「あっづい……」
日本の夏に曇りや雨なんてものはそうそうない、あったとしたら大体台風だ。今日も今日とて40度超えのアスファルトの照り返しが激しい道を歩く。
「こんな暑い日に焼肉とか降夜さんの胃袋強ぇえ……」
そう、あのうぃんまどの放送後、降夜さんことうぃんたそにお礼をしたい旨のメッセージを送ったらなんとOKが帰ってきたのだった。その事実だけでもかなり嬉しかった。話の流れで、お礼は食事を奢ってほしいとのことだったので、快く今度は俺がOKをした。そうして指定されたのはちょっと高めな個室焼き肉店。普通の大学生が行くにはちょっと……ちょっと……いや、かなり高めな店だった。だけれども、俺にはVを再開する際の機材購入費の余りがあるし、そこは特には問題ではなかった。降夜さんがよく使う店らしくて、予約はやっておいてくれるというので降夜さんに任せての当日。店の前で俺たちは待ち合わせることになった。端末で店が近いことを確認して、念のためシート状の制汗剤で首や顔を拭き、それをコンビニのゴミ箱に押し付ける。そうして、窓ガラスに反射する自分を見て襟を正す。コンビニから十字路を曲がり、歩くこと5分。焼き肉屋の前には降夜さんが居た。
「悪い、待ったか?」
「いえ、今来たところよ。問題ないわ」
そんな言葉を交わせば、降夜さんが日傘を畳む。今日の降夜さんは所謂韓国系の装いだった。黒のミニのワンピースに足をすらりと長く見せてフリルのついた靴下にパンプス?というのだろうか、お洒落な靴を履いていた。
(やべえ、俺前回の洋服の使いまわしだ……)
しかも降夜さんの髪の毛はしっかり編み込まれていて、降ろしている部分は前回と違いふわふわとしている。……なんかむっちゃ手が込んでいる、手が込んでいるのは分かる。だが、俺は前世から今の年齢まで込みこみで童貞だ。……ようはなにを言ったらいいかは分からない。だが、なにか言わなきゃいけないことだけは分かった。俺は降夜さんが日傘を仕舞い終わるのを確認して口を開く。
「いや、あの、変な意味じゃないんだが……無茶苦茶似合っています……‼」
手に変な汗を搔きながら、童貞必死の言葉。言わないより、言う方がいいだろう。そうであってくれ、ミスではないと言ってくれ。頭の中でぐるぐるとプレミか?プレイミスしたか?とバトマスの大会で割ったライフを相手が確認しているときぐらいぐるぐると考えこむ。すると、降夜さんはちょっと嬉しそうに目を細めて言うのだった。
「当然よ、でも、嬉しいわ」
その表情は俺の心臓を逸らせるには十分だった。だけど、そんな俺の動揺には気づかない降夜さん。降夜さんはくるりと回って店の中へ入っていく。俺もそれに続いた。
「でも、改めて聞くけど……此処の代金本当に払ってもらっていいのかしら……?」
個室に通された俺たち。そして、お互い鉄板越しに席に着き、さあ、タブレットで注文するか、なんてときに降夜さんが声を上げたのだった。
「いやいや、お礼なんだから問題なし。今日は好きなだけ食べていってくれ」
「そう……じゃあ、遠慮なくいただくわ」
そうして、俺が自分の注文分をタブレットに入れて降夜さんに手渡す。そうして、タブレットをポチポチとして降夜さんが口を開く。
「……高山さん、お肉苦手だったかしら?」
「へ、なんで?」
「全然お肉注文してないじゃない」
降夜さんがタブレットを見せながら、俺が注文タブに放り込んだものをスクロールする。そこにはコーラにはじめ、サンチュ、冷やしトマト、冷ややっこと———肉以外の冷やし系のメニューが羅列されている。
「あー……うん、話すと短いんだが……」
「短いなら話しなさいよ」
「いやね、これは前世の話なんだけどさ」
「ええ」
「……肉がモタれるんだよ、胃で。カルビとか食べた日には即胸やけがしてしまって……それが恐ろしくてなんとなく、なんとなく肉を避けてるんだよな……」
俺が胸を押さえながら目を逸らしながら言えば、降夜さんはピピピピピ、と凄い勢いでタブレットを操作し、厨房へ注文を送信するボタンを押す。
「……ということは、生まれ変わってから焼肉は?」
「何度か付き合いで行ったが……タンぐらいだな、食べたのは」
俺の言葉に降夜さんはタブレットを置いて、お冷で指を冷やしながら首を傾げた。
「じゃあ、20年近くもったいないことしてるわね」
「え」
「胃もたれって加齢で出てくるものでしょ?体が若返っているなら……当たり前にカルビでもなんでも食べれるじゃない」
「はっ⁉」
降夜さんの指摘にハッ、とする。
