寮での荷物の荷解きも終わり、自分のスペースに持ってきた物を置いて、俺としんたの同室生活が始まった。春休み明けの月曜日は入学式とオリエンテーションのみで授業は無かったが、火曜日から金曜日までの4日間は普通に授業があった。高校生になって初めての授業は平均的な成績の俺にとっては着いて行くのが大変だったが、なかなかにやりがいがあって楽しかった。
今日は土曜日。食堂で夕食を済ませて、部屋の引き出しにしまってあった下着と部屋着を持って大浴場に行こうとしたところで、部屋の扉が開いた。
「ただいまー」
「しんた、こんな遅くまで何やってたんだよ」
「いや、ちょっとな……同じクラスの新田居るだろ? そいつのところで5人集まってトランプやっててさ」
「へぇ、トランプかぁ……何やったんだ?」
「ババ抜きを7回戦。ついでに俺は全敗」
「うわ、トランプで全敗する奴初めて見た」
「貴重だろ~? 拝んで讃えてくれてもいいんだぜ」
「全敗の奴を奉るのは嫌だよ……そうだ、今から風呂行くんだけどお前も一緒にどう?」
「あっ、行く~! 背中流し合おうな!」
「遠慮しとく」
「真翔、最近連れねぇよな……最初は可愛げあったのにさ?」
「お前が何言ってるのか俺にはさっぱり分からんけど……飯は?」
「購買でパン買って新田たちと食ったから大丈夫」
「じゃ、風呂行こっか」
時刻は20時を少し過ぎた頃。空いているかどうか分からない時間帯だが、ベッドの上に寝転がって本を読んでいたらいつの間にかこんな時間になっていたんだ。仕方ない。
準備を終えたしんたと共に一階に降りて大浴場の脱衣場に入ろうとしたところで、中から出てきたひととぶつかってしまった。その弾みで転びそうになったところを、そのひとは咄嗟に俺の腕を掴む。
「ごめん、前見てなかっ……って、真翔?」
「ぅえ……?」
「やっぱり真翔だ! 寮で会うのは初めてだよね」
「雄馬先輩! お久しぶりです」
「ほんとに久しぶりだねぇ! 入学式の日以来かな」
久しぶりに見た雄馬先輩は、お風呂上がりなのもあって髪の毛が少し濡れていて、顔がほんのり火照って赤くなっていた。初めて見る先輩の部屋着姿も新鮮で、俺は物珍しさにまじまじと見てしまう。
俺が転ばないように腕を掴んでくれた雄馬先輩に「ありがとうございます」と告げれば、その手はすぐに離れていった。
そこで、怪訝そうに俺たちを見つめるしんたに気がついた。
「……真翔? このひとは?」
「あぁ……えっと、二年生の唯希雄馬先輩。ほら、入学式の日に保健室に連れて行ってくれた……」
「あー、例の先輩か。初めまして、俺は木高晋太郎っていいます」
「うん、よろしくね木高くん」
雄馬先輩は貼り付けたような笑顔でにっこりと笑って、しんたと握手をする。その目は笑っていなかったのが少し怖くもあった。
「そうだ、二人ともお風呂に入りに来たんだよね。中、空いてたから今のうちだよ」
「ありがとうございます! 行こうか、しんた」
「おう」
「じゃあ雄馬先輩、また!」
「うん。行ってらっしゃい、真翔」
今度は自然な笑みで送り出してくれたが、先程のしんたに対しての反応は一体何だったんだろう 。不思議に思うも、去っていく雄馬先輩の背中を見つめるが、しんたに「真翔ー?」と呼ばれてしまったので、俺は「今行く」と短く返事をしてから彼の後を追った。
**
雄馬先輩が言っていた通り、大浴場の中は空いていた。ざっと見た感じ10人居るか居ないかで、入学してから初めて狭い思いをせずにお風呂に入れた。
入浴後、しんたと部屋に戻ってから、俺はベッドにダイブした。
「俺の布団~!」
「真翔……髪まだ濡れてるぞー」
