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第15章 VTuberらしい不変的な悩みってアリですか?②

 俺は初めて朝雉 世那という1人の一個人にきっちり向き合った気がした。体育祭の実行員として一緒に過ごした数週間から、つかず離れずと言ったらいいのだろうか、世那からヘルプがあれば助け、逆に俺からヘルプがあれば助けてもらった……どっちかというと持ちつ持たれつ?の方があってるだろうか。そんな関係だった。

 そんな関係だったから、関係している年数は長くても、相手の家のことも置かれている状況も全然知らなかった。だから、セイラのことも知らなかった。知ろうとしなかったが正しいかもしれない。

 俺は結露し始めたカフェイン飲料の缶をタオルハンカチで拭いてから、カシュッ、とプルタブを起き上がらせる。


「でも……それがなんで大学を辞める、なんて話になるんだ?」


 俺の率直な問いかけに、世那はペットボトルをにぎにぎと握りながら、不器用に笑う。眉をハの字にして、困った、と言いたげな笑み。


「私ね、本当は大学行く気なかったんだ」

「ほう……?」

「VTuber業一本でやっていこうと思ってたの。でも、お母さんが必死に頼み込んできたんだ。大学だけは、出て欲しい、って。勉強ができない訳ではなんだから、大学に行ける財力があるんだから、大学だけはって……その後の人生で絶対に役に立つからって……」


 その母親の気持ちは痛いほどわかった。俺は前世で大学へ行けなかった。正確には、行かなかった。両親が残してくれた遺産は二人を大学へやるには足りなくて、そんな一枠の特権を俺がぶんどるのも罪悪感があって。俺は高校卒業と同時に就職した。

 実際、その判断は間違いなかったと思う。そのおかげで秋城の配信モデルや配信環境をノリで整えられるぐらいの余裕は生まれていたわけだし。

 でも、その就職も散々高卒可のところに申し込んでは、「うち、本当は大卒取りたいんだよねえ」みたいな不意打ちを食らい難航し、結果ドブラック企業に勤めることになったのは言うまでもない。

 だから、叶うなら、妹にはそんな理不尽な目に合って欲しくなくて、口を酸っぱくして大学に行くことを頼み込んだ。学歴という盾もなしに、身を放り込むには、社会というのはあまりにも過酷な場所だ。

 だから、世那の母親の気持ちが100%ではないが、分かる。


「だから、雪鷹の台受けたし、雪鷹の台でできることは必死でやってる。……といっても、予習復習して、講義受けるだけだけどね」


 だけ、ではないんじゃないだろうか。予習復習までしっかりやってる大学生がこの世の何割存在するだろうか。


「でも、そうはいかなくなっちゃったんだ」


 世那の瞳の色が変わる。何か、此処にはない、巨大なものを見るような目で、……その瞳は何かに恐怖していて。でも、その恐怖を振り払うように世那は首をぶんぶん、と振ってから中身のない笑みを浮かべる。


「いーっぱい、テレビのオファーが来るようになったんだ。来たからには応えるのがVTuberってものでしょ?……でも、今でもスケジュールギリギリでさあ……」


 それは分かる。世那は3年前期も、2年後期も、あと1回休めば留年とかいうギリギリの単位構成でなんとか抜けている。


「お母さんは大学を卒業しなさい。って言うけれど、私の体って別に二つも三つもないからさ!無理だなあ……って思ったから」


 から。


「大学を辞めようかと考えているんだ」


 世那の言葉に俺は前世の自分をふと思い出す。前世の俺はまさに体が足りない状況に陥っていたから。朝から21時……遅いときは22時ぐらいまで仕事に明け暮れ、帰って来て即飯、即風呂に入って0時から配信をする生活。

 そんな生活が成り立っていたのは、俺が一番やってはいけない睡眠時間を削るという行為をしていたから成り立っていた。あの時は、仕事も休めないが、VTuberとしての活動も削りたくない、みたいな我儘セットで生活をしていた。結果———文字通りの過労死をしたわけだが。確かに、そんな未来を歩まないために大学を辞めるというなら筋は通る。

 ……だが、世那の未来は?世那がセイラでなくなった未来があるとしたら?いや、今は別に引退の噂が立っているとかは一切聞かない。

 だが、世那がセイラで居続けられる保証はないのだ。未来は誰にも分からない。そんなときに世那を守る鎧は多い方がいい。これは、自分の経験談及び妹を養育しているときに思ったことだが……少なくとも学歴は自分を守ってくれる。もちろん、就職口をくれるという意味でだ。

 今は俺が前世で就活をしていたころに比べれば男女差別はマシになっている、が、それでも同じ成績の男女なら男を通すような社会であることには変わらなかった。

 それはインターンの時に知った。だけど、成績が同じでも最終学歴が高卒と大卒なら大卒を取るであろう。学歴というのはそういう理由づけになってくれる。そして、VTuberという不安定な業種だ。いざというときのために学歴は必要だろう。だから、俺は言う。


