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第106話 母の苦悩

「うぅ。どうしましょう。凄く気にな……ああでも、やっぱりそんなの……いやでも……っ!」


 私、こと佐渡二葉は。そうして、リビングでただ一人。悶絶していた。


 その原因は、部屋に篭って数時間も全く出てこない三葉と駿君が何をしているのか気になって仕方ないことにある。


「駄目って分かってるのだけど。こんなの、母親として気にならない方がおかしいわよね……」


 てっきり十一時を過ぎればいつもみたいにお昼ごはんを求めて降りてくると思ってたのに。まさか正午を回っても降りてこないなんて。思ってもみなかった。


 お昼ごはんは帰ってくる前に済ませてきてた? いや、いくらなんでもそれには時間が早過ぎる。たしか今日は一限までだったって言ってたし、そもそも帰ってきた時間を考えればそのまま真っ直ぐここまで来たはず。


 ただ、駿君がコンビニの袋を持っていたのは見えた。ということはお昼を買ってきて部屋で食べてる? でも、パッとみた感じだとコンビニ袋から透けていたのは飲み物のペットボトルとお菓子の袋だけ。おにぎりくらいなら見えてなくても不思議じゃないけれど、その程度の量であの子が満足するとも思えないし。


 やっぱり、二人はまだお昼ごはんを食べていないと考えた方がしっくりくる。なら、未だここに来ない理由は一つ。


「お昼ごはんを食べることすら忘れちゃうほどに、何かに没頭してる……ってこと!?」


 別に、普通の子なら。それくらい驚くことでもないのだろう。


 でもあの子ーーーー私の娘となると、話は別だ。


 三葉にとっての一日三度の食事は、そんな簡単に忘れられるような存在じゃないはず。ここまであの子をパパと一緒に愛情たっぷりで育て上げてきた私だからこそ、自信を持って断言できる。


 でも、そんな三葉でも絶対に食事より優先するであろうことが、一つ。


 そう。駿君だ。あの子は他の何よりも、駿君のことを優先する。


 そしてそんな三葉は今、彼と二人きりで部屋にいる。それはつまり……


「数ヶ月ぶりに三葉の部屋に二人で集まったのって、まさかそういうこと!?」


 ガタッ! 思わずその場で立ち上がってしまった反動で急に椅子が後ろに下がり、大きな音がリビング内に響く。


 同時に。娘であらぬ妄想をしてしまった私の顔には、みるみるうちに熱が集まっていって。自分の顔だから当然見えはしないが、確かに頬が紅潮していくのを感じた。


 あくまで妄想だ。なんの確証も無い。


 けど、ピースが揃い過ぎてる。三葉が何時間も駿君と二人きりで部屋に篭っていること、二人して昼過ぎまで食事すらせずに何かに没頭している可能性が高いこと、極め付けにいつもは駿君の部屋で遊んでばかりなはずなのに、今日に限って三葉の部屋を選択したこと。


 その全てに意味があるとしたら。もう、私はたった一つしか結論を描けない。


 あの二人のことだ。付き合い始めてからはせいぜい二ヶ月かそこらしか経っていないとはいえ、仲で言えば物心つく前からなのだから。”そんなこと”をするくらいまで進んでいてもおかしくないわけで。


 ああ、どうしよう。いよいよそうとしか考えられなくなってきた。


「うぅ。けど本当にそうなら、いよいよ絶対に見に行っちゃダメよね。邪魔したら三葉にかなり恨まれるだろうし」


 私の頭の中では今、好奇心と自制心が盛大に二極化して戦争を起こしている。


 純粋に愛娘とその彼氏君にとっての青春の一ページをほんの少しだけ分けて欲しいという気持ちと、二人だけの世界に邪推をするなんて愚行を許してはならないという己を律しようとする気持ち。


 勢力図としては本当に五分五分だ。それらはどちらも本当に私の気持ちで、私の心そのもの。


 でも、だからこそ。ほんの少し、何か一つのきっかけでもあれば。きっとどちらかを選んで、もう片方には折り合いをつけられる……はず。


「私は、どうしたら……」


 そしてそんな時。戦いの命運を分けたのはーーーー


「っ!?」


 ぽろんっ。大きなため息を吐いた、その刹那。机の上に置いていたスマホから、通知音が響く。


 突然だったから思わずびっくりして、それがただのアプリの通知だと知って安堵して。そんな一連の流れで肩を撫で下ろした直後に私の目を釘付けにしたのは、ロック画面に設定していた一枚の画像。


「パパ……三葉……」


 これは確か、去年の冬に三人で家族旅行に行った時のものだ。


 この頃はちょうど三葉が受験勉強に本腰を入れていて、少し追い込まれ始めていた時期。それを見かねてパパが計画した旅行なんだったっけ。


「……そうよね」


 私は、何を馬鹿なことで悩んでいたのだろう。


 始めから、答えは決まっていた。本来、こんなことは悩むべくもないことだったのだ。


「私は母親だもの。娘の恋路の邪魔なんて、絶対に許されない」


 もしかしたら心のどこかで、私は二人の若さに嫉妬していたのかもしれない。


 何が青春の一ページのお裾分けだ。そんなもの、貰ってはいけない。私の青春はもう、とっくに終わっているのだから。


 私のーーーー母親の使命は、娘を守ること。そして、応援することだ。あの日のパパが、そうしたように。


「もう、魔が刺すことは無いわ。私はここから応援するだけ。頑張って、三葉……!」


 母親としての矜持が勝利し、私はようやく魔の心を捨て去って。



 リビングから、ただじっと。その先にいる愛娘が未来の旦那様を射止めることだけを、願うのだった。

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