「ううん……」
「なにかしら?」
翌日。俺は自宅から自転車を走らせ駅まで行き、駅から電車に乗って鈴羽との合流地点まで来た。そして、鈴羽と合流し———。
「世那の時も思ったが、寒くないっすか?脚……?」
俺は鈴羽の恰好をまじまじと見て———、心配してしまう。今日も完璧にキメている鈴羽はそのすらり、と長い脚を黒くて薄いストッキング?に包み、ミニスカートでその足を見せつけている。ちなみに上はもこもことして暖かそうだ、こっちは見ていて安心ができるのだが。
「?寒いわよ?当たり前に」
「……ウニクロ行く?」
「嫌よ、このコーデが一番かわいいのだから」
ふんす、そうやって胸を張る鈴羽は確かに最高に可愛い。可愛い、可愛いけど……。
「これは俺の精神年齢が思わせてるのか……」
見ている俺まで寒くなるとはまさにこのこと。というか、鈴羽は凄い可愛いのだからこんな可愛い恰好したら変な男が寄って来てしまうのではないか……。俺がどこ目線か分からない心配をしていれば、鈴羽が俺のコートの袖を引っ張り、上目目線で見上げてくる。
「寒いから、早く行きましょう?」
「は、はい……」
ぐうかわ。思わず俺の口から飛び出る敬語、だけど気にすることなく鈴羽は俺のコートの裾を掴んだまま歩き出すのだった。え、おててちっちゃ……。
そうして、俺たちは最寄りのヨネダ珈琲に入店する。店内はさほど混んでおらず、俺たちは2人用の席に通されれば、その特徴的な赤いソファに腰かける。ふかふかのソファに腰を落ち着けてからそれぞれの端末で注文用のQRコードを読み込み、メニューを見る。
「……毎回思うのだけれど、メニュー見るだけなら2、3品食べれる気がするのよね……」
「はは、絶対に食えないからな」
「分かってるわ。私、ユキデニッシュ1人前食べきれないもの」
そう、ヨネダ珈琲の食事はもれなくどれもこれも大きい。逆・メニュー表示詐欺だ。俺みたいな若い成人男性ならそれでも食いきれなくはないのだが……、鈴羽みたいに小柄な女性だときつそうだよなあ。
「ユキデニッシュだけだと口の中が甘くなるわね……でも、ハーフサイズを食べきるのがやっとなのよね……」
真剣に悩んでいる鈴羽の様子に可愛いモノを感じながら俺はメニューを見て提案する。
「じゃあ、ハーフユキデニッシュを俺と更に半分こして、ハーフカツサンドとか頼まないか?」
「……隼人が足りなくならないかしら、それ」
「まあ、足りなかったら追加するわ。ちなみにカツサンドじゃなくてもフライドポテトとかでもいいけど」
「いえ……、じゃあ、カツサンドにしましょう。ありがとう、隼人」
そう微笑む鈴羽に胸の内が温かくなる。そうして、俺と鈴羽はそれぞれ端末から注文を飛ばして一息つく。
「さて、大体はLEINで話したとおりなんだが」
「ええ、大体は聞いたわ。でも、それはそれとして今日話したいことがあるのでしょう?」
「ああ、それなんだが……」
俺は落ち着きなくお冷を触ってはおしぼりで手を拭く。
「……俺の秋都としての未練って大体3つあったんだけど」
「未練?」
「未練。主に、妹のこと、誰の記憶にも残れなかったこと、VTuberを続けられなかったこと、だな」
俺は指を三本たててからそれを包み込むように手をぎゅ、と握った。
「今回のことで妹は今幸せで、良い人生を歩んでいることを知れただろ?んで、秋城は鈴羽の人生に影響を与えるぐらい記憶に残っていて。んで、今秋城としてVTuberを続けてる」
俺がそう言うと、鈴羽は自分の掌を見て3本指をたてる。
「いや、人生の目標が消えた、とかやりたいことがなくなったとかではないんだが……なんだろうな、俺の体の半分が満足、というか、満たされてるというか……なんか不思議な感覚なんだよな」
俺がそこまで言えば、配膳ロボットによって頼んだ商品が運ばれてくる。俺と鈴羽は配膳ロボットからハーフ信玄餅ユキデニッシュとハーフカツサンド、ミルクセーキにコーラフロートを受け取ってから改めて席に着く。
「それって、……成仏って言わないかしら?」
そうして、俺がストローの紙袋を開けていると鈴羽が問いかけてくる。
「成仏……なんかな。でも、別に俺は記憶が消えたり、人格が変わったりはしてない……と思う、ぞ……?」
いや、してない筈。
「してないわね。変わらず、私の知ってる隼人って感じだもの」
「よかった。知らないところで俺が変異してたらと思うとちょっとゾッとしたわ」
コーラフロートからアイスを掬って口に運ぶ。うん、冷たい。寒い日に頼むものではなかったかもしれないが、この店、コーラこれしかないんだよな。
「やっと、秋都としての人生を満足した、ってことなのか……?いや、それでなにかが変わったりはしないが……うん」