「……大学は辞めない方がいい」


 そうして俺は懇々と語る。前世の俺のこと、なんで大学を辞めない方がいいかということ。語るたびに、世那の瞳が空虚に空っぽに現実を見つめなくなる。この瞳は知ってる、響いていない……いや、世那が欲しい言葉ではなかったのであろう。それを悟った俺は、極力言葉を短くする。


「……だから、だ。大人の視点で言うなら大学を辞めるのはお勧めしない」


 世那が顔を上げる。伽藍洞のような色も何もない空虚な表情。その表情がありありと伝えてくる、そんな言葉は望んでいない、と。


「やっぱり、隼人も———大人って、みんな同じことを言うんだ」


 淡々とした失望の言葉。それは俺の胸をまん丸に抉った。ぽっかりと、何かが俺の中から失われる。


「……世那は、猪突猛進になりすぎてる。世那にはセイラの後の人生もあるんだ」


 世那の体がびくり、と揺れる。


(なんだ……?)


 何に反応した?猪突猛進?セイラのあとの人生?どっちも?……いや、何に反応したかではないだろう。先ほどからちらちらと感じる世那の何かを怖がるような、何かに怯えているような感情。揺れる瞳が訴えている。でも、なにを?なにを訴えているか分からない———だが、ここで引き下がってはこの人生相談の意味がなくなってしまう、と漠然と感じる。だから———俺は切り込んだ。


「世那、何が怖いんだ。ラックの時から思ってたが……」


 怖い、その言葉に世那の瞳が揺れて。世那は俯いて、その瞳に中身の満たされないペットボトルを写す。


「……隼人には分からないよ」


 震える声。失望と一縷の希望。


「分からなくても助言はできるかもしれない。転生者、だからな」


 その手に希望を掴ませるように、俺に本当の心のうち、何に困っているかを言ってくれるように。


「っ、分からないのに助言なんてできるはずがない!」


 世那の瞳に薄く涙の膜が張る。でも、弾けない膜。その膜は世那のプライドを表しているようで。


「そんなこと言ったらすべての問題は当人にしか解決できなくなるぞ」


 俺の言葉に、静かにもう一回沈むように世那は顔を俯かせる。下唇を噛んで、ぷるぷると震えて。悔しいのだろうか、恥ずかしいのだろうか、怒っているのだろうか……その感情は推し量れないが、世那の感情が揺れていることだけは分かる。


「……じゃあさ、聞いて。ちゃんと答えて‼」


 顔をバッ、と勢いよく上げて胸のあたりを右手で掴みながら、高そうな服をしわくちゃに握る世那。俺は静かに頷く。そして、世那の口が開かれる。


「……私は、私が此処にいるって示し続けないと、みんなに忘れ去られちゃいそうで」


 目いっぱいに涙を溜めて、それでも零さない。世那は今、恐怖に立ち向かっている。


「怖いんだ……登録者数も伸び悩んでいて、同接数も落ちてて……」


 涙を袖で拭って、再度口を開く。


「だからもっと、もっと、テレビにラジオに放送に……できることは全部やらなきゃ、って……私は此処にいる、って示し続けなきゃって……入れる仕事、全部入らなきゃって……」


 世那は肩を上下させながら、縋るような瞳で俺を見る。

 世那の悩みの根源、それはVTuberなら誰でも抱える不変的な悩みであると俺は感じ取る。いや、俺が感じ取っているよりも、規模もでかく、だから、世那は余計に雁字搦めになっているのであろう。

 俺だって、今では登録者数78万人とかになっているが、———前世ではかなり伸び悩んだ。毎日とまではいかないが、それに等しい数やらないと同接数は保てなくて。毎日、この時間にやっている。そんな安定感を視聴者に与えなければ人は簡単に来なくなる。……それこそ、世那風に言うなら示し続けなきゃいけなかった。

 そして、そこまで思い出して気づく。世那は、いや、セイラは登録者数400万人オーバー、同接数も平気で3万人を行くVTuberだ。これを保つのは並の努力ではなく。努力すれば努力するほど数字の上向き下向きに一喜一憂することになる。此処に今、仕事を増やして少し上向かせて、また、平常時に戻ったら、———きっと、世那はまた仕事を増やす。そんな仕事だけが無限に増えていくスパイラル。

 これを解決するのは、無理だ。だって、無限に登録者数を、同接数を増やせるVTuberなんて存在しないのだから。そもそも、人口が有限である以上絶対にどこかで停滞する。だから、世那の心持ちを、もっともっと、と求めてしまう心を変えるしかない、と俺は口を開く。


「世那は、セイラを忘れられたくないんだろう?」

「……うん」

「はぁー……それは大丈夫だろ」

「へ?」


 世那の表情が止まる。ぴたり、とまるで時間を停止したかのように。俺が、何を言ったかが理解できないように。


「だから、大丈夫だって」


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