ということで翌日。1回行っているとはいえ、まだ道を把握しきっていない俺は端末の地図アプリを片手にアスファルトの森を歩く。コンビニの前で立ち止まり、端末を鞄に仕舞って制汗シートを取り出す。制汗シートで汗を拭き、シートをゴミ箱に入れれば、制汗スプレーを服の中に吹きかける。8月も後半、本当に夏が終わるのだろうか、という気温に気が遠くなりながら俺はスプレーを鞄の中に仕舞い、喫茶店へ向かうのだった。
「あら、早かったわね」
「え、いや、俺より早いじゃん……降夜さん」
「そうね……今来たところよ」
「えー、絶対嘘じゃん」
降夜さんの対面に鞄を下ろしながら、水を飲む降夜さんの姿を見る。今日も今日とて降夜さんの髪型は前回と違って。……今日は額を出して、前髪をセンターで分けている。そのせいか瞼に乗ったラメがより際立って……降夜さんの青色の瞳がきらきらしている。
「降夜さんはオシャレだな……」
「楽しいもの、オシャレ。それに、気合が入るじゃない?」
そう俺を見上げながら楽し気に微笑む降夜さんの正面に腰を下ろし、タブレットを引き寄せて、俺の注文を打ち込む。アイスコーヒーにサンドイッチのサラダセット。
「気合いが入るものなのか……?」
「入るわよ。……そうね、カードゲームに例えるのなら大会の前日にキャラスリーブを入れ替える……みたいな感覚に近いのかしら」
「むっちゃ気合入るな」
「でしょ?」
降夜さんにタブレットを手渡せば、手慣れた様子で注文を打ち込んでいく。
「流石に放送の度にメイクして、気合全開で挑むことは難しいのだけれど……でも、できる日はするわ。それが打ち合わせだろうとね」
流石うぃんたそ。流石プロ。いうことの重みが違う、俺は降夜さんのクールなようで熱い一面に心の中で拍手を送りながら口を開く。
「まあ、確かに身綺麗にするとなんか気分がしゃきっとするよな。……俺も同じ服着まわしてないで新しい服買うか……」
「高山さん自身の服もだけれど、先に秋城のアバターじゃないかしら?着替えるべきなのは」
「それはそう~~~」
お互いに笑いあっていれば、こんこん、というノック音。もちろん、美味しいアイスコーヒーと美味しいサンドイッチの登場だ。
俺達は、割としっかりとした食事を談笑しながら取り、食後のアイスコーヒーを口にする。
「んで、降夜さん的にチャレンジしてみたい料理とかある?」
「チャレンジしてみたい料理……悩むわね。高山さんからこれなら簡単、みたいなのは逆にないかしら?」
メモ帳を広げながら降夜さんがボールペンを何回かノックする。
「簡単か……画面映えはしないが煮物とかか?いや、画面映えしなさすぎるか……鈴堂うぃんが作る料理、だもんな……」
結構悩む。鈴堂うぃんのイメージを壊さない料理……少なくとも和食ではない気がする。いや、あえての割烹着和風うぃんたそ……。そこまで俺は考え込んで、口を開く。
「そういえば、ちょっと話はズレるがVTuberの料理配信の定番と言えばオムライスだよな」
「……それはそうね。色んなVTuberがやっているのを見るわ。……まさかなのだけれど……」
「そのまさかだ。こういうのは伝統にのっとっていくもんだろ?」
「で、でも……」
不安そうに降夜さんがボールペンを置く。そうして、アイスコーヒーに刺さったストローに口をつけて、放す。
「私、本当に初心者で……料理配信を見たことはあるのだけれど、自分でちゃんと作れるか不安だわ……」
しゅん、そんな擬音が見えるような犬だったら耳が垂れてそうな表情を浮かべる降夜さん。そんな降夜さんに俺は右腕で力こぶを作ってそれを左手で叩く。
