「っていうのが先週あったことなんだけど」
俺は言葉を失っていた。
「加耶子の娘……?」
世那をついついまじまじと見てしまう。そんな俺の様子に世那は苦笑するのだ。
「そだよ。でも、あまり私はお母さんには似てないかな~父親の遺伝子に寄ったらしくて」
そう言われてもつい、加耶子の面影を探してしまう。だけど、世那の顔を見つめててはっ、となる。
「な、なあ、世那……」
声が震える。喉が、いや、全身がガクガクと震えた。
「み、都古は……妹は、いまどうしてるか知ってるか……?」
絞り出すように、懇願するように、問いかける。知っていてほしい、幸せだって言って欲しい、そんな願いを込めた声。世那は俺の問いかけに困ったように眉をハの字にしながら言う。
「んー……今は旦那さんが居て、普通に暮らしてるってことしか……知らない、かな……ごめん」
「いや、いや……世那は悪くない、悪くない……」
世那に言っているような、自分に言い聞かせてるような。俺は一気にもたらされた情報に混乱した。まさか、こんな身近に俺の前世の関係者が居るなんて思ってもいなかった。ぐらぐら、と地面が揺れるような感覚に額を押さえる。
(都古はちゃんと幸せになれたのか?)
俺の数少ない、前世での未練。その筆頭に来る妹———都古のこと。
(……いや、もう俺の出る幕ではない)
そう、俺はもう秋ヶ城 秋都じゃない。高山 隼人なのだ。俺はもう妹のことをひっかきまわさない方がいい。
(でも……)
でも、確認したい。幸せになれたのか。
(それに……)
それに、謝りたかった。都古一人残して死んだことを。過労死したのは俺の責任ではない、だけれど、都古を孤独にしてしまったことを謝りたかった。
ぐらぐらと揺れる地面、じわ、と吹き出る冷や汗。そんなパニック状態の俺の手に冷たい手が触れる。
「……すずは……」
「隼人、深く息を吸って」
鈴羽に促されて深く息を吸う。
「吐いて」
「はー……」
息を吐きだす。
「吸って」
「吐いて」
そうして、鈴羽の声に合わせて深呼吸を繰り返していると、いつの間にか揺れていた視界がクリアになってくる。
「落ち着いた、かしら?」
「ああ……」
鈴羽の冷たい手が離れていく。その手の動きに釣られて鈴羽を見上げれば、鈴羽は至って真剣な目で俺のことを見ていた。
「体に心は引っ張られるし、逆もしかりよ。だから、片方だけでも整えれば大分楽になると思うのだけれど」
「ちょっと、マシになった」
そう零すのがギリギリだった。でも、鈴羽のおかげで大分マシになったのは間違いない。
「ご、ごめん隼人……」
世那が泣きそうな声を上げる。
「いや、世那は悪くないだろ……」
これは俺が置いてきてしまったモノの話だ。それを整理しなかった、今がどうにもならないから、と言い訳をして保留にしてしまった情けない俺の、置いてきてしまったモノの話。
だから、世那は悪くない。というか、全面的に楽観視しすぎた俺の責任だ。俺は暗雲立ち込める頭の中を何とか変えようと、世那の話の途中で頼んだコーラで口を潤す。すると、鈴羽がス……と片手を上げる。
「発言いいかしら?」
「あ、ああ……」
いや、会議じゃないんだから、なんて思いつつ、鈴羽のそれはきっと気遣いなのであろう。鈴羽は俺の言葉にこくり、と頷けば指をくるくると回し始める。
「妹さんは秋城さんのアカウントが動いていることの不安を晴らしたい、隼人は妹さんが幸せになっているか確かめたい。そして、妹さんの不安を晴らさないと秋城さんのアカウントが消えるかもしれない……なら、もうこれは直接会って話をしてみるしかない、と私は思うわ」
鈴羽の単刀直入な提案。その鈴羽の提案に世那も声を上げる。
「それなら私、会ってほしい人が居る、って連絡をつけるよ!」
それはありがたい提案だった。だけれど、俺は悩んでしまう。都古の幸せを願うのなら、秋城のアカウントを諦めて身を引くべきなのではないか、と。死んだ兄がいきなり出てくるなんてことは少なからず都古に混乱をもたらすはずだ。もしかしたら、もう治ったかさぶたを引きはがす行為になるかもしれない。ただでさえ都古の人生に傷をつけてしまったのに、そんな行為を許してしまっていいのか、俺の中に疑問が生まれる。
でも、そうは思っても秋城のアカウントにも執着があって。当然だ、苦楽を共にしてこれからもっと発展させていく、そう思っていたアカウントなのだ。執着がない訳がない。
