「むぅ。しゅー君のバカ。しゅー君は私の彼氏さんなのに……」
「ごめん。ごめんて」
ぷくぅぅっ。フグのように頬を膨らませた三葉の口から、呟くように不満が漏れ出す。
そんなこと言われたってなぁ。あれは仕方なかったというかなんというか。たしかに三葉からすれば面白い光景ではなかっただろうが、許してほしい。あのデレデレの半分は実質的に彼女さんに対してなのだ。
しかし、当然そんなことを口にできるわけもなく。俺は階段の下からこっちに手をふりふりしてくるおばさんの視線を背中で感じながら、手を引かれるままに階段を登ることしかできなかった。
ま、まあ本気で怒っているわけではないと思うが。念のためだ。軽い談笑でも挟んで気を紛らわせようか。
「そ、それにしてもあれだな。驚いたよ」
「? なにが?」
「いやあ、久しぶりに三葉がおばさんといるところ見たけどさ。呼び方、高校生になっても変わってないんだなぁって。ほら、″ママ″ってさ。三葉みたいなのが可愛い呼び方してて、正直萌えーーーー」
「……反省が足りないって解釈でいい?」
「あ、いや。すみませんでした……」
うーん、逆効果だったらしい。
怒ってるってのもそうだが、何より恥ずかしかったのだろうか。ぷいっ、とそっぽを向くその耳の先端は、ほんのりと赤く紅潮していた。
そして、そうこうしているうちに。一階から二階へと上がる階段を登り終わり、いよいよ。三葉の部屋が目の前に現れる。
場所は昔と変わっていない。扉にピンで止められた小さい看板に書いてある『みつばのへや』の文字も。記憶にある昔のままだ。
「はぁ。もういい。私は寛容で優しい彼女さんだから、相手がママってことも考慮して一度だけ許してあげる」
「ほ、ほんとか?」
「ん。けどその代わり、いっぱいイチャイチャさせてね。テストの頑張ったで賞にプラスで」
「っ……ま、任せとけ」
なんかしれっと怖いことを言われた気がするが、まあ許してもらえたなら良しとしよう。
それよりも、今は目の前の部屋が気になって仕方ない。
入るのは本当に数年ぶり。そもそも入った回数自体多くないし、中の記憶はかなり朧げだ。この間のビデオ通話で少しだけ内装が見えていたものの、あの時は可愛すぎる三葉に目を持っていかれてそれどころじゃなかったからな。
「ふふんっ。彼氏さんを連れてくるって決めてから、気合い入れて内装を整えた。きっとドキドキ必至」
「マジか。まだドキドキさせる気なのかよ」
「当然♡」
もうドキドキは充分すぎるくらい味わったんだがな。流石は三葉さん。自分に対して一切の妥協を許さないその姿勢には感服せざるを得ないな。
と、感心しているのも束の間。「早く開けて」と言わんばかりな期待の視線でジリジリと横顔を焼かれ、心の準備もせぬままにドアノブに触れる。
そして、ゆっくりと。ーーーー扉を開けた。
「っ……!」
「えへへ、どう?」
部屋を開けてまず一番に刺激させた五感は、視覚ではなく嗅覚だった。
三葉だって年頃の高校生だ。普段香水などはつけていなくとも、部屋となればもしかしたら芳香剤のようなものを置いたりしているのだろうか、なんて思っていたのだが。
どうやらコイツはよく理解していたらしい。そんな人工的に作られた良い匂いなんかよりよっぽど、″三葉の匂い″の方が俺をドキドキさせられるのだと。
現に俺の嗅覚は真っ先にその部屋から漏れ出た三葉特有の甘い匂いをキャッチし、脳を震わせた。
そして次に、視覚。まるで甘い蜜の匂いに吸い寄せられる蜂のようにその部屋に意識を釘付けにされた俺の目に映ったのは、二つのテーマが混ざり合った内装。
まず一つ目。俺から見て部屋の右半分を占めている部分のテーマは、そうだな。″男子が喜ぶ部屋″だろうか。
置かれているのは整頓された勉強机、ぎっちりと本とDVDが詰まった棚、そして日々の努力を感じさせる忍具セットだ。
男子が喜ぶというのはつまりそういう意味。ここだけ見ればまるで女子の生活観は感じない。俺が住んでいると名乗った方がよっぽど示し合わせがつく。
だって棚にある漫画はナ◯ト全巻だし、DVDは忍者が主として出てくる時代劇だぞ? 忍具セットだって、あれはまさに俺たち男子が目を光らせるお宝だ。まさか三葉のような可愛い女の子が持っている物だとは思われまい。
さて。ここまでが部屋の全容なら、嗅覚に続く視覚の第二次ドキドキストレートは生まれなかったかもしれないんだけどな。
問題は部屋の左半分を占める二つ目のテーマだ。こっちには三葉が普段寝ているのであろうベッドと中までは見えないがおそらくクローゼット、そして枕元に小さな棚を備えていたのだが。あろうことかコイツはそちらを″女子力全開の部屋″として仕上げてきたのである。
(可愛い、すぎんだろ……)
ベッドの上に並べられているのは、幾つものぬいぐるみ。しかもそのどれもに見覚えがある。
例えばあのカピバラ。あれは小学校の修学旅行で動物園に行った時買っていたものだ。あのくまさんは中学生の時に佐渡家と市川家のみんなでお出かけした時に俺と色違いで買った物だから俺も同じ物の黒色を持っているし、あれも、あれだって。
丁寧に、そして大事に飾られている一つ一つ全てに。二人の思い出が詰まっている。あれらを飾り付けている三葉を想像したらもう……な。愛らしすぎて涙が出てきそうだ。
そして極め付け。枕元の小さな棚。ここが一番破壊力が抜群だった。
そこにあったのは目覚まし時計が一つと、これもまた見覚えがありすぎるご当地のストラップが幾つか。加えて写真立てが、三つ。そのどれもがーーーー俺と三葉の、ツーショット写真を挟んだものだ。
「ドキドキ……した?」
「…………これほどにないくらいに」
「やった、大成功♡」
こんなの、ズルだ。
忍者が大好きでどこか少年心のある面と、実は可愛い物も大好きで乙女な面。
そんな、まるで三葉の有り様そのものを鏡に映したかのようなこの部屋を見せられて、ドキドキするなって方が無理な話で。
「今日はいっぱいドキドキして、させて。イチャイチャな打ち上げにしてね。彼氏さん♡」
ヤバい。
ーーーー好きの気持ちが、暴発しそうだ。