「自然乾燥……」
「ダメだって、風邪引くだろ。乾かしてやるからこっち来いよ」
「おっ、やった! しんた様大好きー!」
「はいはい……」
実家暮らしの時は髪は乾かさずに自然乾燥で乾かしていたので、その癖が出てきてしまっている。寮では大浴場の脱衣場である程度乾かしてから部屋に戻るようにしていたのだが、今日はちょっと面倒くさくて生乾きのまま部屋に戻ってきてしまった。
それを見兼ねたしんたが自前のドライヤーを引き出しから取り出しているのを眺めつつ、俺はしんたの居るベッドの前の床に座った。程なくして、生ぬるい風が髪の毛に触れる感覚がする。
「まったく……今までは乾かしてから部屋に戻ってただろ?」
「いやぁ、面倒くさくてさ……あと、ドライヤーって音がうるさくて好きじゃないんだよな」
「好き嫌いの問題じゃないだろ、濡れたままだとマジで風邪引くから気をつけろよなー」
「はーい」
耳が擽ったいな、と思いながら目を瞑ってドライヤーの風にひたすら耐えていると、スイッチを切る音がしたので俺は彼の方を向いた。
「終わったか……?」
「うん、終わった。ていうか、ほんとにドライヤー苦手なんだな……お前、目瞑ってただろ」
「なんで分かったの!?」
「微動だにしないから、そうなのかなって思っただけ! ほれ、お礼は?」
「ありがとうございました!」
「はいよく出来ました」
「……って、子供扱いするなよ」
くだらないことではしゃいで、こうやって話すことが出来る友達との時間が、俺は大好きだった。改めて、同室がしんたで良かった。
「そういえばさ、真翔」
「なに?」
「部活決めたか? 期限明後日までだぞ」
「あー……」
正直、考えたくなくて忘れようとしていたことだった。運動部が盛んなこの男子校で、運動が特別得意では無い自分が所属しても部の迷惑になるだろう、というのが俺の考えだった。文化部も同じく、だ。しかし、部活動は必須。そのことでうんうん唸っていると、しんたが何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ、まだ決まってないなら生徒会に入れば?」
「生徒会かぁ……」
「確か担任が生徒会は部活免除って言ってたような気がするし……」
「そうだっけ?」
「そうだよ。先生の話はちゃんと聞いとけよ~?」
「あはは……だって運動部の多さにびっくりしちゃってさ」
「それは言い訳だろ?」
どう返してもツッコまれてしまうのは目に見えているので、俺はこれ以上は何も言えなくなる。それを見たしんたは「あっははは!」と軽快に笑って俺の頭を乱雑に撫でてきた。
「なっ!? 何するの!?」
「考えるな、感じろって言うだろ? 生徒会、入るだけ入ってみろって! 案外向いてるかもよ」
「うん……考えとく」
「それで良い」
わしゃわしゃと頭を撫でくりまわしてくるしんたに「ボサボサになるからもうやめて!」と訴えれば、彼は「ごめんごめん」とはにかんでから、俺の頭に乗せた自分の手を離した。
「さて、もう寝るか」
「そうだね」
時刻を見れば、もう23時を回っていた。明日は日曜日だが、食堂の開く時間を考えるともう寝なくてはならない。何より、生活リズムを崩したら学校生活に影響が出てしまう。
俺は布団に潜りながらそう思い、枕に頭を乗せた。
「電気消すぞー!」
「うん」
俺の返事を聞いてから、しんたは出入口の扉の横にある電気のスイッチをオフにした。それから少しして、彼が布団に潜る音がした。
「おやすみ、しんた」
「おう、おやすみ真翔」
