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第61話 極楽丼

「それではこちらの席にどうぞ。ご注文がお決まりになりましたらお声がけください」


「ぐるる……」


「やめんか」


 恋敵、とでも言いたげに。毛を逆立てん勢いで店員さんを威嚇する三葉にチョップをしつつ。軽く会釈し、メニュー表を広げる。


 言うまでもないかもしれないが、当然のように三葉は俺の隣に腰掛けている。席は横が短めで少し狭いから一度は正面に座ったらどうかと聞いたんだけどな。勿論首を横に振られた。


 しかしこの横並びで密着する座り方も、配膳する店員さん以外に見られることはない。半個室様々だな。


「さて、どれにするかな。三葉はもう決めてたりするのか?」


「決めてない。メニューは調べても出てこなかったから」


「え? ああ、言われてみればたしかに」


 俺も昨日ここを調べたが、思い返せばなんのメニューがあるのかは載っていなかったな。


 昨今は何でもかんでもSNSに写真があがるからここの海鮮丼のもどんな見た目のものがあるのかは薄ら予習できたが、それらがなんというメニュー名で何円なのかは不明だった。


「じゃあ一回、全部目を通してみるか」


 ザラザラとした高級感のある冊子状のメニューを眺め、二人でページを巡っていく。


 主なメニューは海鮮丼と何種類かのお茶、お酒のみだ。しかしそれでも冊子がそれなりに分厚い作りになっているのは、海鮮丼のメニューが豊富だからである。


 流石は老舗。ここが漁港のすぐ近くということもあり、様々な魚介を仕入れているのだろう。マグロ丼やユッケ丼、サーモン丼などの代表的なものに加え、しらすや鮭、エビにぶり等々の様々な魚介を使った海鮮丼の文字が数多く羅列されている。


「とんでもない種類だなオイ。どれがいいんだこれ……?」


 困ったな。種類が多いのは選択肢が増えて良いことなのだが、これは中々に迷ってしまう。


 やはりせっかく有名店に来たんだから代表的なマグロ丼とかを食べておくべきなのか? いやでも、こういう時しか食べられないようなマイナー系の丼もアリなんだよな。いっそのこと全く情報のない「日替わり海鮮丼」なんてものを頼んで大穴狙いもいいかもしれない。


 ううむ、自分の優柔不断ぶりが憎い。どうもこういう時はスパッと決められない性分なのだ。そして後からほぼ必ずと言っていいほど「あれでもよかったな」なんて考えてしまう。


 ただ……


「しゅー君しゅー君」


「ん?」


「これ、どう?」


 そんな俺とは正反対に。簡単に物事を決めてしまえるのが、この佐渡三葉さんなのである。


 横で悩む俺の腕をちょいちょいっ、とつついてから彼女が指したメニューはーーーー


「な、なんだこれ!?」


「ふふっ。美味しそうでしょ」


「美味そう、だけど。食べ切れるか……?」


 冊子をめくり続けた最終ページ。まるでラスボスかのように記載されていたその海鮮丼の名は、「極楽丼」。


 字面だけでは想像がつかないと思うから写真を見て読み取れた内容を説明すると……全部乗せ丼である。


 え? それでも想像つかないって? いやでも、本当それ以上に適した言葉が見つからないんだよ。


 特大なネームバリューを背負ったそれは、名前に劣らずとんでもない見た目と迫力をしていて。さっき挙げた海鮮の数々に比べ、もはや写真だけでは何なのか分からないものまで。恐らくこの店の海鮮丼のメニューで使われている具が全て乗せられたのであろう丼。文字通り海鮮好きには極楽の景色にすら見えてしまうほどのとんでも商品だ。


 そして当然、それだけの具材を乗せるには……それ相応の器と土壌が用意されている。


 あくまで写真しか判断材料が無いから正確な数字は分からないものの、目算で見積もるとそのボリュームは他の丼の三倍といったところ。それに伴い値段も一杯四千円と、少なくとも絶対に一人で頼むことは想定されていないことも窺える。


「ふふんっ。ちゃんとお腹の容量は残しておいた。しゅー君と二人でなら余裕で食べ切れる!」


「二人でなら、って。あんまり俺のことはアテにするなよ?」


「ん!」


 コイツ、本当に分かっているんだろうな……?


 一応俺だって多少お腹に余裕を設けることを意識してバーベキューしていたものの、そもそもあまり食べられる方ではない俺の胃袋のそれなんてたかが知れているんだぞ。


 ……しかし、だ。これを見た瞬間から、食べたいと思ってしまったこともまた事実。


 俺はともかく、三葉の胃袋は信用できる。一人あたり二千円の出費は痛いが、これなら全メニューを堪能できるようなもんだからな。後悔することもないだろう。そのうえ三葉と一緒なら食べ残しを生んでしまう危険性もほぼ皆無だと考えていい。


 それに、二千円が高いとは言っても、結局のところどの丼を選んだとしても一杯千円未満になることはないのだ。ならむしろこれでこの値段はかなりお得ですらあるのかもしれない。


「……分かったよ。そこまで言うなら」


「やった。海鮮、いっぱい楽しみ尽くそうね」


「おう」



 気づけば俺の心は、簡単に極楽丼へと傾いていて。ふんすっ、と鼻息を荒くする三葉と共に、机の端に置かれていた呼び出しベルに指を重ねていた。

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