ストローをずぽっとコーラに沈めてコーラを啜れば甘い味が口の中に広がる。
「でも、秋都であることを辞める気はないが。うん、隼人としての人生が走り出せる気がするわ」
「隼人としての人生?」
鈴羽が信玄餅ユキデニッシュを切り分けながら聞いてくる。
「ああ。今までの人生、つうか今もなんだが、どうしても秋都の人生の延長線だったからな。でも、なんかようやく、新しいことやるか、みたいな。何が変わる訳じゃないけど、隼人を始めるか、みたいな気持ちになれたんだよな」
俺の言葉に鈴羽は俺をじっ、と見てから瞳を閉じてこくん、と頷くのだ。
「いいじゃない。で、何を始めるのかしら?」
「う、具体的なことはなんも考えてねーな。でも、そうだな……ああ、鈴羽を見て今思い浮かぶのはアレだな。猫を飼ってみたい」
その言葉に鈴羽は両手を胸の前でぎゅ、と握り瞳を輝かせて言うのだ。
「猫はいいわよ」
「知ってる。あと、引っ越しとかしてみたいんだよな」
「……引っ越し?」
「ああ、自分で自分の住処を決めて、全部自分で用意してみたい、っていうか。秋都の時はついぞ実家から出なかったからな……今世もまだ学生だから今すぐには無理なんだが」
「それ引っ越しじゃなくて巣立ちって言うのよ」
くすくすと楽し気に笑う鈴羽。そんな鈴羽を見ていると、何故かどんどんやりたいことが胸の内から溢れてきて。
「あと一回ネトゲ廃人やってみたいんだよな」
「それは戻ってこれなくなりそうね」
「あと本州以外の旅行に行ってみたい」
「あら、じゃあ、沖縄にでも行く?」
「あ、あと秋城としてなら企業コラボしてみてえ」
「秋城さんカード化かしら?」
あと、あと、それに。沢山、まだやってみたことが宝の山のように煌めく。それをただ静かに受け止めてくれる鈴羽。
「あ、あと……」
「ん?」
何故かこれを鈴羽に言うのはちょっと気恥ずかしい気がして。俺は誤魔化すように信玄餅ユキデニッシュを自分の小皿にとる。
「あと、恋愛とかな。なんとなく今まで避けて、ネタにしてふざけてたけど。やっぱ憧れるよな」
そう言って俺はそそくさと信玄餅ユキデニッシュを口に運ぶ。……お、もちもちとした信玄餅の触感とサクフワでバターの効いたデニッシュが非常にうまい。
「誰か気になる人でもいるのかしら?」
鈴羽も自分の小皿に信玄餅ユキデニッシュをとりわけながら聞いてくる。鈴羽の問いに脳みそを掠めていく———鈴羽の顔。
(いやいやいや)
それはあまりにも鈴羽に失礼な気がして。鈴羽は純粋に秋城を好いてくれている、純粋に、だ。そんな思いを歪めるような感情を抱いてしまうのは決していいことではない、と俺は思う。だから俺は、苦笑して零すのだ。
「ノーコメントで」
鈴羽には嘘をつきたくなかった。思い浮かばなかったは嘘だが、ノーコメントなら鈴羽には教えずにすむ。すると鈴羽は、ごくり、と口の中のモノを飲み込んで、フォークを置いて問いかけてくるのだ。
「じゃあ、私なんかどうかしら?」
「ぇえっ?」
思わず声が裏返る。時間が、無限に延ばされる感覚。
(え、え、いや、え。それって、え、どういうこと?そういうこと?)
俺の心臓だけがこの延ばされた時間の中で早鐘を打って。
(これどう返すのが正解だ?え、か、からかってるんだよな?)
からかわれてるんだよな?え、と自問自答が続く。だけど、目の前にチラつかされたワンチャンについつい縋りそうになってしまうのは本当に男の性だと思う。
だが、それは間違ってる。だって、え、鈴羽は秋城のことが純粋に———。
「冗談よ」
その言葉を言われた途端、伸ばされたゴムが元に戻るように時間の流れが元に戻る。
「へ……?」
「冗談よ、私そういうふざけた告白はしないわ」
「あ、ああ……」
胸を締める安心と仄かな残念さ。俺はおしぼりで顔を思わず覆って唸るのだ。
「心臓に悪ぃ~~~~~」
「ふふ、ごめんなさい」
鈴羽は微塵も悪びれてなくて。だけど、そんな鈴羽を責める気にもならなくて。俺はおしぼりから僅かに顔を上げて鈴羽をちらり、と見る。うん、俺のことなんて放置して美味しそうに信玄餅ユキデニッシュを食べている。小さい口で、可愛い。かわ。
(え?)
もう一回俺はちらり、と鈴羽を見る。鈴羽の頬が僅かに赤くて。
(じょ、冗談なんだよな……?)
それを確かめる術は俺にはなくて。だけど、今すぐに顔を上げられないぐらいの胸の高鳴りと熱さだけは此処にあって。俺は喉までせり上がる熱を飲み下すように冷めたおしぼりに顔を埋めながら唾を飲み込む。そうして、唱えるのだ。———きっと、今日はそう言うメイクなんだ、と。メイクで赤くしてるから、外が寒いから、そう見えているに違いない、と。