**
日にちは過ぎて月曜日、学校の日だ。今日までに部活動を決めなければいけないが、俺はしんたの勧めもあり、生徒会に入ることにした。先生には「水曜日に全校集会で演説があるので頑張ってね」と言われたが、流石に早すぎやしないか、とちょっと文句を言いたくなった。
それから二日後の全校集会。立候補者は俺を含めて三人。それぞれが全生徒の前で演説をし、それから教室に戻り投票をする流れだ。
ネクタイの色からして、俺を含めた立候補者は全員一年生。立候補者の顔のよく似た二人はどの役職に着きたいのかな、と考えていると、ふたりが同時に俺の方を見た。そして、キッと睨みつけられる。
「な、何……」
「会長と一緒に活動するのはボクたちだからねっ! 地味顔のあんたなんかに負けないんだから!」
「地味顔!?」
「ルイったら言い過ぎ! まぁ、華村会長の隣は譲らないけどっ!」
どうやらふたりは、華村生徒会長の信者のようだった。部活動か免除されるからという理由で生徒会役員に立候補した俺なんかと違って、このふたりは目的があるんだと思うと……少し、自分が情けなくなった。
演説と投票が終わり、その日のうちに投票結果が廊下に張り出されていた。結果は、全員当選。投票数は俺が少しだけ多かった。
今日は水曜日、授業が終わった放課後。初めての生徒会の集会でどんなひと達が居るんだろう、という緊張から生徒会室の前で俺はドキドキする胸を抑えて、意を決して扉をノックしてからドアを開けた。そこには、青年がひとり丈夫そうな茶色い椅子に座っていた。
「やぁ、待っていたよ。僕は生徒会長の華村慧。この度は当選おめでとう。そして、生徒会へようこそ」
「あっ、あっ! あのっ、柿崎真翔です! よ、よろしくお願いします!」
「そんなに緊張しなくてもいいよ。リラックスして? とりあえずお茶でも淹れようか」
「いえっ、あのっ……おかまい、なく……」
「座って待っていてね」
「は、はい……」
やはり俺は、初対面のひとを前にすると声がどもってしまう。でも、それを気にした様子の無い華村生徒会長の対応に安心している自分がいた。とりあえず近くの椅子に座って会長の様子を眺めることにした。
生徒会長は生徒会室にある戸棚からティーカップと小さな缶を手に取り、台の上にあるポットに缶の中身とお湯を入れて蒸らしてから、ティーカップにそれを淹れていく。
「どうぞ、紅茶で悪いね」
「いえっ! 俺紅茶好きなので! い、いただきます……」
「お茶菓子もあるよ?」
「いやっ、結構です……」
「僕が食べたいから出すね。柿崎くんも付き合ってくれると嬉しいんだけどな」
「あ、じゃあいただきます……すみません、俺がやるべきなのに全部会長にやってもらっちゃって」
「僕が好きでやっていることだからいいよ、遠慮はしないでね。これから共に活動をする仲間なんだから」
「はい……ありがとう、ございます」
しどろもどろながらもお礼を言うと、会長はふわりと微笑んで棚から大きい四角い缶を取り出して、自分の分の紅茶も一緒に持って俺の隣に座った。
「これは僕の家から持ってきたものでね。頂きものなんだけど、これがなかなか紅茶と合って美味しくて。自分でも買いに行くくらいには気に入っているんだ」
「へぇ……」
「だから味は保証するよ。食べてごらん?」
会長はそう言いながら缶の蓋を開けて、中に入っているクッキーをひとつ摘むと、俺のほうに差し出してくる。
「おすすめはこのピスタチオのやつかな。はい、口開けて」
「あーん……むぐ、」
されるがままにあーんと口を開けて、その中に放られた一口サイズのクッキーをむぐむぐと咀嚼する。ピスタチオの香ばしい香りと、ほろほろのクッキーが口の中で蕩けて、なかなかにクセになりそうな感じだった。
「美味しい……!」
