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第62話 彼氏さんフィッシング

「「おぉ……っ!」」


 ドドンッ! とでもオノマトペがつきそうなほどに巨大なそれが目の前に置かれた瞬間。声が漏れる。


 気づけば店員さんの「ごゆっくりどうぞ」の声への会釈もしないまま、お箸を手に取って。大切な一口目の品定めを始めていた。


「これが、極楽丼……」


「ごくっ。じゅるるるるるっ」


 さて、まずはどれからいこうか。


 どうせ全部食べるんだから一口目なんて言うさほど考えることもないだろう、なんて思う奴もいるかもしれないけどな。案外順番ってのは大事なもんだ。


 やはり一口目はまぐろか? いかや鯛のような変化球は一口目というより別のタイミングで味わいたい。食べたことのない、味が分からない物も同じだ。


 となればやはり一口目は王道を行くのがベスト。海鮮の王であるマグロか、俺が個人的に刺身が大好きなぶり。いや、贅沢に一口目からいくらを頬張るというのも良いかもしれない。


 普段はこんな悩みも”優柔不断”として処理してしまうが、今回は違う。全てを選択できるのを前提としてあくまで順番を決めるだけの贅沢な悩みだ。この悩んでる時間もなんともーーーー


「いただきますっ!」


「あっ、おま!?」


「〜〜〜〜っ!! ぷりっぷりでおいひいっ!!」


 なんて。そんなことを考えていると、あっという間に。こんな時でも迷いの無い三葉さんは一直線にマグロと少量のご飯を器用に、そして颯爽とお箸で掬ってみせると、そのまま口元へと運んだ。


 途端、溢れ出るのは満面の笑みと感嘆の声。


「ふふっ、悩んでたら全部食べちゃうよ? 次はしゅー君大好物のブリにお醤油をつけて……」


「させるかっ!!」


 そして俺も、負けじと一口。


 小さな取り皿に入れておいた醤油に二回、ぷりぷりの刺身をバウンドさせ、勢いよく食す。


「っっっっ!! んぅまっ!!!」


 なんだこれ。マジでなんだこれ!


 回転寿司やスーパーのお惣菜コーナーで買ってきた物なんかとはもう何もかも違いすぎる。


 ここが美味しいというのは知っていた。そういったものとはもう使っている素材の質から違うということも。しかしまさか、ここまで露骨に差が出るだなんて。思ってもみなかった。


「しゅー君。マグロも凄いよ、ほら」


「はむっ!」


 ぶりに感動させられ、頭がドーパミンでいっぱいな俺の前に現れたのは、赤みがツヤツヤのマグロ。


 もはや迷うこともなく、ぱくり。


「……はむ?」


 って、あれ。


 なんか三葉さんがニヤニヤしてるんですけど。ニヤニヤした小悪魔さんの表情でスマホ構えてるんですけど?


「釣れた♡」


「んぐっ!? ……ごくっ。おい、消せよその写真」


「絶対嫌。簡単に釣られたしゅー君のショットなんて激レア中の激レアだもん」


「……」


 涙が出そうなほどに美味いマグロを咀嚼し、ゆっくりと飲み込んで。改めて冷静になって写真の削除を促すが、もう遅い。


 くそっ、油断してた。なんてタイミングで餌を垂らしてくるんだコイツは。この極楽丼に乗っているのは全て極上品なのだと頭が理解させられた瞬間の二口目なんて。あんなの、回避できる訳がない。


 本人も当然それを理解していてスマホカメラを構えていたのだろう。なんて奴だ。


「えへへ、間接キスもしちゃったね」


「新しい箸ならいくらでもありますよ、三葉さん」


「交換すると思う?」


「……しないと、思います」


「正解っ♡ はい、ご褒美のサーモン」


「もう釣られないっての」


「んぬぅ」


 全く、隙あらばイチャイチャしようとしやがって。流石に二回も釣られないっての。


 恥ずかしい気持ちを誤魔化すかのように。自分の箸でサーモンを摘む。


 だがそんな俺を見て、何やら隣から「ぴこんっ」と電球の光る音を鳴らした彼女さんが一人。


「あ〜んっ」


「……しねぇよ?」


「なんで!? 次はしゅー君が私を釣ってくれる番!!」


「なんでそうなる」


 さもそうなるのが当たり前なはずだと言わんばかりの三葉が本気で驚いているのを見て、ため息混じりに呟く。


 釣られたら釣り返す、じゃないんだわ。大体釣られる側の癖にイキイキしすぎだろ。


「写真撮影も可、なのに」


 おいおい、ナメてもらっちゃ困るぜ。


 写真撮影もできる、だぁ? 彼女さんが自分の箸に飛びついてる写真なんていらないっての。


 大体それじゃあ実質的にまた俺が”釣られた”みたいじゃないか。


 いくらなんでも、冷静な状態でそんなのに釣られるほど俺もチョロくはない。そもそもさっきのだって極上のブツを前にして警戒心が緩んだところへの不意打ちみたいなもんだ。


 ああそうだ。釣られないとも。そんな、彼女さんの激レアショット如きで……


「……一回だけだぞ」


「はむっ!」


 クソッ。頭では冷静だってのに。


 気づけば俺の身体は一口分の魚介を箸で摘み上げ、右手で三葉を釣り左手で撮影という、なんとも器用な真似をしてシャッターを切っていた。


「んへへへっ。おいひい♡」


 もしかして俺、自分で思っている以上に冷静じゃないのか?


 ……いや、それも当然か。


 この気持ちを自覚する前のデートでもあれだけ緊張したんだ。二回目だからと自分を言い聞かせて余裕を装いながらも、やっぱり心の奥底でははっきりと理解していた。


 俺は今、あの時以上にドキドキしている。彼女さんーーーー大好きな人との、二人きりでのデートに。


「? どうかした?」


「いや。なんでも」


 ああ、ヤバい。


 三葉の一つ一つの行動全てがもう、可愛すぎて。



 好きがーーーー漏れ出てしまいそうだ。

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