしたの?」
「いや、何でもないです……」
「そういえば、風の噂で聞いたんだけど……生徒会に入ったって本当?」
「はい、本当ですよ。願書出して早々演説ですぐに生徒会入りになったのは驚きましたけど……普通はもっとちゃんと準備してからやるものだと思ってたので尚更驚きました」
「あぁ、うちの学校の生徒会って人手不足らしいからねぇ。三年生は生徒会長の座を華村グループの御曹司様に譲ってから、すぐに生徒会自体を辞めたらしいし……少しでも早く新しい人材が欲しかったんでしょ」
生徒会の内部事情は把握しているようだったが、雄馬先輩の口ぶりは心底どうでも良さそうだった。それに、華村生徒会長のことを『華村グループの御曹司様』と呼んでいることに違和感を覚えた。まぁ、触れない方がいいだろう。
なんて考えながら、何となく視線を逸らすと、床に積まれているスケッチブックの山を見つけた。
「スケッチブックが沢山ある……ずっと絵を描いているんですね」
「絵を始めたのは中二の時だけど、ほぼ毎日描いてたから、いつの間にやらこんなに溜まってたって感じなんだけどね。捨てるに捨てられなくて困ってる」
「将来使うかもしれませんね。原画展、的な……」
「えぇ? 使うかなぁ……ひとに見せられるクオリティじゃないからなぁ」
少し気恥しそうに雄馬先輩は笑って、壁に掛けられている時計に目をやって「あっ!」と声を上げた。
「真翔、そろそろ寝ないと……23時過ぎてる」
「あれ!? いつの間に……じゃあ、俺はこれで」
「うん、またね」
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。俺は雄馬先輩の意外な趣味を教えて貰えて、心の中が暖かい感情で満たされていく感覚と共に、自室に戻った。