俺の心はぐらぐら、ぐらぐら、と揺れる。だけど、妹のために秋城のアカウントを諦める、という決心は俺にはつかなくて。それが妹を蔑ろにしている気がして俺の罪悪感がつつかれて。……俺は。
「……世那、申し訳ないが少しだけ保留にさせてもらっていいか?ちょっと整理させてほしい……」
「それは大丈夫。だけど、隼人……」
「すまん」
俺はその声を絞り出すのが精一杯だった。
〈side:鈴羽〉
「……まあ、そうなるわよね」
私が世那を見れば、世那は泣きそうな顔でカクテルの入ったグラスを撫でていた。
あれから、隼人はそわそわと落ち着きなく———多分、頭から妹さんのことが離れなかったのでしょう。そんな様子で、申し訳なさそうな顔をしながら帰っていった。そんなに食べてないでしょう、という金額を置いて。
「私のせいだあ……」
隣で机の上に溶ける世那の髪の毛をぽんぽん、と撫でる。
「世那のせいではあるわね」
「うぐ」
「でも、言わなきゃいけない話だったのも事実でしょう。それも早急に。世那は間違ってないわ」
「す~~~~ちゃ~~~~んんんん‼」
私は冷めた肉をタレにくぐらせて、サンチュの上に着地させてその上に少量の白ご飯を盛って口に運ぶ。
「セイラ、今週忙しかったじゃない。それで今日がやっとのタイミングだったんでしょう?」
「うん……今週1週間は年始特番の撮影だったし……。でも、水曜の配信後とかに言うべきだったかなあ~……」
「それは……どうでしょうね。私はリアルで会う今日で正解だったと思うわ」
「かなあ~~~~あー……泣きそう」
「泣いてるじゃない」
「ぐぅ」
世那が自分の鞄まで行き、ハンカチを手に取って薄く浮かんだ涙を拭く。そして、自分の席まで戻ってくればタブレットを手に取り始める。
「で、世那」
「ん?」
「隼人が転生してきた、って信じたのかしら?」
私が切り込めば、世那は唇を尖らせて肩を落とす。
「流石に?都古さんのことあんなに心配できるのは本物のお兄ちゃんしかないかなあ、って。私お兄ちゃん居ないから分からないけど」
「そうね」
「……ねえ、すーちゃん」
世那が私をまっすぐ見る。いつになく真剣な世那の瞳をまっすぐ見返せば、世那は言いにくそうに口を開く。
「その、すーちゃんって隼人が転生してきた、って信じてるんだよね?」
「ええ」
「……心の奥底から」
「もちろん」
世那の怪しむ気持ちも理解できなくはない。そもそも、転生してきた、なんて言われたら普通は心療内科への通院を進めるだろう。思い込み、妄想、それを主訴とする障害はいくらでもある。というか、そもそも、それが本当だとしたらあらゆる宗教、科学がひっくり返ってしまう。死後転生があるなんてしれたら、それこそ次を見出して自殺者が絶えなくなってしまうかもしれない。……そう思ってしまうのは、私が所属している学科故だろうか。でも、それぐらい普通じゃあり得なくて、信じられないことだ。でも。
「私にとってね、秋城さんは星だったの。一等輝く一番星。そんな人が、必死に語ってくれたのよ」
思い出すのは初対面の喫茶店の一室。ガチガチに緊張した隼人が一生懸命語ってくれた秋城の放送の裏話。これだって、妄想や作話と切り捨てることも可能だろう。でも、私はそうしなかった。一番星が輝けなくなっている、それなら私は手を差し伸べたかった。かつて、秋城さんに助けられたから。
「私は、好意的に解釈したいわ」
好意的な解釈、これは特権だ。隼人を、秋城さんを信じたいものの特権。疑って、精査するのはどうせ放っておいても誰かがやる。でも、信じることができるのは信じる意思のあるもののみ。だから、私は隼人を秋城さんを信じる。
「すーちゃんって本当に秋城が好きなんだね」
「隼人のことも好きよ?」
私がそう零した瞬間、部屋にノック音が響いた。私の方が扉に近いため、返事をして対応をする。届くのは大量の牛タン……世那が頼んだのだろう。私はそれを机の上に置いて、動かない世那の顔を覗く。
「大丈夫?真っ青よ」
「え、え、あー……ちょっと寒いからかも!温度上げていい?」
「ええ、構わないわ」
私が席に着けば、変るように世那がエアコンのコントロール板を弄りながら口を開く。
「隼人、都古さんに会うかなあ……」
「分からないわ。でも……どうやったって解決はしないといけないわ」
「……うん」
「でも、私たちにできることは今回は見守ることしかない。余計なことをやってもひっかきまわすだけだもの」
「うん」
肉がじゅーじゅーと焼ける音が部屋に響く。その日はやけに網の上の音が耳に残る気がした。