「だーいじょうぶだって。その為の俺だろ?それに、視聴者が求めているのは美味い料理を作ること、じゃなくて、一生懸命うぃんたそが料理を作る姿だ‼……それに、失敗も撮れ高だろ?」
そう俺がにや、と笑えば、降夜さんの肩の力も抜けたようだ。アイスコーヒーをかき回しながら、安心したように降夜さんは微笑んだ。
「怪我をしそうになったら止めて頂戴?」
「おうよ、降夜さんの体には傷一つつけさせねーよ……お、ちょっと俺かっこいいな」
「自分で言っちゃう辺りかっこよくないわ。……そういえば、場所は@ふぉーむのスタジオで構わないかしら?」
降夜さんが首を傾げる。
「え、@ふぉーむのスタジオ……?」
「ええ。それか他に撮影環境の整ったアテがあったりするかしら?」
「いや、そのはい、ないんですが……俺入っていいのそれ?」
@ふぉーむと言えば数多くの有名VTuberを排出する大手事務所。鈴堂うぃんだけじゃない、星羅セイラに、春風イル———とりあえず、今のVTuber業界の人気どころの多くは@ふぉーむ所属だ。……そんな大手事務所にただの個人Vが入っていいのか?俺は考えただけで緊張で震えてしまう。
「問題ないわ。なんのアポもなしに入ってくるわけじゃないのだから……鈴堂うぃんとのオフコラボ相手の秋城ですって入ってくれば……あら」
降夜さんが目を白黒させて口元を覆う。
「もしかして……秋城さんの外見バレとか不味いかしら……?」
「あー……」
そこに関しては考えてなかった。いや、マジで。俺はちょっと首を捻りながら視線を部屋の隅から部屋の隅までを往復させる。
「……外見バレは大丈夫、だと思う。事務所内のこと言いふらしたりする人間もいないだろー」
「それはそうね。……ああ、秋城さんには入館時に簡単な同意書にサインしてもらうことになるわ」
「簡単な同意書」
「事務所内で聞いたことを口外しない、そういう同意書よ。事務所内では割とVTuberとしての名前で呼ばれることが多いから……」
「ああ、それは必要だな……」
恐らく、@ふぉーむに出入りする人間全員に書かせている同意書なのであろう。なにかと嗅ぎまわられることの多いVTuber、そんなVTuberを守るための同意書だ。……同時に、コラボ相手である俺のことを守ってくれる同意書にもなるのだが。流石、大手。
「でも、なるほど……事務所内では降夜さんもうぃんたそーとか呼ばれてるのか」
「流石にうぃんたそとは呼ばれないわよ、鈴堂うぃんさんスタンバイお願いしますーみたいな感じね」
「へえええ……三次元の芸能人みたいな……」
「まあ、大差はないと思うわ。ただ、テレビ局より制約が多いぐらい?」
「まあ、身バレ厳禁だからな……」
テレビに出ている芸能人と違って、VTuberは三次元の顔を写してはいけない。……いや、なんか2.5次元VTuberとかいうリアルの写真を乗せてるVが居た気がしないでもないが……やはり、普通のVTuberはそんなリスクの高いことはできない。故に、制約も多くなる。
「粗相をしないか今から不安だ……」
「ふふ、別に大丈夫よ。@ふぉーむから出て大声でうぃんたそーなんて言わない限りはね……」
「ひぃ、言いません。言いません、決して。……んじゃあ、@ふぉーむのスタジオを借りるか……その手続きって」
「私がやっておくから問題ないわ。……と言っても、私もマネージャーさんにお願いする形になるけれど……」
「マネージャーさんにお礼を言っておいてくれ」
「ええ、もちろん」
息継ぎのようにアイスコーヒーに口を付ければ、ストローがずずっという音を鳴らす。どうやら、中身がなくなったようだ。追加の注文をするかどうか悩んでいると、降夜さんが声を上げる。