「紅茶ともよく合うよ。アールグレイにしたけど大丈夫だったかな?」
「……本当だ、この紅茶の為に作ったみたいなクッキーですね。あ、アールグレイは大好きです! ありがとうございます」
「お気に召したようで安心したよ。さて、僕も食べようかな」
「ところで、他の皆さんは……?」
「しばらくしたら来るんじゃないかな。そうだ、柿崎くんの役職なのだけど」
「はい」
「会計が丁度空席でね、だから会計を任せたいんだ。了承してくれると嬉しいのだけど」
「え、下っ端じゃなくていきなり役職ですか? 俺に出来るかな……」
「慣れるまで僕たち生徒会メンバーがサポートするよ。だから、分からないことがあったら気軽に聞いてね」
「じゃあ……やってみます、会計」
「ふふ、そう言ってくれて助かるよ。ありがとう」
会長は嬉しそうに微笑んでから、ティーカップを手に取って紅茶をひと口飲む。綺麗に笑うひとだな、と俺は胸の中で思った。紅茶を飲む仕草さえも華麗で、品があるというか……。
「ん? どうしたの柿崎くん、僕の顔に何かついてる?」
「いえ! ただ、仕草が綺麗だな、と思って見てただけで……すみません、迷惑でしたよね」
「迷惑なんかじゃないよ。仕草は小さい頃から大人にこうしろ、ああしろって教育を受けていたから、多分それじゃないかな」
「教育?」
「言っていなかったね。僕の家はそこそこ大きくて……華村グループって聞いたことないかな? 僕はそこの一人息子なんだ」
「えっ、あの高級ホテルの華村ホテルや飲食店のチェーン店が全国にあるっていう華村グループ……?」
「うん、その華村グループ」
「実家、お金持ちだったんですね……でも、どうしてこの学校に? 少し距離はありますけど、確かエリートが通う高校ありましたよね?」
「硬っ苦しいのは苦手なんだ。それに比べて、ここだと自由に紅茶も飲めるし、お茶菓子も食べられるから。まぁ、ここに入学した理由は一般的な感覚を養う意味もあるんだけどね」
「会長も大変なんですね」
「あと、最大の理由は寮暮らしに憧れていたから、かな」
「ふふっ、それが本音なんですね」
会長の本音がなかなか可愛い理由で、俺はつい笑ってしまう。それを見た会長は驚いたように目を見開いたが、すぐに先程までの優しい笑みを浮かべた。
「……親元を離れて暮らすのも、教育の一貫だからね。僕自身は楽しいからいいのだけど」
「会長の部屋って俺と同じで相部屋なんですか?」
「いいや? 一人部屋だよ。生徒会長の特権なんだ」
「へぇ、いいなぁ」
「柿崎くんは相部屋に不満でもあるのかい?」
「特に不満は無いですけど……同室が入学式の日に初めて出来た友達なんですけど、話しやすいし面倒見が良くて、いつも助けられてます」
「仲良しなんだね」
「はい! 俺の自慢の友達です」
俺の返事に、複雑そうな雰囲気を纏いながら微笑む会長の心境は、俺にはいつまで経っても理解できないだろう。
俺と会長は他の生徒会のメンバーを待つ為にお茶をしながら待っていたが、完全下校のチャイムが鳴ってしまった。
「結局誰も来なかったね。まぁ、今日のところは柿崎くんと親睦を深める為のお茶会だと思えばいいかもしれないね。生徒会室にはいつでも出入り出来るから、何かあったらここを使うといい」
「ありがとうございます。紅茶とクッキー、ご馳走様でした」
「またお茶会しようね」
「はい!」
他のメンバーと顔合わせが出来なかったのは悔やまれるが、華村会長と優雅で楽しいひと時を過ごせて、心の中を満たす幸福感を感じながら、俺は生徒会室を後にして寮へと戻った。
「柿崎真翔くんかぁ……面白い子だったなぁ。これから楽しくなりそうだね」