「はぁ。相変わらず、頑固」
「な、なんだよ。言っとくけどこればっかりは何を言われても意見を曲げないからな!」
「分かった。なら、諦める」
「え?」
一ミリも譲ることなく、ただ三葉を夜に外で出歩かせたくないという親心だけを貫き通した主張。
正直猛自身、薄らとそれだけでというのは無理があるのではないのかと察していた。だからこそ、三葉のその発言に。ぽかんっ、と口を開け、呆気に取られる。
「本当にいいの、三葉?」
「ん。パパがそこまで言うなら仕方ない」
「み、三葉ぁ……!」
まさかこんなにすんなりと言うことを聞いてくれるなんて。思ってもみなかった。
だが、信じられないという当然の感情以上に。猛の胸の内を埋め尽くしたのは、それを大きく上回る嬉しさ。
自分の親心が伝わった。それだけで、猛にとっては嬉し泣きしそうになるほどのことで。
だというのに。
「無条件で伸ばしてもらうのは、諦める」
「…………へ?」
その喜びを味合うことができたのは僅か、数秒のことだった。
そして突然の感情の急落に自分のことながら理解が追いついていない猛に、三葉は更に追い打ちをかけていく。
「パパ、言ったでしょ。私の門限を伸ばしたくないのは、危険な夜の街を出歩かせたくないからだって。つまり外にいなければいいってこと。違う?」
「い、いやまあ、そうだが。何が言いたいんだ……?」
「これは、妥協するって話。遠出デートする時でもない限り夜の十時までなんて外にいないだろうし」
「???」
猛の頭上に、無数のはてなマークが浮かぶ。
それもそうだろう。門限というのは外に出られる時間のことであって。だというのに三葉はそれを諦めると言っておきながら、同時に″妥協″だとも言った。
これまでのように偶の遠出デートをする時などに許可さえくれるなら、普段はこれまで通りでもいい。文面からだけ受け取るなら、言いたいのはつまりこういうことで間違いない。
はず、なのだが。そう猛は頭で理解していつつとも、まだ″何か″があるような気がしていて。そして流石実の父というべきか。その考察はものの見事に的中していた。
「要求を変える。私が欲しいのは夜の街に長くいられる権利じゃない。ーーーーしゅー君のお家に限り、夜の十時までいられるって制限付きの門限! これならどう!!」
ドドンッ! 聞こえるはずのない効果音が聞こえてしまうほどのオーラを纏い、先ほどの猛の気迫に真正面から対抗するかのように。三葉はそう、言葉を放つ。
(そういう、ことかぁ……っ!)
(なるほどねぇ〜)
刹那。両親二人組は悟る。
ーーーー三葉の目指していた会議の終着点は、始めからそこだったのだと。
当然、無条件で十時まで門限を伸ばすことができたなら。それにこしたことは無かっただろう。
しかし生まれてこの方十何年も家族をやっていれば、そうはならないことは容易に想像がつく。
だから三葉は、通らないと分かっていながら。まずは一つ目に最上級の要求を持っていき、猛の気持ちを引っ張り出してから、ここで本体を叩き込んだのである。
(忍法•ドアインザなんちゃらの術。これは完全に決まった!)
ちなみにこれ、三葉の使い方がちゃんと合っているのかはさておき。心理学において有名な交渉術の一つだ。
その名も「ドアインザフェイス」。日本語では譲歩的依頼法とも呼ばれるそれは、簡単に説明するとまず最初に大きな要求を断らせ、その後にそれより小さな本命の要求を持ってくることで交渉の成功率を上げるというもの。
当然これは忍術でもなんでもないし、たまたま三葉がとあるインターネットページで見つけたものでしかないのだが。
しかし流石は先代たちの紡いできた知恵とも呼べる偉大な学問。付け焼き刃ながらも実行されたそれは、思いのほか……
「だ、駄目……なのか?」
「なんで疑問形で私に振るの。パパがどう思うか次第でしょ〜?」
「そ、そうだな。そう、なんだが」
夜の十時までの無条件での門限延長要求からの、駿の家以外ーーーー即ちお隣さん以外には行かないという制限付きでの延長要求。
まさにドアインザフェイスがしっかりと効いたのか。猛の脳内に、「それくらいなら」という文言が浮かぶ。
(いや待て。そうじゃないだろ!?)
しかしそれは、ついさっきまで″表の理由″のみで口論をしていたことによる思考の偏りで起こった一時的なもので。すぐに裏の理由を思い出した猛は、心の中で大きく首を横に振る。
そう。たしかに三葉を夜の街で出歩かせたくないという理由のみなら、この条件でクリアなのだ。
ただ猛にはもう一つ。三葉が家にいる時間をこれ以上減らしたくないという強い気持ちがある。
だからこれを認めるわけにはいかない。認めたら結果的に三葉は夜の十時まで家には帰ってこないことになり、これまでと比べてコミュニケーションの場は確実に減ってしまうだろう。
そのうえ、だ。ただの幼なじみだった頃は友達の少ない娘とずっと仲良くしてくれているいい子だと考えていた駿も、今では娘から溺愛されている彼氏(本当はまだ仮だけれども)。そんな彼の部屋に行かせることで父である自分が愛娘と触れ合える時間が少なくなるというのも、とてもじゃないが許容し難い。
(な、なんとかして断らないと。いやでも、どうやって理由をつける? こんなの、駄目だって言って納得させられる理由なんて正直そう簡単には……)
なんとか。なんとかして。娘の門限を伸ばさずに自分ともっと一緒にいてもらえるようにはできないものか。
必死に頭を回すが、その具体策は浮かばない。
(こうなったらもう、ママになんとかしてもらうしかっ!!)
万事休す。猛はじっとこちらを見つめてくる三葉を前に、徐々に考えることそのものができなくなっていって。無意識に、その隣の二葉の方に視線をやる。
そしてそれと同時に。三葉もまた、フリーズする猛より先に二葉の方から攻略すべく。言葉を投げかけた。
「ママは、どう?」
「……そうねぇ」
白熱の家族会議。
その終わりが今、確かに。近づいていた。