「た、確かに……‼前世でも25歳以前に焼肉で胃もたれなんてしたことないぞッ……⁉」
「ロスが大きいわね」
「な、なんてことをしてしまったんだ……‼」
机に前のめりになって机をダンダンと叩く。マジでなんで気づかなかったんだ。前世のトラウマで今世の楽しみを消してしまうなんて。そして、それに気づかないなんて。
「でも、気づけて良かったじゃない。あと数年はお肉を好きなだけ食べれるわよ」
「ロスした20年が大きすぎる」
俺がしくしくと涙を零していると、響き渡るノック音。それに降夜さんが返事をすれば、木のお皿に盛られた大量のお肉たち。最後に、俺たちの目の前に置かれるコーラと桃のジュース。店員のお姉さんが退室したのを見計らって、お互いにグラスを掲げる。
「そんじゃ、改めまして」
「ええ」
「この度は私秋城の危機を救っていただき———」
「長いわよ」
「感謝!ありがとう、降夜さん!乾杯‼」
こつん、とグラスを当てあい、唇を湿らせれば、俺はキャベツをつつき、降夜さんは肉を焼き始める。
「ああ、高山さんさえ気にしなければ私が頼んだお肉も食べてもらって構わないわ」
「え?あ、じゃあ、いただくわ」
「ええ、どうぞ」
そうして、俺も降夜さんが頼んだお肉を焼き始めるのだった。
「そういえば、ゆったーはチェックしてるかしら?」
カルビをそれなりに食べても胸やけしないことに感動しつつ、それなりにお肉を平らげた俺。そんな箸休めの合間、降夜さんが問いかけてくる。
「あー……たまに見る程度だけど、流石にうぃんまどの後は怖くてあまり見れなかったなぁ……」
「チキンね」
「うっせ」
俺がわざとらしく頬を膨らませれば、降夜さんは何杯目かで桃ジュースから切り替えた桃のハイボールを口に含み飲み込む。
「まだ悪意に塗れたことをいう人は残念ながらいるわ……でも、概ね高山さんのこと———いえ、秋城さんのことは好意的に受け取られてるわよ」
「えー、本当でござるかあ?」
「本当よ、ほら」
そう言って、降夜さんがカツカツとヒールを鳴らしながら机の周りをまわって俺の席の隣に腰かけて降夜さんの端末の画面を見せてくる。
「え」
俺はと言えば、降夜さんが突然隣に座ってきたことにより———思考はショート寸前だった。
(おぉぉおお、お、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け俺————‼)
童貞にはちょっと刺激の強い距離感と降夜さんに促されてちょっと飲んだアルコールにくらり、としながら必死に降夜さんに触れないように体を左に傾ける。
「ちょっと、貴方の話をしているのよ?」
「は、はいぃ……」
だけど、離れてください。というのもちょっと冷たい気がして、これだけ降夜さんが気を許してくれていることを蔑ろにはしたくなくて、俺の脳内は右往左往する。
「ほら」
「はいぃ⁉」
「煩いわよ、ほら、見なさい」
そうして、降夜さんに顔の前に突き出される端末の画面。そこには———。
『秋城ニキ復活!』
『まさかの転生⁉え、ほんとにあるの⁉』
『おかえり!秋城‼俺は信じてたぞ‼』
『早く乗っ取りですって言え、秋城』
『本物だとは思わなかったわ』
『嘘つきは死ね』
『これからの放送も楽しみにしてる!』
『これで受け入れている奴ら低能杉www』
『死んでた分の環境追うの大変だぞ~』
「え、あ……おぉ……」
意味のない言葉が口から漏れる。そこには大量の俺の今後を楽しみにする声。……もちろん、まだ悪意も存在するが。それでも、こんな大量の好意的なコメントをリアルタイムに貰うことなんて今までなかった、故に胸がむず痒くなる。降夜さんが俺の反応を見て、クス、と笑いながらどんどん画面をスクロールしていく。スクロールしても、しても、そりゃ、数件の悪意はあったりするけれど。それでも、暖かいコメントに溢れていて。
「みんな、期待してるわ。それはもちろん、私もね。だから、これから頑張りなさい?上の方から応援しているわ」
自分のことを喜ぶように嬉しそうに笑う降夜さん。その姿にもまた、胸がそわついて。この間まで悪意と戦うことしか考えていなかったのに、こんな時間が訪れるなんて考えても居なかった。
「……だな、あれだけ啖呵切ったし、地道に頑張っていくとするよ」
「ええ、これからも観ていてあげるわよ。1視聴者としてね」
そうウィンクをすれば、元の自分の席に戻っていく降夜さん。ふわ、と香る降夜さんの残り香に名残惜しさを感じながら、俺はキャベツに箸を伸ばすのであった。